神祈機構エーテルコード(Aether Code)―祈ることを禁じられた世界で―パイロット版

BOA-ヴォア

第1話 祈るな

世界の終わりは、意外と静かな音だった。

 風が吹いた。砂が舞った。

 それだけで、人類は滅びの鐘を聞いた。


 祈ることを禁じられたエーテル辺境この地で、少年はひとり廃墟を歩いていた。

 名をアクト。神経調律士。かつて“神殺し”と呼ばれた者。

 手には、壊れた祈素機関のコアが握られている。

 それは光を失い、もはやただの金属塊にすぎなかった。


 「……応答なし、か」


 耳に埋め込まれた通信端末が沈黙を返す。

 この辺境には、もう人の声など残っていない。

 ただ、風が死体の間を抜けていく音だけが、生の代わりに響いていた。


 瓦礫の下で、何かが脈打っている。

 アクトは膝をつき、慎重に手を伸ばす。

 そこにあったのは、少女の形をした祈素核──。


 白い髪。閉じられた瞼。

 胸部の中心には、青白く明滅するエーテルコード。

 機械とも人間ともつかぬその姿に、アクトは息をのんだ。


 「……まさか、君が」


 少女がゆっくりと目を開いた。

 瞳の奥に宿るのは、祈りの光。

 だがこの世界で祈ることは、罪だ。

 彼女が生きているだけで、世界は再び破滅へと向かう。


 「わたし……どこに……?」


 その声は、祈りの残響のように柔らかく、どこか壊れていた。

 アクトは言葉を探したが、何も出てこない。

 彼はただ、静かに首を振った。


 「ここは、祈りが死んだ世界だ」


 少女の頬を、風が撫でた。

 遠くで、警告音が鳴り響く。

 祈素反応を検知した軍の機械兵が、辺境を封鎖するまで、あと十五分。


 アクトは彼女を抱き上げた。

 その身体は驚くほど軽く、だが確かに温もりを持っていた。

 まるで、まだこの世界に“神”が存在している証のように。


 「もう一度だけ、祈ってもいいか」


 彼の言葉に、少女は微かに笑った。

 その笑みは、かつて人々が失った光と同じ色をしていた。


 ──そして、世界が再び動き出す音がした。


 地平線の向こうで、光が揺れた。

 祈素炉が再起動したのだ。

 アクトの視界に、警戒ドローンの赤い警告灯が瞬く。

 この世界では、“神”よりも速く死がやって来る。


 「立てるか?」

 アクトが声を掛けると、少女はゆっくり頷いた。

 その身体は冷たいが、心臓の奥に淡い鼓動があった。

 まるで、壊れた祈りの残響がまだそこにあるようだった。


 「あなたは……だれ?」

 「……亡祈者だ。神を殺した罪人」

 「神……?」

 少女は、まるでその言葉の意味が分からないかのように首をかしげた。


 「知らなくていい」

 アクトは短く答え、彼女の手を引いた。

 崩壊した街の影を縫うように進む。

 足元で、鉄骨が鳴いた。

 灰色の空が、彼らを見下ろしていた。


 やがて、少女が立ち止まった。

 「この空……泣いてるみたい」

 アクトは一瞬だけ足を止め、空を見上げた。

 雨粒のようなエーテル光が降り注ぎ、肌を刺す。

 それは祈りの断片――と呼ばれる現象だった。


 「泣いてなんかいない。これは、嘆きの残滓だ」

 「……嘆き?」

 「祈りを禁じた世界の、末路だよ」


 少女はその言葉を反芻し、小さく呟いた。

 「祈ること、そんなにいけないこと?」


 アクトの胸に、かすかな痛みが走った。

 十年前、妹の小さな手を握りながら、彼は同じ質問を聞いた。

 『ねえ、兄ちゃん。祈るのって、悪いことなの?』

 あのとき、彼は答えられなかった。

 今も答えは出ていない。


 「……祈りは、武器になる。だから、禁じられたんだ」

 「でも、あなたはまだ祈ってる」

 少女の声は、どこか確信に満ちていた。

 アクトは言葉を失う。

 その沈黙を破るように、空が轟いた。


 か……》


 黒い雲を突き抜け、軍の機械兵が降下してくる。

 祈素反応を追跡してきた制圧部隊だ。

 金属の羽が音もなく開き、熱線が走った。

 アクトは少女を抱きかかえ、横へ飛ぶ。


 爆風。

 崩れた壁が、灰の雨を撒き散らす。

 「動けるか?」

 少女は頷く。足元に小さな光が溜まっていた。


 それは祈りの光。

 彼女の体から零れ落ちた純粋な

 アクトの目が見開かれる。


 「それは……触るな!」

 「でも、助けられる……そう、思うの」


 少女が手を伸ばした瞬間、世界が白く染まった。

 祈素の波動が地を裂き、空を歪ませる。

 機械兵が一斉に沈黙する。

 風が止み、音が消えた。


 ──静寂の中で、アクトは確かに見た。

 少女の背中から、光の羽が生えていた。

 それはかつて、人々が崇めた“神”の象徴。


 「君……まさか」

 彼の言葉を遮るように、少女が微笑んだ。


 「ねえ、アクト。祈ってもいい?」


 その問いに、彼は答えられなかった。

 だが次の瞬間、彼女の手のひらから光が弾け、

 辺境の空に──新しいの星が生まれた。

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