日陰者のダンジョン攻略論

月読二兎

第一章 孤独と共鳴

第1話 絶望の契約


「――これより、令和七年度、国立ダンジョン高等学校、入学式を挙行する」


 厳かな声が、真新しい体育館の空気を震わせる。

 私の名前は、深町雫ふかまちしずく。今日からこのダンジョン高校、通称“ダン高”の生徒だ。それも、幼い頃からずっと焦がれてきた、花形のテイマー科の一員。


 壇上に立つ校長の、おそらくはありがたいお話は、右から左へと通り過ぎていく。心臓が早鐘のように鳴り響いて、ぎゅっと握りしめた制服のスカートの裾が、汗でじっとりと湿っていた。


 周りを見渡せば、誰もが自信に満ちたオーラを放っている。

「父もここのOBでね」と聞こえよがしに語る者、中学時代の実績をスマホで見せ合う者、すでに気の合う仲間を見つけて談笑する者。そこは、希望と才能がきらきらと乱反射する世界。

 その光に目が眩みそうで、私は小さく息を吐いてうつむいた。


(大丈夫。私だって、ちゃんと試験をパスしたんだから……)


 震える指でポケットから学生証デバイスを取り出す。ごく普通のスマートフォンにしか見えないそれに、私の未来を左右する情報が刻まれているはずだ。画面をタップし、自分のステータスを表示させる。


【深町 雫(ふかまち しずく)】

 所属: 高等部一年 テイマー科

 レベル: 1

 スキル: なし

 ステータス:

【魔力制御: E】

【同調率: S (※ただし負の感情限定)】

【指揮範囲: F】


 ……ひどい。

 分かっていたことだけど、こうして冷たいデジタル文字で突きつけられると、心がガラスのように軋む音がした。

 テイマーの根幹をなす【魔力制御】と【指揮範囲】が、最低ランクのEとF。唯一Sランクの【同調率】には、「負の感情限定」なんていう、まるで呪いのような注釈がついている。

 これじゃあ、まるで日陰を歩くために生まれてきたみたいじゃないか。


 そんな私の耳に、すぐ隣の席から聞こえてきた弾むような声が突き刺さる。

「見て見て! 私の初期スキル、【火属性親和(小)】だって! やっぱり攻撃系の魔法使い目指そっかな!」

「お前すげーな! 俺なんて【筋力増強(微)】だぜ?」


 デバイスの画面を覗き込み、きゃっきゃとはしゃぐ声。私は慌てて自分の画面を消し、デバイスをポケットの奥深くに押し込んだ。まるで、誰にも見られてはいけない秘密を隠すように。


 ◆


 入学式の後、テイマー科の新入生だけが集められたのは、「契約の間」と呼ばれる広大な実習場だった。

 ドーム状の天井から降り注ぐ魔力光に照らされ、壁際には多種多様なモンスターの幼体が入った魔力ケージがずらりと並んでいる。


「新入生諸君、ようこそテイマー科へ。私が担任の権田ごんだだ」


 筋骨隆々とした体躯の教官が、腹の底から響くような低い声で説明を始める。

「今日はお前たちに、高校三年間を共にする最初のパートナーを選んでもらう。『契約の儀』だ。ここにいるのは、いずれも将来有望なモンスターばかり。自分の魔力波長と最も共鳴する個体を見つけ出し、契約を交わせ」


 ごくり、と誰かが唾を飲む音が、やけに大きく聞こえた。


「なお、この儀式の様子は各自のデバイスで記録することが推奨されている。良きパートナーと出会えた証は、お前たちの将来にとって重要なポートフォリオとなるからな。心して臨め」


 その言葉を合図に、何人かの生徒が手際よくウェアラブルカメラを起動させる。皆、今日この日のために万全の準備をしてきたのだろう。


「では、出席番号一番、神楽坂怜かぐらざかれい! 前へ!」

「はい」


 凛とした声と共に、一人の女子生徒が歩み出る。絹のような艶のある黒髪、気品に満ちた立ち居振る舞い。彼女こそ、入学前から『神童』と噂されていた神楽坂さんだ。

 彼女は数多のケージには目もくれず、部屋の中央に置かれた一際大きなケージの前で立ち止まった。中にいたのは、純白の毛並みを持つ、小さな一角獣――聖獣ユニコーンの雛だった。


「まあ……ユニコーン……!」

「血統書付きの聖獣じゃないか……!」


 場内のどよめきを背に、神楽坂さんは優雅に微笑み、ケージにそっと手を触れる。

「おいでなさい。今日から、わたくしがあなたの主です」

 すると、あれほど気高く周囲を警戒していたユニコーンが、まるで魂で引き寄せられるように彼女の手に鼻先をすり寄せた。眩い光が二人を包み込み、契約が成立したことを示す魔法陣が床に浮かび上がる。


