第二章 仲間との出会い

1. 魔界ネズミが出ました

 街を出てからしばらく森を歩いていたチェラシュカたちは、微かに聞こえてくる足音のようなカサカサとした物音に気がついた。

 

「何かしら?」

 

 ラキュスは息を潜めて周りの様子を窺っている。チェラシュカもそれに倣いじっとしていると、物音が近付いてきた。

 しかも、その音はどんどん増えており、四方から何かが向かってこようとしていることがわかった。

 ラキュスが無言で二人の周りを囲う水のドームを作り、警戒態勢をとった。そのとき、ギュイイッという甲高い音と共に何かが飛び出してきた。

 水のドームにぶつかって跳ね返ったそれは、大きなネズミのようだった。

 赤黒く禍々しい色をしているそのネズミを観察していると、次々と同じようなネズミが甲高い鳴き声と共にこちらへ向かってきていた。

 

「まあ……」

「なんだあいつらは……」

 

 水のドームにひたすら突進して跳ね返るネズミたちは、ざっと見たところ三十はいるだろうか。

 大きさはチェラシュカの顔ほどあり、普通のネズミではなさそうだ。もしかすると魔獣の一種かもしれない。

 

 ドーム自体はネズミに何度ぶつかられてもびくともせず、ラキュス自身も余裕そうだった。

 だが、このまま防戦一方だとここから動くことができない。

 

「ラキュス」

「……そうだな」

 

 そろそろこちらから攻撃を仕掛ける必要がありそうだと思い、ラキュスに声をかける。これまで街で年に一度行われていた戦闘訓練の成果を活かす時が、早速来たようだ。

 そう思ったとき、進行方向からガサガサと音がして何者かが現れた。

 

 夕焼けを思わせる赤みがかったオレンジ色のふわふわした髪に、真っ赤な瞳が印象的だ。耳と尻尾から察するに、肉食動物の獣人だろうか。よくみると髪も一房後ろでまとめており、尻尾のように見える。

 その獣人はこちらを一瞥すると、オラァッ! と大声を出しながら近くにいた大きなネズミを力いっぱい殴った。

 ギュイイイッという鳴き声がしたが、どうやらこのネズミの断末魔のようだ。

 その声を聞いた他のネズミたちは、標的をチェラシュカたちからそちらへと変えたらしく、一斉にそちらへと向かっていった。

 

「ああっ! だ、大丈夫かしら!?」

「チェリ、じっとしてろって」

 

 固唾を飲んで注視していると、その獣人は飛びかかってきたネズミ全てを殴り飛ばしていた。時たま足で蹴ったりもしていたが、どちらにしろものすごい威力のようだ。

 あれだけうじゃうじゃといたネズミたちはどんどんと動いているものが少なくなり、あっという間に最後の一匹までやっつけられてしまった。

 ネズミが殴られた直後は辺りに血が飛び散っていたが、いつのまにか殴られてぐちゃぐちゃになったネズミの死骸ごと綺麗さっぱりなくなっていた。そんなものがいるかは知らないが、揮発性の高い血を持つネズミだったのだろうか。

 

 事情を知らなければ一方的なネズミの大殺戮が行われているようだったが、襲われていたのはチェラシュカたちで、襲ってきたのはネズミたちである。

 チェラシュカたちは基本的に無闇な殺生は避けているが、助けられたのに生き物を殺すことに文句を言うような、恩知らずな振る舞いはしたくない。

 ラキュスが水のドームを解除すると、先程までネズミと戦っていた獣人がこちらへやってきた。


「お前ら、大丈夫か!?」

「ああ……助かった」

「危ないところだったわ。ありがとうございます、親切なお方」

「それはよかった。あいつら魔界ネズミっつーんだが、退治しても退治しても増えるスピードに追いつかねえんだよな」

 

 彼はそう言いながら、ポケットから取り出したハンカチで手を拭っていた。一見すると、目尻の上がった目からキツそうな印象を受ける顔立ちではあるが、刺繍の施されたハンカチで丁寧に指先まで拭くあたり、結構繊細な人なのかもしれない。

 そんな風に思いながら見ていたチェラシュカの視線に気付いたのか、彼はハンカチを畳んで元の場所にしまうと、人好きのする笑みを浮かべてこちらへと視線を向けた。すると、先程までのどこか迫力のある凛々しい雰囲気から一転、人懐っこそうな雰囲気へと変化する。

 

「ところで、桜色の髪の可憐なお嬢さん。この素敵な出会いを祝して、お茶でもどうですか?」

「なっ……」

「まあ」


 想定外のお誘いにチェラシュカは思わず彼をじっと見返してしまった。ラキュスはその隣で硬直しているようだ。


「チェリ、下がれ」


 ラキュスが固まっていたのも束の間のことで、すぐにチェラシュカの前に出たものの、獣人の彼は気にした様子もなくこちらをにこやかに見つめていた。チェラシュカは瞬きを一つすると、一呼吸おいてから口を開いた。

