第15話『ギルドの看板受付嬢』
冒険者ギルド。
ここクラウンヘイムで、もっとも活気のある建物の一つだ。
酒場を兼ねたこの施設には、朝から晩まで、多くの人々が出入りし、荒くれ者たちの怒号や笑い声が響いていた。
よく磨き上げられた木製の受付カウンターの中では、数人の受付嬢が忙しなく書類を処理したり、金勘定をしていた。
その中でも、ひときわテキパキと仕事をこなし、誰よりも明るい笑顔を見せている女性がいた。
「はい、こちらが報酬の金貨3枚になります。少し、おまけしておきました」
「おお!? マジかよ、助かるぜ、クレア!」
「いえいえ、納品していただいた素材の状態もよかったので。
いつも丁寧なお仕事、ありがとうございます」
にこやかに冒険者を見送ると、クレアは手際よく書類にペンを走らせた。
「あの、クレアさん。すみません、ちょっと教えていただきたいんですが……」
受付嬢のリサが、慌てた様子で駆け寄ってくる。
その手には、依頼書と計算用の羊皮紙が握られていた。
「どうしたの?」
「このクエストなんですけど、あの、パーティの中に保険積立金が未払の人がいて、そっちを先に支払ってほしいってお願いしたんですけど……」
「嫌だってごねられてるのね。わかった、私が処理しておくから、こっちをお願い」
「すみません、お願いします……!」
新人には荷が重そうな仕事を代わってやることにすると、リサはほっとしたように胸をなでおろした。
茶色いボブカットが特徴的な彼女、クレアの受付嬢としての評判は上々だった。
正確で迅速な事務処理能力。
冒険者たちへの適切な対応。
なにより、常に笑顔を絶やさない姿勢。
それらが評価され、クレアは若くして受付嬢のリーダー格として扱われていた。
「クレアちゃん。ちょっといいかな?」
クレーマーを退治し、一息つこうかと思っていたクレアのもとへ現れたのは、いかにも自信満々な様子で近づいてきたダンだった。
半袖のワイシャツを第二ボタンまで空け、むさ苦しい大胸筋をこれ見よがしに見せつけている。
また面倒なのが来た――。
そんな思いは、豊かな胸のうちに秘めたまま、クレアはにこりと笑顔をつくった。
「はい、なんでしょうか、ダンさん」
「さっきの見てたよ。大変だったっしょ? あいつらには、俺がキツく言っておくから、それで勘弁してよ」
「ありがとうございます。それで、ご用件は?」
「いやあ、まあ用事ってほどでもないんだけど、きつ~い遠征明けにクレアちゃんの顔見たら、つい話したくなっちゃって」
「あはは。ダンさんったら」
(こっちは忙しいんですけど。くだらない世間話はあとにして!)
つい黒い本音が覗きそうになるが、これでもダンは、アリアに次ぐ実力者であるAランク。
あまりむげにするわけにもいかないので、クレアは溜まっていく業務を横目に見ながら、愛想笑いを貼り付けていた。
それに気を良くしたのか、ダンがずいっとカウンター越しに身を乗り出してくる。
「で、今度さ、メシとかどう? 俺、いい店知ってるんだけど」
本人的には『イケてる』と思っていそうなキメ顔をしているダンに、クレアは眉をハの字にして返した。
「申し訳ありません、仕事中ですので、そういったお話は……」
「おっと、こりゃ失礼。じゃあ、仕事が終わったら、まずはここで一杯どう?」
「すみません、今日はちょっと用事が……」
「じゃあ、空いてる日、ない? 俺、いつでも予定空けられるけど?」
「いやー……ちょっと当分は仕事が忙しくて……」
「じゃあ、他の子に手伝ってもらいなよ。クレアちゃん仕事しすぎだって!」
(そんな簡単に言わないでよ。
ていうか、遠回しに断ってるの、気付かないかなー……)
ああ、面倒だ。
そう思いながら、なんとかダンをやり過ごす方法を模索していたクレアだったが、
「……仕事、終わりました」
「あ、はーい! 今行きますね、アッシュさん!
ごめんなさい、ダンさん。そのお話は、また今度ってことで。
時間ができたら、
「オッケー、じゃあ、楽しみにしてるね!」
暗に、もう声をかけてくるなと告げたつもりだったのだが。
ダンはバカ正直に受け取ったのか、上機嫌で飲み仲間のもとへ合流していった。
(昼間から酒飲む男、ほんと無理)
今頃、自分を飲みに誘うのに成功しただのと、お仲間に自慢しているに違いない。
しばらくは音沙汰なしでも問題ないだろうが、じきに焦れてまた粉をかけにくるだろう。
(どうやって断ろっかなー……)
なんで業務外のことで、こんなに頭を悩ませなければならないのか。
ただでさえ、ここにはもっと
「あら、クレアさんったら。またダンに色目を使っていたの?
