第31話:共闘

 ジンは林間の広場の中央に躍り出ると、サバルの隣に並び立った。


「無事か?」


 横目で一瞥し、問いかける。


「見ての通り、軽傷だ」


 全身切り傷だらけのサバルは気だるげにへし折れた右手を掲げて見せた。どう見ても満身創痍だ。



「援軍としては少々頼りないが……しょうがない、お前で我慢してやろう」

「礼くらい言ってもいいんだぞ」

「ふん、遅れてきたくせに偉そうだな」

「偉そうなのはどっちだよ」


 どうやら軽口を言えるだけの元気は残っているらしいと確認すると、ジンは正面のスニルに視線を移し、思考を巡らせた。

 双杖の術士。この男のなによりも厄介なところは、手数の多さにある。

 だが今は二対一。相手が二本の杖を扱えるといっても、頭の数はこちらが勝る。状況は有利だ。



「ふははっ、楽しめそうだな」


 殺し合いを戯れとでも勘違いしているのか、楽しげに口角を上げるスニルに、ジンは奥歯を強く噛みしめた。



 スニルを見ていると、この男に傷つけられた人々の姿が思い起こされる。生前の面影も尊厳も失われたギイチ、倒れゆくイェン、目を覆いたくなる姿のタキ、寝台に寝かされたアリン、ここに来るまでに目にした数々の遺体……。怒りに、我を忘れそうになる。



「ふぅー……すぅー……」


 ジンは深呼吸し、それと同時に頭の中を支配する感情に蓋をした。

 心を静め、殺気を消す――。

 しかし感情の制御に苦労した。怒りが、蓋をこじ開ける。

 理力に感情を乗せるな、自分を律せ。そう思うのとは裏腹に、感情はより大きくなっていく。



 戦いにおいて強い感情ほど邪魔なものはない。リウ家の術士たちがあの大人数で挑んでも敵わなかったのは、おそらく彼らの怒りにも原因がある。感情は理力の動きを鈍らせる。ジンもまた、彼らと同じ状態に陥っていた。

 万全とはいえないが、しかし、やるしかない。



 夕日が沈みだし、木々の影が濃くなっていく。スニルの身体から落ちた影が、夕日によって引き延ばされ、赤い刃のようにジンの瞳を鋭く貫いてきた。

 緩やかな風が森に吹き、中身のない右袖がかすかにはためいている。わずかに聞こえる葉擦れの音が、静まり返った空気に緊張を走らせる。



 ジンは半身に構え、足を広げて腰を落とした。杖は掲げるように顔の前で構え、手首の力で自在に振れるよう腕から余分な力を抜いた。

 杖頭に刻まれた鳳凰の彫飾が視界に入る。リウ家の家紋。今はこの杖が何よりも心強い。

 スニルはすでに笑みを消し、ふたりの術士へ視線を忙しなく行き来させている。ジンもまた、杖越しに相対する敵を改めて観察した。



 肩まで届く、脂ぎった白い髪。頭頂部は禿げ上がり、日焼けした地肌が覗いている。好き放題伸びたぼさぼさの眉の下にあるのは、ぎょろりとした大きな目。堀の深い顔は白ひげに覆われ、顔中には長い年月を思わせる深いしわが刻まれている。歳は六十過ぎくらいだろうか。イェンのほうが年上のはずだが、若々しい彼女に比べると、スニルはむしろ年老いて見えた。



 まとっているのは血にまみれたぼろ。衣の所々には穴が空いている。風に乗り漂ってくるのは、ひたすらに濃い血の匂い。服の血はそのほとんどが返り血だが、スニルは無傷というわけではないようだ。

 左足から血を流し、やや後方へ下げている。あの足なら機敏な動きはできないに違いない。



 道中で見てきた屍の数から考えるに、リウ家の半数近くの人間がこの男に挑んだのだろう。だがそれでも、彼の片足を傷つけただけだった。

 手負いの相手であっても、ジンには勝てる未来がまるで見えなかった。正対して改めて感じる。この男はどれだけ積み上げてきたのだろうと。ジンは、サバルと初めて手合わせしたときと同じ――いや、それ以上の絶望的な実力差を突きつけられていた。



 スニルの顔はあらゆる感情を削ぎ落とし“無”を貼りつけている。相手からは一切の殺気を感じない。そこにあるのは、研鑽と経験を積み上げた者だけが発する特有の威圧感だけ。

 かつてタキは言った。最強の術士とは無念無想の境地に至った者のことを言うと。この男はその領域にすでに達している。



 この場にはサバルもいるとはいえ、彼は片腕を負傷し、一度この男に一騎打ちで敗れてしまっている。ジンのほうも、昨晩の傷が癒えておらず、縫合したばかりの腹がずきずきと痛みを訴えているままだ。こんな状況で勝てるのかどうか……。



(いや、弱気になるな)


