死神のクリスマスプレゼント

奈良まさや

第1話

🔳第一章 死神のプレゼント


小田原の病院、六階。

カーテンの向こうで点滴の雫が、規則正しく落ちていた。

宮本智、六十二歳。大腸癌ステージⅡ。

手術入院初日。消灯前の病室は、ホテルのロビーのように静かだった。


「イブに入院なんて、何かいいことありますね、きっと」

看護師が冗談めかして笑ったが、智は笑わなかった。


「うちのカミさんも、去年のイブは病室だったんだよ。乳がんでな」

短く言ったあと、窓の外を見た。

街のイルミネーションが、遠くでにじんでいる。


その夜、眠れなかった。

時計の針が零時を回ったころ——

カーテンの隙間から、ひとりの”客”が入ってきた。


「こんばんは、宮本智さん」

黒いコートに赤いマフラー。

背は高く、顔は薄暗がりに溶けて見えない。

ただ、声だけがやけに澄んでいた。


「……誰だ?」

「死神です」

「は?」

「クリスマスプレゼントをお届けに参りました」


智は点滴スタンドを掴んだまま硬直した。

「悪い冗談だな。そんな配達いらねぇよ」

「そう言うと思いました。ですが、これは特別なプレゼントですよ」


死神はベッド脇の椅子に腰を下ろし、白い封筒から折り畳まれた

紙を取り出した。

「お孫さん、結衣ちゃん。六歳ですね」

智の胸が凍った。


「……なんで、その名前を」

「来年の三月、原因不明の感染症で亡くなります」

「やめろ」

「わたしの見た”可能性の高い未来”です。このままでは、止められません」


沈黙。

心拍計のピッピッという音だけが、時間を切り取っていく。


「ただし——」

死神は指を立てた。

「あなたが代わりに死ねば、未来を”置き換え”ることができます」

「これが契約書です」

と先程の紙を開いた。


智は乾いた笑いをもらした。

「俺が死ねば、あの子が助かるってのか?」

「はい。簡単な取引です」

「……安っぽい映画みたいだな」


智はゆっくりと息を吐いた。

「未来ってのは確定しているものなのか?」

「いえ。未来には無数の可能性があります。わたしは、その中で最も確率の高い道筋を見ているだけです」

「お前、占い師か」

「いえ、可能性の観察者です」


智は、枕元の写真立てに目をやった。

そこには結衣がランドセルを背負って笑っている。

秋に一緒に買いに行ったばかりだった。


「……あの子は、春から一年生なんだ」

「ええ。でも、このままでは、その春は訪れません」


静寂。

智は唇を噛みしめた。


「いいだろう。俺が死ぬ」

死神の目が光った。

「承諾しますか?」

「ああ。どうせ、この手術が終わっても長くはねぇだろ」

「素晴らしい。では、あなたの魂を——」


死神が契約書を差し出した、その瞬間——

《ナースコールが押されています。宮本さん、大丈夫ですか?》

機械音が鳴り、智は慌てて手を引いた。


「大丈夫だ……いや、ベッドを起こすスイッチと間違って、すみません」

そう言って手を下ろしたとき、何か温かい感触が残った。

点滴の針を直したせいで、指先にわずかな血がにじんでいた。


死神が笑ったように見えた。

「夜の病室は、暗いですね」

「蝋燭ならありますよ」

智は苦笑いし、枕元のスイッチをもう一度確かめた。


「智さん、何か気掛かりありますか?」

死神は優しく話しかけてきた。


🔳第二章 翔の秘密


智は、静かに息を吐いた。

「……そういえば、あいつに会ったんだよ。息子の翔に」


死神の目が細くなった。

「ええ、彼にも会いました。取引の話をしましたよ」


智の手が止まった。

「やっぱり、お前が……。あいつが急に帰ってきたのは、そのせいか」


十二月始めの記憶がよみがえる。

海外赴任中の翔が、突然、一日だけ帰国した。

その日、久々に父子で会った。

だが翔は、何も言わずに去って行った。


「翔は、おまえの話を俺に伝えるために来たんだな」

「はい。ですが、彼は言えなかった。

“父親を死なせて娘を救う”——その選択を、あなたに押しつけることができなかった」


智は目を閉じた。

あの日の翔の顔が浮かぶ。

疲れ切ったような笑顔。

そして、帰り際に軽く抱き合った瞬間——わずかな咳。


「……あいつ、咳してたな」

「ええ」

死神の声は淡々としていた。


「実は彼は、未知のウイルスに感染していました。まだ誰も知らない新型株です。

年末、彼が再び帰国し、家族に会えば——感染が広がります。結衣ちゃんにも」


「つまり……翔が、原因か」

「そうです。彼は年末の帰省を予定しています。そこから感染が始まる。

パンデミックの起点となるのは、あなたの家族です」


智は肩を震わせた。

「ふざけるな……そんな話、納得できるかよ」

「しかし、それが”最も確率の高い未来”です」


智は、点滴の管を指で弾いた。

「結衣の命を守るために、俺が死ぬ。——それで、本当に救えるのか?」


死神の赤いマフラーが、ふわりと揺れた。

「正直に申し上げます。わたしには、人間を直接殺す力はありません。

わたしができるのは、未来の可能性を”見る”こと、そして、その情報を”伝える”ことだけです」

「あと、契約書を締結することです」


「じゃあ、この取引は……」

「あなたが自ら命を差し出せば、その決断の重みが、運命の流れを変える——そう信じています。

未来の可能性を広げる覚悟です」

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