悪役令嬢バズります
柿野愛
第1話
「またエレノア様が睨んでたって」
「舞踏会でもあの対応だったらしいよ」
「でも、所作は本当にきれい。真似したくなっちゃう」
朝の学園はいつも噂で満ちている。廊下の掲示板には色とりどりのビラ、食堂には文化祭の話題、窓辺には軽い風が流れる。侯爵令嬢エレノア・ヴェールは窓際の席に座り、黒革のノートと薄型端末を前に置いていた。銀色がかった髪を簡潔に束ね、制服はきちんと折り目が付いている。表向きの態度は冷静だが、手元の作業は忙しい。
「噂は資源よ。動かせば反応が返ってくる」
エレノアは独り言のように呟き、ノートに昨夜の掲示板のスレッドや、行事別の“人気ポイント”の推移を図にして書き込む。彼女にとって人気は単なる称賛ではない。学園の序列も、進路の有利不利も、将来の結婚相手の評価も、すべて人気の数値で左右される世界だ。だからこそ、数値を操作する術は強力だった。
「文化祭の実行委員長、今日決まるらしい」
隣の生徒が囁く。エレノアは紅茶を一口飲んでから端末をスライドさせ、ページに「文化祭:委員長選出」と記す。
「舞台を作るにはまず権限が必要ね」
彼女の声は冷静だが、含意ははっきりしている。舞台を自分の思うように動かすには、仕切る立場があると都合がいい。だが権限を得るための正面工作は無駄だ。それよりも、人が自然に注目する“仕掛け”を作ってしまえばいい。
その時、教室の扉が開き、黒髪で落ち着いた雰囲気の青年が入ってきた。セシル・アルマンド。騎士科の代表格で、冷徹な振る舞いが噂を呼ぶ。彼は軽く一礼すると、エレノアの席の後ろに立った。
「君が動くなら、見ておくといい」
「観察だけ? 手伝ってくれるわけではないのね」
「場が壊れるなら止める。だが、面白そうだ」
彼の言葉に含まれるのは警告と興味だ。エレノアは小さく笑い、ノートを広げてセシルに見せる。そこには「不在の聖女」という短いフレーズと、動線図、投票誘導の要点が整然と描かれていた。
「台本補助を使うわ」
エレノアが言うと、セシルは眉を一つ動かした。「繰り返すが、大筋は変えられない。小さな書き換えだけで勝負するつもりか」
「ええ。セリフの一語、入退場のタイミング、舞台袖の小道具ひとつで、観客の反応は変わる。裏世界――匿名掲示板や書き込みの流れを誘導すれば、数は勝手についてくるのよ」
そこへ執事のユーディが声をかけながら歩み寄った。タブレットを片手に、裏世界の動向を知らせるのが彼の仕事だ。
「掲示板に新しいスレが立っています。『悪役令嬢、人気を売る商人』という見出しです」
エレノアは画面を覗き込み、短く笑った。「興味を惹くには良い見出しね。炎上にはしない。注目を集めるだけにするの」
「ですが、裏世界の反応は生ものです。拡散の速度も取扱いも予測しづらい」
ユーディは冷静だが、言葉には慎重さがある。エレノアは端末を机に置き、予定を確認する。
「演出で誘導するの。曖昧さを残した匿名投稿を夜に流し、朝の来場者に噂が届く。承認欲求は群衆心理を動かすから、動線とタイミングを押さえれば自然と注目が移る」
ユーディはメモを取り、セシルはその計画図を黙って眺めた。
そこへ花壇の方から明るい声が飛んできた。ミラ・フォンテが足早に近づいてくる。転入生でありながら、誰にでも笑顔を向ける彼女の自然体は、学内でも評判だ。
「エレノア様、今日は文化祭の最終打ち合わせですよね! 私、聖女役で頑張ります!」
「期待しているわ」
ミラは少し緊張しているが、その目はまっすぐだ。エレノアは観察するようにミラを見つめた。
(彼女の人気は‘純度’が高い)とエレノアは判断する。計算の通り、ミラの無自覚な優しさは裏世界で好意的に拡散されやすい。そこでエレノアは一つの提案をする。
「初日だけ、本当に欠席するように見せてくれるかしら」
ミラは驚き、すぐに不安そうに言う。「欠席って本当に出ないってことになりませんか? 舞台が困るんじゃ…」
「代わりに、客席か舞台袖で誰かが‘助ける’場面を作ってほしいの。聖女がいないことで、観客が自分の手で物語を補う。誰かが自然に手を差し伸べる瞬間が見たいの」
ミラは少し考え、目を輝かせて笑った。「それって、観客も参加するみたいで素敵です! 私、やります。誰かが優しくするの、見てみたいですから」
ユーディは低く呟いた。「匿名投稿の文案は準備済みです。夜に仕掛け、朝に波が来るよう時間を調整します。拡散の初動が肝心です」
「良いわ。真実味を残しつつ、噂が自然に広がるように」
エレノアはノートに「不在の聖女:初日」「投票誘導:動線A/B」「拡散時間:深夜23時」と書き込み、ページを閉じた。計画は緻密に、だが過剰に予想不能性を排さないように組まれている。
放課後、掲示板に匿名の書き込みが流れた。文面は意図的に曖昧で、人の想像を刺激する。「聖女、文化祭初日欠席の噂。会場で何かが起きるらしい」――反応は緩やかに始まり、数時間で小さな波紋を作る。エレノアは端末を見つめながら、微かな高揚を感じる。だが同時に、小さな不安も胸に浮かぶ。
「人の本気は計算通りには動かない」
彼女は小声で呟き、ノートの余白に「偶発をどう引き出すか」とだけ書いた。明日の文化祭は、計画どおりに始まる。だが、計算外の“誰かの本心”がどう影響するか――それは彼女にもまだ分からなかった。
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