 その瞬間、実習場はデバイスのシャッター音や録画開始の電子音で満たされた。

 私のポケットの中の学生証デバイスも、ブルブルと震えている。見なくても分かる。きっと、彼女を賞賛する投稿でタイムラインが洪水のように溢れかえっているに違いない。


 次に呼ばれたのは、黒峰刃くろみねじんくん。寡黙で、人を寄せ付けない鋭い雰囲気を持つ男子生徒だ。

 彼は力強い足取りで進むと、唸り声を上げる漆黒の子犬――魔獣ヘルハウンドのケージの前に立った。そして、ただ一言。

「黙って従え」

 その覇気に満ちた声に、ヘルハウンドはピタリと牙を隠し、彼の足元にひれ伏した。これもまた、圧倒的な才能の証明だった。


 その後も、生徒たちは次々と有望なモンスターと契約していく。ベビーウルフ、コボルト、スライムナイト。どれも、ダンジョン攻略の戦力として誰もが知る優良種ばかりだ。


 そして、ついにその時が来た。

「――次、深町雫!」

「は、はいっ!」


 裏返った声が出た。震える足で前に出る。数十の視線と、いくつもの無機質なカメラレンズが、私という存在を査定するように突き刺さるのを感じた。


(大丈夫、大丈夫……私だって、何か一つくらい……)


 私はまず、一番無難そうなベビーウルフのケージに近づいた。人懐っこいはずのそれは、私を見るなりグルルル…と喉を鳴らし、敵意を剥き出しにする。

 慌てて離れ、次はごく普通のゲル状スライムに手を伸ばす。しかし、スライムはぷいっと身を翻し、ケージの隅っこに引きこもってしまった。

 ゴブリンには威嚇され、コボルトには鼻で笑われた(ように見えた)。


 何をしても、ダメだった。

 どのモンスターも、私を拒絶する。私の持つ「負の感情」に共鳴する魔力が、彼らにとっては不快で、不気味なノイズにしか感じられないのだ。

 ざわ…ざわ…。

 教室の空気が、憐れみと嘲笑の色にゆっくりと染まっていく。もう、泣きそうだった。この場から消えてなくなりたかった。


 その時だった。

 ふと、部屋の隅にある、一つのケージが目に入った。

 他のケージとは違い、錆びついたそれに、「廃棄予定」と書かれたプレートがぶら下がっている。

 中を覗き込むと、そこにいたのは、濁った茶色の、ヘドロのようなスライムだった。周囲には、鼻を突くような腐敗臭が微かに漂っている。

 腐肉スライム。モンスター図鑑の隅っこに「不人気」「無価値」と記されていた、最底辺のモンスターだ。


「うわ、臭っ……」

「なんであんなのが契約の間にいるんだよ」


 誰もが顔をしかめ、そこから距離を取る。

 でも、私だけは違った。

 そのスライムから、微かな「声」が聞こえたのだ。


(……さみしい)

(……ここにいるよ)

(……どうせ誰も、見てくれない)


 それは、言葉ではない。悲しみ、孤独、諦め。そんな感情の波が、私の心のひび割れに、そっと流れ込んでくる。

 ああ、なんだ。

 ――私と、同じだ。


 気づけば、私はそのケージの前に立っていた。そして、錆びた格子に震える手を伸ばす。

 周囲の生徒たちが息を飲むのが分かった。教官が何かを言いかける気配もした。

 でも、もうどうでもよかった。


 私の指先に、冷たくて、ぬるりとした感触が伝わる。

 腐肉スライムは、逃げなかった。それどころか、まるで長年待ち続けた温もりに触れたかのように、私の手にその身をすり寄せてきたのだ。


 淡い、闇色の光が私の手を包む。床に浮かび上がった契約の紋様は、弱々しくて、今にも消えてしまいそうだった。


 しん、と静まり返った実習場に、誰かがぽつりと呟いた声が響く。

「うそだろ……腐ったスライム……?」


 それを皮切りに、こらえきれないクスクスという笑い声が、波のように広がっていった。

 カメラを向ける者は、もう誰もいない。ただ、面白半分にスマホのカメラを向ける数人がいるだけだ。


 ああ、終わった。

 私のダンジョン高校での生活は、今日、始まった瞬間に終わったんだ。

 これから三年間、私は「腐ったスライムのテイマー」として、この嘲笑の的であり続けるのだろう。


 絶望に目の前が暗くなる。

 その時、腕の中に収まったスライムから、また「声」が聞こえた。


(……あったかい)

(……きみは、だれ?)


 それは、ほんの少しだけ、私の心を照らす、小さな小さな光のように感じられた。


 ポケットの中で、学生証デバイスが、まるで世界の悪意を凝縮したかのように、通知のバイブレーションをけたたましく鳴り響かせていた。

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