第3話

 tatsuと旅を続けて、ついにU州の領域へと踏み入った。


 この時の虎皮の男は気を張り詰めていた。


 もしも本当に龍が現れたら、いや龍の姿を偽る凶獣と遭遇したら。


 背に負ったこの剣で偽龍の異形を両断せねばならない。


 そう己に言い聞かせて気を引き締めた。


 しかし、U州に入って一刻ほど道を進んでもそれらしきものは見当たらない。


 ただただ長閑な田舎の風景が広がっているだけだ。


 道中に立ち寄った駅や村で聞き込みもした。


 皆口々に『噂は聞いたが見たことは無い』と答える。


 州都に着いてから調査をしても同じ返事しか返ってこない。


 埒が明かないから虎皮の男は治所を訪れて地方長官に話を聞いた。


 地方長官は答えた。


 龍が目撃されたのは厳密にはU州の領内ではない。


 長城の外、北狄との戦場となっている草原においてだという。


 蛮族掃討の任に当たった兵の中にはちらほらと、『夜空の内に青い龍の姿を見た』と証言する者が確かにいる。


 けれども何ぶん帝国の領外であるから真偽についての調べは出来ていない。


 ここまでを述べた後、地方長官は虎皮の男に言った。


「貴殿の武勇はこの辺境の地まで轟いております。 情けなく恥ずかしいことですが私の指揮する軍は現在、蛮族共に劣勢を強いられています。 当代一と謳われる貴殿の剣技で、どうか私共にお力添えいただけませんか?」


 このように随分とへりくだった物言いをされた。


 だが勘違いしてはならない。相手は天子から帝国の一部の統治を任せられた地方長官。

 

 帝の代理人と言っても過言ではない。


 対して虎皮の男は帝からの勅を賜ったとはいえ所詮は一兵卒だ。


 立場関係上、許諾する以外の選択は出来ない。


 また地方長官の話を聞く限り、龍の調査をするには長城の外の草原へ繰り出す必要がある。


 これらの理由から虎皮の男は北狄の征討へ参加することとなった。





 北狄の討伐に臨むにあたり、虎皮の男には二つの懸念があった。


 一つは北狄という集団の特性について。


 北狄共は家を持たない。


 常に馬に乗って移動し、奇妙な形の幕屋を張って野営する。


 常に馬上にあるというのは戦の時もだ。


 帝国にも騎兵は存在する。虎皮の男も馬上での戦いの鍛錬は積んだ。


 しかし帝国の騎兵というのは軍全体の比率から言えば僅かだ。


 対して北狄の兵は全てが騎馬している。

 

 老兵から新兵まで、例外なくだ。


 虎皮の男は全てが騎馬兵で構成された集団との戦闘はこれが初めてだった。


 騎馬隊だけの集団に己がどのように立ち回れるか、虎皮の男には見当がつかなかった。



 もう一つの懸念はtatsuについてだ。


 地方長官からの北狄征討の求めを承諾して治所を出た後。


 その日の宿を探しに市外へと向かう道すがらにtatsuが言った。


「先生が長城の外に出るときは、俺もついていくよ」


 ――止めておけ。


 虎皮の男はtatsuを制した。


 帝国領内で往来を扼する賊共と、異民族の軍団とでは訳が違う。


 普段のごとく窮地に加勢してやれるかはわからない。


 しかしtatsuは引き下がらなかった。


「先生は言ってくれたよね。 俺に『光るようなものがあるなら』弟子にしてくれるって。 これがきっと、俺の才能を先生に示す絶好の機会だと思うんだ」


 虎皮の男はそれ以上止めなかった。


 過度に心配するそぶりを見せて何時ぞやの、めおとの話と関係づけられては面倒だからだ。


 ――勝てないと思った敵からは逃げろ。それだけは守れ。


 そう忠告だけして後は何も言わなかった。


「わかった」


 とtatsuは答えた。





 実際に長城の外の草原、北狄との戦場に繰り出してみれば虎皮の男の懸念は杞憂だったと言ってよかった。


 やはり蛮族共の兵は皆、馬に乗っていた。


 曇天の下、冬の厳寒の内に馬共の鼻嵐が白く吹き荒れる様は異な光景だった。


 しかし馬上にいるのは詰まるところ、ただの人だ。


 戈で首に穴を開けてやれば殺せる。


 そこで殺せずとも戈を引っ掛けて鞍壺から落としてやれば殺せる。


 それで未だ生きていても、この時には既に平生の地上での戦いだ。


 背に負った剣で首を切ったり、臓物を壊してやれば殺せる。


 こうも簡単に殺せるのだから騎馬の異民族も道を扼する賊と大差ない。


 虎皮の男は淡々と素振りの鍛錬をするごとく屍を積み上げた。


 tatsuについても心配には及ばなかった。


 軽い身のこなしで敵を避けて、その小手先の器用さで隙を見てはからかうように一人、一人と着実に屠っていく。


「先生、俺もなかなかやるだろう?」


 戦場でのすれ違い様にtatsuが言った。


 虎皮の男は、脇見するな、とだけ言って離れた。


 



 虎皮の男は蛮族共を殺し続けて、千の首を積み上げた。


 平原の草地は屍共の血やら、糞やら、その他の汁でぬらぬらとしていた。

 

 戦場には人体の内側の嫌な臭気が満ちていた。


 すっかり日は落ちて、空を覆う雲は流され、新月の夜に星々がか細い光を放つ。


 それでも殺せる北狄共は未だうじゃうじゃといる。


 虎皮の男が次の千の首の山を築こうとした時だ。


 虎皮の男の頭上、戦場の兵共の頭上を凄まじい一条の光が瞬く間に駆け抜けた。


 光の通り道では夜が割れて、真昼のような蒼天が現れた。


 そして再び閉じて夜になった。


『龍だ』


 と、戦場の誰かが言った。


 それから他の者共も、龍だ、龍だ、と口々に言う。


 虎皮の男は愚か者だが、これでも帝に仕え、都に住んでいる。


 辺境の田舎侍なんぞよりかは学がある。


 虎皮の男には上空を去った一条の光が隕石だと分かった。


 流星があまりにも地上に迫ると白昼の如く空を照らすのだ。


 虎皮の男は眼前の敵を一つ一つ葬ることに集中して龍のことなど忘れていた。


 周囲の呟きから龍のことを思い出して、それから嬉しくなった。


 良かった。やはり龍なんていなかった。


 正体は隕石だった。無知な田舎者の勘違いだ。


 笑い話として帝に奏しよう。


 戈を振るう頭の片隅で虎皮の男はそのように考えた。

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