 

「そういえば、助けていただいた方に名乗りもしないなんて失礼だったわね。私はチェラシュカ。こちらはラキュス。あなたは?」

「おっと、こちらこそ失礼を。オレはレオニクス・ルーガ。見ての通り、獅子の獣人だ。気軽にレオンと呼んでくれ」

「レオニクス、よろしくね」

「ああ、よろしく!」

「……」

 

 ラキュスは全く警戒している素振りを隠さず、レオニクスの言動をじっと見つめていた。

 ラキュス、と小声で呼んで脇腹を突くと、彼は「……ラキュスだ」と非常に嫌そうな声で名乗っていた。


「ラキュス、よろしくな!」

 

 そう言ったレオニクスは、突如ラキュスの肩に腕を回してくるりとラキュスの向きをかえた。

 

「ちょっ、触るな!」

「そんなこと言うなよー、せっかく出会えたんだ。仲良くしようぜ」

 

 彼はそう言いながらチェラシュカの肩にも手を回すと、二人に回した手をぐっと引いた。

 

「なあ、チェリちゃんだっけ。ちょうどいい時間だしラキュスも一緒にさ、飯でも食いに行きませんか?」

 

 チェラシュカは、彼の言い回しがとってつけたような敬語だなと思いながら、肩に回された手をパシリと軽くはたいて一歩横に動いた。

 

「助けていただいたことにはお礼をしたいと思いますし、その恩があるので馴れ馴れしく呼ばれることにも目をつむりますが、私に触れる許可は出していませんよ」

「おっ……と、」

 

 こちらを向いたレオニクスの顔には、そんなこと言われるとは思ってもみなかった、と書いてある。

 目をまんまるにして、チェラシュカの肩に回していた手をそろりと上に上げた。

 

「それは失礼しました」

「私たちと本当に仲良くなりたいと思っているなら、誠実に行動すべきだと思います。この場限りだからどう思われてもいいというなら、それで構いませんが」

 

 それを聞いた彼は、ラキュスの肩に回していた手もそっと上げた。

 

「私たちが妖精であるということは、見ておわかりになりましたよね」

「あ、ああ」

「私たち妖精は他種族から狙われることが多いため、見知らぬ相手との不用意な接触は避けています」

「……狙われる?」

「ええ。何故なら、」

「俺たちは魔力の塊だから、良質な魔力源として攫われる恐れがある。妖精から高濃度で魔力を抽出する器具も出回っていて、悪用している奴らがいると聞いている」


 チェラシュカが説明しようとしたところ、ラキュスの言葉が被さった。

 どうやら、彼はチェラシュカに気を遣ってくれたようだった。

 妖精たちを魔力の塊としか見做さない者がいることなど、妖精なら誰もが知っていることだ。改めて口にすることで再度ショックを受けたりなんてしないのだが。

 そう考えながら、チェラシュカは再び口を開いた。

 

「あなたは知らなかったのかもしれないけれど、獣人が大量の魔力を得てもそうそう使いみちがないとはいえ、お金目当てで雇われている獣人も多いと聞くから……」

 

 二人の話を聞いたレオニクスは何も言えないようだった。

 愕然とした様子の彼は、魔力源として捕まってしまった妖精がどのような目にあうのか、想像がついてしまったのだろう。

 衝撃と、悲しみと、後悔と、怒りが混ざりあったような複雑な表情をしている。

 

「まあ、初対面のレディにみだりに触れるものでもないと思うわ」

 

 そう茶化して言ってみたが、彼の表情は変わらないままだった。

 

「なんでそれをオレに……?」

 

 そう聞かれて、チェラシュカはラキュスと目を合わせた後こう答えた。

 

「あなたのことは信用できると思ったから」

「え……」

「あなた、本当は荒事は得意ではないのではないかしら?」

 

 レオニクスは驚いたようにこちらを見つめた。

 

「だって、明らかに戦い慣れていなかったもの」

「ええ……嘘だろ……」

「まあ、どちらかというと自分の力を使いこなせてないって感じだな」

「そうね、ラキュスの言う通りだわ」

 

 確かに彼は、チェラシュカたちが魔界ネズミに襲われているところに颯爽とやってきて、ものの数分もしないうちに殲滅させた。

 だが、見たところあの魔界ネズミは数が多いだけで、近くに水場がない状態のラキュスの水魔法でも十分に倒せそうだった。にもかかわらず、レオニクスは全力を

 過剰なまでに殴りつけられたネズミたちは、元の形がわからない程だった。

 戦い慣れている者であれば、あの魔獣を退治するのに必要以上に攻撃しないだろう。

 なんせここはまだ森の中だ、いつ他に危険な動物が出るとも限らないため、体力を温存する必要がある。学校で妖精たちに自衛について教えていた先生も、逃げるための体力を残すことを最優先しろと言っていた。