 弱音を吐いていたってしょうがない。やるしかないんだ。自分を鼓舞し、前を見据える。

 術戦の基本は先を取ることにあるが、スニルはまだ攻撃を仕掛けてこない。

 相手はまだ構えてすらおらず、両手に握った杖をだらりと下げて様子を見ている。明らかに隙だらけだが、ジンにはそれがむしろ不気味に映った。



 ジンは一瞬、横目でサバルへ視線を送ってから、地をかすめるような足取りでゆっくりと動き出した。前へ前へ、じりじりと少しずつ地虫のように歩みを進め、間合いを調整しながら“時”を待つ。サバルも同様に前へ動き出す。



 相手のわずかな動作も見逃さぬよう、ジンはかっと目を見開き、瞬きすらも最小限に、敵の監視を続ける。

 気がつけば、口の中が乾ききっていた。ごくりと喉を鳴らし、気持ち程度に口内に潤いを与える。



 ジンは立ち止まり、サバルへ視線を送った。サバルもまた足を止め、視線を送り返してきた。

 同時に仕掛ける――。



 出し抜けにスニルが尋ねてきた。


「どうした。まだ来ないのか?」


 それを合図とするように、ジンとサバルは同時に杖を振り抜いた。



 両者の杖から“力”の塊が放たれ、敵へ向かって迫る。

 スニルは素早く反応し、手を交差するように両杖を振り、杖先から術を放った。三者の光弾が、虚空で派手な音を立て消滅する。

 スニルは続けて両手から術を放ってくる。ジンはスニルの右手だけを注視し、杖を突き込んだ。



 戦いが始まった。

 ジンは「剛」の理力による正面からの素早い攻撃を織り交ぜながら、変幻自在の「柔」の理力を用い、上下左右、様々な角度から防御困難な術を撃ち込んだ。

 そんなジンと肩を並べて戦うサバルもまた、片手が折れているとは思えない機敏な杖捌きでスニルを攻め立てていた。



 術士としてのサバルの腕前は、あのスニルにも引けを取らない。ジンは隣で見ていて純粋にそう思った。自分とは次元が違う。その証拠に、スニルの注意はジンよりもサバルに注がれている。



 この老人の元に走り寄り、手にした杖を奪うことができれば勝利は確実だ。しかし昨夜の戦いでわかっていたとおり、スニルの術を打ち出す速度は恐ろしく速く、近距離では防御が間に合わない可能性が高い。不用意に近づけば、あっけなく攻撃が直撃してしまうだろう。したがって、ふたりは敵とつかず離れずの距離を保ちながら、堅実に相手を攻め立てていた。



 スニルの反応速度と、理力に込められたわずかな殺気を読み取る能力は並外れている。こちらの攻めはすべていなされる。

 意識をふたつに割いているにもかかわらず、敵の対処は的確だ。防御を搔い潜る変則的な軌道の術にも即座に狙いを看破して狙撃をしてくる。また、術の合間に杖を振る“フリ”を織り交ぜるも、まったく引っかからない。術の繰り出しかたに規則性はなく、次々と繰り出される手は尽きない。まるで隙がない。


 とはいえ、敵もまたこの状況を打破するだけの決め手がないようだ。術の撃ち合いは均衡状態に陥っていた。

 ジンは逡巡した。このまま術の撃ち合いを続けるべきか、あるいはなにか別の手を打つべきか。



 このままでは埒が明かない。変化が必要だ。そう考え、ジンは腰元の小袋のひもを解き、中から短刀や折れた刃の破片を取り出した。ここにやってくるとき、リウ家の術士の持ち物から回収しておいたもの。それらを柔の理力で操って宙に浮かせ、敵に向かって飛ばした。

 猛然と飛び去る鋭利な金属の群れ。スニルは右手の杖を下から上に掬い上げるように振るい、光の盾を作り出してそれを防いだ。


「くっ」


 ジンは盾に防がれる寸前で短刀の軌道を変え、脇に逸らして逃がすことができたが、それ以外はすべて甲高い音を立てながら弾かれ地面に落ちた。



 短刀は夕焼け空を背景に舞い上がり、鈍い光を放ちながら燕のごとく飛翔した。

 スニルはサバルへ目を向けながら、目を頼らず驚異的な察知能力で飛来する短刀を狙撃してくる。

 ジンの咄嗟の操作により短刀の軌道を細かく変え、スニルの狙撃を回避しちょこまかと飛び回りながら高度を上げ、急降下からの攻撃を狙った。敵の死角を突く一撃。

 宙を舞う短刀が敵の首筋に向けて刃を突き立てる。その刹那、スニルは術を使わず、右手の杖を振り上げて短刀を弾き難を逃れた。



 驚きに、ジンの動きが一瞬遅れる。その隙を狙い今度は向こうが仕掛けてきた。

 スニルは立て続けに素早く三度杖を振るって正面からの力任せの攻撃を見舞ってから、近くの藪に理力の手を伸ばすと、鋭利な木の枝を高速で殺到させた。



 ジンはそれらを捌き続け、体中に切り傷を作りながらも、攻撃の波になんとか耐えきった。

 息つく暇もない。次の攻撃が迫る。

 飛来する光弾をジンは横っ飛びに回避した。が、躱したところに、その動きを呼んでいたかのように術が飛んでくる。

 躱せない。瞬時に防御を選択した。

 しかし、わずかに間に合わず、術同士の衝突で生じる小規模な爆発を食らい、ジンの体は真後ろに吹っ飛んだ。



「ぐあっ!」


 地面に激しく背中を擦りつけながら、仰向けに倒れる。ジンは追撃を警戒し急いで身を起こしたが、幸いなことにスニルにそんな余裕はなさそうだった。彼は今、急接近してくるサバルの対処に追われている。おそらく、ジンに危機が迫っているのを見て行動を起こしたのだろう。