仕事中だっていうのに、いいご身分ね」
(うわ、出た)
アッシュのもとへ行く途中、その
声の主は、同じ受付嬢のマチルダ。
派手なネックレスに、濃い目の化粧でごまかしてはいるが、寄る年波には抗えていない。
職場歴も年齢もマチルダのほうが上だが、役職はクレアのほうが上。
言うまでもなく、周囲からの評判も。
そのことが気に入らないのか、ことあるごとに嫌味を言ってくる、いわゆるお
「色目だなんて滅相もないです。ちゃんとお誘いはお断りしましたから」
「そうかしら? 私の耳には、思わせぶりなこと言って、気を持たせてたように聞こえたけど」
「そんなことないですってー。あ、今アッシュさんをお待たせしてるので、これで……」
(聞き耳立ててる暇があったら仕事しろ、ババア!
今朝から座ってお茶飲んでるだけなの、バレバレだから!)
心の中で毒づき、すすすとその場を辞そうとするクレア。
しかし、あろうことか、マチルダは彼女についてきていた。
「あの、なにか?」
「アッシュね。私、あの人に前から言いたかったことがあるの」
「言いたいこと?」
きょとんとしていると、マチルダはつかつかとハイヒールのかかとを鳴らしながら、アッシュへと近づいていった。
くたびれた灰色の髪に、痩せこけた体。
覇気のないぼんやりした顔つき。
加えて、今日もドブさらいをしてもらっていたので、ブーツもズボンも汚泥で汚れている。
そんな彼に、マチルダは居丈高に罵声を浴びせかけた。
「ちょっと、あなた! そんな小汚い格好でギルドに来ないでもらえるかしら!?」
周りの迷惑ってものを、少しは考えてちょうだい! 誰が掃除すると思ってるの!?」
(少なくとも、あんたじゃないでしょ)
勤続5年目になるが、クレアはマチルダが掃除用具を手にしているところなど、見たことがなかった。
だいたい、ほかの冒険者だって、血みどろの泥まみれでやって来ることも珍しくない。
それに、服の汚れは、彼らが立派に仕事をこなしてきた証だ。
いちいち目くじらを立てるようなことでもない。
おおかた、日頃の鬱憤を、立場の弱いアッシュにぶつけて晴らそうというつもりだろう。
「ちょっと、マチルダさん……!」
「すみません。以後、気をつけます」
助け舟を出そうとしたクレアだったが、アッシュは素直にぺこりと頭を下げた。
殊勝だな、と思うと同時に、呆れもする。
(この人、怒ったりしないのかな?)
むやみにいさかいを起こしたくない、という気持ちはわかるが、今のは反論してもいいところだ。
なのに、これでは助け舟の出し損である。
(いい人ではあるんだけどなー……)
これでは、ただの
粗野な男ばかりの冒険者の中で、唯一礼儀正しく、妹思いなアッシュに見どころを見出していたクレアは、心のなかでため息をついた。
早々に白旗を挙げたアッシュに、マチルダはさらに畳み掛けた。
「あなたみたいな人がいるとね、ギルドの品格が疑われるの!
あなたの妹のアリアさんもそうよ。
腕は確かみたいだけど、目上を敬おうって気がまるで感じられない!
どういう教育をしているの?」
「すみません、よく言い聞かせますので……」
「ふん、もう16になるっていうのにあれじゃ、どうしようもないわね。
ほんと、
その瞬間、アッシュの眼光が、一瞬だけ射るように鋭くなり、クレアはぞくっと鳥肌が立つのを感じた。
しかし、鈍感なマチルダは気づいていないようだった。
「とにかく、今度そんな格好で来たら出入り禁止にするから、そのつもりで」
「……はい、すみませんでした」
はっとクレアが我に返ったときには、すでにいつものアッシュに戻っていて、マチルダも場を離れていた。
(なんだったんだろう、今の)
親を貶されたのだから、激昂して然るべき場面ではある。
だが、クレアの胸中にあふれていたのは、マチルダへの怒りだけではなく、アッシュへの恐怖だった。
先ほどのアッシュの激情ぶりは、逆鱗に触れられた竜そのもの。
怒らせたマチルダの巻き添えを食らうのでは、という恐れが、クレアに声を上げるタイミングを
「クレアさん。ドブさらい、完了しました」
「え? ……あ、はい。こちら、報酬です。
いつもお疲れ様です」
「いえ。俺にできることなんて、このくらいですから」
「あの、さっきはマチルダさんがすみません。私から言っておきますから」
「大丈夫です」
そう言って、アッシュは背中を向けた。
「気にしていませんから」
表情が見えないので、言葉の真意はわからない。
けれど、その背中からは、確かな怒りが宿っているように感じられた。
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