 もちろん、獣人だから妖精より体力も腕力もあるのだろう。だがあれほどまでに執拗に攻撃したのは、親しい人が魔界ネズミに殺されたか、あるいは――。

 

「どれくらいで致命傷になるか、わかっていなかったんじゃないかしら」

 

 ぴくり、とレオニクスの耳が反応した。チェラシュカの言葉を聞き逃すまいとこちらに向けている様子が、なんだか可愛く見えてくる。

 

「あいつらは多少大きかったが、それでも魔獣であるだけのただのネズミだろう。凄まじい自己治癒能力を持っているようでもなかったし、急所をやれば十分だったはずだ。原型がなくなるまでぐちゃぐちゃにする必要はなかった」

「それは……」

「だからこそ、あなたの強さは悪事に使われたりはしていないって思ったの。攫った対象をぐちゃぐちゃにされたら困るものね?」

 

 ふふっと笑いを堪えながら言うと、笑い事じゃないだろうとラキュスに突っ込まれる。

 でも、想像してみてほしい。悪い組織で荒事担当の獣人が、捕らえるはずの妖精をうっかり殺しちゃうなんて、誰もハッピーじゃなくて一周回って面白い。

 そうは思うものの、チェラシュカはそういった考えが共感を得にくいことも知っているため、それ以上そこに言及するのはやめた。

 

「それに、少し震えていたもの」

「えっ」

「武者震いかとも思ったけれど、それにしては顔色も悪かったし。だからね、レオニクスはもう魔獣と出会わないために早くここから去りたいんだろうなって思ったの。私たちが一緒かどうかはどちらでもよくて、とはいえ流石に何も言わずに去るのは気が咎めて、私たちを連れて無理やり動こうとしたんでしょう」

「そうだったのか?」

 

 ラキュスが驚いているが、どうやら気付いていなかったようだ。

 

「着ている服も綺麗すぎるわ。たまたまおろしたてということもあるかもしれないけど、森を抜ける服装としては不自然ね」

「そうかあ……?」

 

 レオニクスは自分とラキュスの服装を見比べている。

 

「私たちは、多少汚れても魔法で綺麗にできるのよ」

「なるほど……」

 

 ずっりぃなあ、と彼は呟いた。なんとなく決まりが悪そうにも見える。どうやら、颯爽と助けに入ったのに戦闘に慣れていなかったことを見抜かれて、少し恥ずかしくなってしまったようだ。


「そういうわけだから、他の妖精に会ったときは気を付けてくれるとありがたいわ」

「わかった。不用意には近付かねえようにする」

「ありがとう。妖精に優しい他種族が増えると私も嬉しいわ。獣人にとってもそういうことがあれば、遠慮なく教えてね」

「ああ。もしあったらそうするな」


 素直にこく、と頷いたレオニクスにチェラシュカはニコ、と笑いかけた。

 

「色々言いはしたけれど、こうやって助けてくれてとても嬉しかったわ。ありがとう、レオニクス」

「……おう」

 

 それじゃあ、とチェラシュカは両手をぱちんと合わせた。

 

「こうしてお互いについて少し知ったところで、改めて確認するわ。レオニクスはどうしてここにいて、どこに何をしに行く予定だったの?」

「え!? えーと……オレの家はあっちの方にあって……」

 

 急に話の方向が変わったことにレオニクスは戸惑っているようだったが、説明しながら森の外れを指差した。

 それから反対方向を指差してまた口を開いた。

 

「んで、あっちにアウステリアの首都メリスがあって、買い物に行くところだった」

「なるほど、買い物ね」

「ああ」

 

 レオニクスはなんとなく緊張した面持ちをしているようだった。しかし、チェラシュカはあまり気にせず口を開く。

 

「私たちもメリスへ行くところだったの。良ければ途中までご一緒してもいいかしら」

「おう! もちろんだ」

「何かオススメのご飯はある? 良ければ私たちにご馳走させてくれるかしら」

「えっ、いいのか?」

「言ったでしょう? お礼をさせてほしいって。レオニクスに助けられたことは事実なのだから。ねえ?」


 チェラシュカはそう言ってラキュスの方を向いた。


「そうだな。助けられた以上借りは返すべきだ」

「ラキュス……お前、いいやつだな!」

「当たり前のことを言っただけだろ」

 

 ラキュスは真顔で返事をしているが、内心は嬉しいに違いない。

 巧妙に隠してはいるが、ラキュスの口角が微妙に上がっている。あれは嬉しさを誤魔化すときの顔だ、とチェラシュカは知っているのだ。


 というわけで、紆余曲折ありながらも、三人は共にメリスへ向かうことになったのだった。

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