「くそっ」


 庇われた屈辱に顔を歪めながらジンは立ち上がり、加勢へと走った。

 サバルは前進しながら敵と激しい術戦を繰り広げている。彼が息もつかせぬ早業で理術を放つその最中、追いついてきたジンに一瞬だけ目線を送ってきた。

 合わせろ、ということか。小さくうなずき、サバルと横並びになって杖を振り回す。



『俺は正面、お前は背面を』

『あんたは右、僕は左だ』

『次は頭、足元を狙え』



 一瞬の目配せで会話をしながら交互に攻撃を仕掛ける。

 普段はお互いを相容れないと思っている両者であったが、どうやら戦いの息は合うらしい。ばらばらに戦っていた今までとは違い、両者同時に攻撃を放ち、敵を苛烈に攻め立てる。



 驚異的な反応と卓越した発想を見せるスニルとて、ひとりの人間である以上限界がある。さしもの彼も足を負傷したうえでの二対一は堪えるらしく、顔を険しくさせながらこちらの猛攻をなんとか凌いでいる。

 ふたりの術士による攻撃を前に、スニルは左足をずりずりと引きずりながら後退していく。戦場は林間の広場の中央部分から端へと移り変わる。



 数え切れないほどの術をふたりで浴びせるも、白髪の老人はいまだ倒れない。

 だがこちらの息は合ってきた。次第に目配せすらせずに、杖を振る間隔だけでお互いの拍子を合わせられるようになってきた。



 いける。勝てる。高揚する気持ちを押さえつけながら、ジンは杖を振るい続ける。

 念動弾の衝突の度に散る光の残滓が、スニルの体に細かな傷をつけていく。致命傷を与えることまではできないでいるが、焦る必要はない。このまま防御に手一杯の状況にさせておけば直に相手は力尽きる。そのはずだ。



 スニルは長い口ひげを吐息で小さく震わせて息をついた。ジンにはそれが覚悟を決めたような顔に見えた。


(なにか来る……!)


 身構えたジンの隣で、構わずにサバルが杖を打ち込んだ。

 桜の杖の先端から真っ赤な光弾が放たれ、スニルの左半身へと到達する。その瞬間――。

 スニルは左腕を差し出すように前に出し、サバルの術をまともに食らった。ぎゅるっと音を立てて、念動力が男の左腕を強引にねじり切った。

 切断された左腕は杖を握ったまま、スニルの後方へと弧を描いて飛んでいく。



 片腕を失ったスニルは苦痛に顔を歪めるが、ぐらぐらと体を揺らしながらもその場にかろうじて踏みとどまり、残った右手の杖に理力を乗せて打ち出そうとしていた。

 ジンは相手の意図を理解した。この男は、あえて攻撃を受けたのだ。それにより、防御に使わなかった術を、代わりに攻撃のために使用するつもりなのだ。



(まずい……!)


 ジンは慌てて術を使った。杖先から飛び出した光弾は、スニルの杖先から放出された光弾と真っ向からぶつかって霞のように薄れていく。

 ほっと安心したのも束の間。上空から凄まじい速度で光弾が飛んできて、サバルの右脇を通り抜けていった。

 ひやりとして、ジンは思わず隣を見た。一瞬、サバルの体に光弾が直撃したように見えたのだ。

 そしてそれは、勘違いなどではなかった。


「うぐっ……」


 サバルが呻き、膝をついていた。



 なにが起きたのかわからず、ジンは混乱した。

 どこから攻撃が来た?

 この場に感じる理力は三つ。ここにいるのは三人だけだ。敵の援軍が駆けつけたわけではない。では、いったい……?

 答えはすぐに出た。攻撃の主は、切断されたスニルの左手である。

 スニルは左手を失う寸前に、握っていた杖に密かに理力を込めていた。それを、体から切り離された瞬間に解き放っていたのだ。



「よそ見をするな!」


 サバルの鋭い声でハッとした。見れば、スニルの攻撃がジンの目前に迫っていた。

 すかさず杖を走らせた。目と鼻の先で光弾同士がぶつかり合い爆発が起きる。サバルの声かけがなければ、危うく頭が消し飛んでいたところだった。

 続く攻撃に備えたが、老人は薄ら笑いを浮かべながらこちらを一瞥すると、踵を返し背を向けた。

 そしてそのまま、片足を引きずって森の先へ歩いていく。



 ――逃げられる!

 追いかけようと一歩前に踏み出すと、追って来るなと言わんばかりに光弾がジンを襲った。

 面食らい、後ろに仰け反りながら辛うじて防御が間に合って九死に一生を得た。

 スニルは足止めのために矢継ぎ早に術を繰り出しながら、林間の広場から離れていった。

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