吸血騎士は日陰に生きる~妹を守るために吸血鬼になった兄、昼間は穀潰し扱いですが夜は最強です~

石田おきひと

第1話『穀潰しと銀氷姫』

「ドブ掃除……完了しました」


「了解しました。こちら、お受け取りください」


「はい……またよろしくお願いします」


 素っ気ないギルドの受付嬢に頭を下げ、アッシュはカウンターを離れていく。

 ロウのように白く、青い血管の透けた肌。

 ざんばらの髪は色素が薄く、名前通りの灰色アッシュグレー


 三白眼の目元には濃いクマが貼りついており、いかにも病的だ。

 上背は成人男性の平均より高めだが、いかんせん肉付きが悪いので、ひょろりとした印象を与えてしまう。


 ズズ、と右足を引きずりながら歩くアッシュを、食事中の冒険者たちがあざ笑う。


「見ろよ。『穀潰ごくつぶし』が昼間っからほっつき歩いていやがる」


「あの程度のドブ掃除なんかしたところで、自分てめえの飯代にもならんだろうに」


「『銀氷姫ぎんひょうき』の兄貴がタダ飯食らいじゃ、格好つかねえんだろ」


「はっ! やってる感のためにあんなみっともねえ風体晒して、お天道様の下を歩く勇気は俺にはねえな」


「違いねえ!」


 ギャハハハ! と下品な笑い声が響き渡る。

 無論、それらの会話はアッシュの耳にも届いてはいるが、彼はまるで意に介さなかった。


(俺は穀潰しだし、妹の評判をこれ以上下げないためだけに働いている。全て事実だ)


 アッシュは空いている席にゆっくり腰掛けると、水とパンだけを注文した。

 それだけで、今日一日分の稼ぎは消えてしまった。


 しばらくして、注文の品が届いた。


(いただきます)

 

 ウェイトレスに頭を下げると、アッシュは焼き立ての黒パンを千切り、木製のジョッキに注がれた水に浸し、柔らかくしてから口に入れた。

 顎の力が弱いので、硬い黒パンは噛み千切ることもできないのだ。

 

(ごちそうさま)


 ただカロリーを摂取するためだけの食事を済ませたところで、一気にクエスト帰りの冒険者たちが、ギルドになだれ込んでくる。


 汗と泥、返り血で汚れた荒くれ者たち。

 その中に、一人だけひときわ目を引く者がいた。

 

「見ろ、『氷姫こおりひめ』のおかえりだ!」


「やっぱ、いつ見ても可愛いよなあ……」

 

 衆目を集めていたのは、一人の銀髪の少女だった。

 背中まで届く銀色の長髪を一つに束ねたさまは、まるで出来のいい人形のよう。

 凛とした青い眼差しに、整った面立ちは、感情の見えない無表情であっても、見ているほうが怯んでしまうような美しさだ。

 

「おっかえりーアリアちゃーん! 今日はクエストどうだった? キツくなかった?

 ほら、こっち席とってあるから来なよ! ……おら、どけよお前ら! ここはアリアちゃんの特等席なんだよ!」


「へっ、ダンのやつは相変わらずだな」 


 長身で茶髪の、ダンと呼ばれた冒険者の青年が、すでに座っていた新人たちを無理やり追い払う。


 テーブルを追われた新人たちは、物言いたげにその場に留まっていたが、


「あ? なんだよ。この俺になんか文句でもあるってのか?

 もう助けてやらねーぞ!? お?」


「……いえ、なんでもないっす」


「だったら失せろ! お前ら今日夜警だろ、さっさと行け!」


 ダンに睨まれると、悔しそうにその場を去っていった。

 そんな彼らを尻目に、ダンはえびす顔でアリアを自分の席に招き入れようとする。


(まあ、ダンもロクなやつじゃないが、冒険者にしちゃマシなほうだ。ああいう普通の付き合いも経験したほうがいいだろう)


 そう思いながら、アッシュは最後の一口をポイと口の中に放り込んだ。


「ほら、座って座って。久々の遠征、疲れたっしょ? 俺がなんでも奢るからさ、愚痴でもなんでも聞かせてよ~」


「いい。私は兄さんと――」


 そう言いながら、アリアがアッシュのほうを振り返ったとき。

 すでに、そこにアッシュの姿はなく。

 完食された食器類だけが残されていた。


 ◆


「ただいま」


「おかえり、どうだった。ダンとの酒は」


「くだらない」


 数時間後。

 質素な一軒家で、アッシュはアリアの帰りを迎えた。

 玄関横の棚に、ガシャンと腰にさげていたレイピアを置くと、膝上まであるブーツも脱がず、アリアはソファーに倒れ込んだ。


 その白雪のように透き通る肌は、薄っすらと赤らんでいた。

 

「珍しいな。飲んだのか?」


「……兄さんが、私のこと無視するから」


「いつも言ってるだろ。外で俺に絡むなって」


 アッシュが出した温かい紅茶を、上体だけ起こしてすすりながら、アリアは口を尖らせる。


「でも、本当にくだらない時間だった。ダンの話はつまらないし、下品だし、酒臭いし。しょうもない愚痴ばっかり。

 おまけに『今日は泊まってかない? 宿、とってあるけど?』だって。信じられない。最っ低」


「そりゃ許せんな」


「でしょ? もうあんなやつに付き合わなくていいよね?」


「ま、一回サシで飲んでもつまらんかったら、距離を置いてもいいかもな」


「だよね。今度からそうする」


 別のソファに腰掛けたアッシュの膝の上に、わざわざ乗りにいくアリア。

 太ももの間で器用に体を丸め、背の高いアッシュの懐にすっぽりと収まってしまう。


「やっぱりここがいい」

 

 ぴょんとはねたアリアの髪が鼻腔をくすぐり、柑橘系の香油の匂いが漂ってくる。


(でっかくなったなあ……)


 そうしみじみ感じながら、アッシュはわざとぶっきらぼうに振る舞った。

 

「重い。折れる」

 

「うわ、ひど。女の子にそんなこと言う?」


 むっと口を尖らせながらも、アリアはアッシュの上からどこうとはせず、アッシュも無理にどかそうとはしなかった。

 しばらくの間、アリアが紅茶をすする音だけがリビングに響く。


「……ねえ、兄さん。今度、ギルマスに言ってみようと思うんだけど」


「ギルドマスターな。……なにを?」


 分かりきったことだが、いちおうアッシュは尋ねた。

 彼の腕の中で、ぐるんと身をひねり、アリアが真剣な目つきで彼を見上げる。


「兄さんのこと」


 想定通りの答えに、アッシュはため息をつく。

 

「……バカ言うな。教会がすっ飛んでくるぞ」


「でも、私嫌なの。兄さんがあんな風に扱われてるの」


「俺は平気だ。だから、お前も気にするな」


「気にするよ。兄さんだもん」


「聞き分けろ。子どもじゃないんだから」


 アッシュはアリアを抱えて、元いたソファに戻すと、立ち上がった。


「ちょっと出てくる」


「何しに?」


「散歩だ。すぐ戻る」


 そう言い残し、アッシュはバタンと玄関のドアを閉めた。

 一人ぼっちになったアリアが、窓辺に立ち、夜闇に消えていく兄の背中を見つめる。

 昼間と同じ、ひょろりとした頼りない背中。

 でも――。


「……嘘つき」

 

 アリアは知っている。

 彼が、誰よりも強い男だということを。

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