リコール/Recall

バズ右耳

第1話 出会い

カラァン


 小洒落たドアが音を立てて開き、小洒落た格好の女性が姿を現す。女性に目を合わせる。きっとそこには、警戒と好奇とが六対四くらいの割合で配合され混ざりあっているのだろうと心の中で自負する。

「来てくれたのだな。嬉しいよ」

 そんな僕の六分の警戒を懐柔せんとするように、女性は真っ直ぐと僕の目を見た。



 リコール/Recall 第一話:出会い



 ー数時間前ー

 


 僕、三上唯人みかみゆいとはその日、警察士官学校からの帰り道にいた。生まれた頃から知っている僕の故郷。住み慣れたこの街は大きくないが、この閑散とした住宅街を独占するように歩く感覚は如何に雄大な高層ビル群やテーマパーク体験にも代え難いものであると思う。そう、例えばこうやってちょっと車道に出たくらいじゃ誰にも文句を言われない。


通りに人が誰も歩いておらず鳥の声ばかりが響き渡る景観。と形容するといささか寂しい気もするが、今日の日の静観極まるこの空間は時間帯のせいでもあるのだろう。腕時計に目を落とす。時刻はまだ二時だ。今日は士官学校を早退したのだ、母の見舞いのために。


 土産の果物を紙袋に入れ、静かな通りをただ歩く。鳥の声が響く。共に、あっという女性の声も。


 声はすぐ横の住宅のベランダから。二階に住まう住民が植木鉢を落としてしまう所だった。位置は僕の頭上からは離れていて直撃の心配は無い。しかしその真下、落下地点と思しき場所に、ちょうど曲がり角を曲がって姿を現した一人の女性が。


「危ないッ!」

 ガシャアン!!


 咄嗟に女性の元へ走り手を引く。植木鉢は何とか女性の頭上を逸れ、大きな響く音を立てて地面に落下、炸裂した。ホッと胸を撫で下ろす。危うく悲劇を目の当たりにする所であった。


「大丈夫ですか?」

「……ああ、助けられたみたいだ。礼を言おう」


 女性は髪を耳にかける仕草をする。落ち着いたダークブラウンの長髪がふわりと靡き、ラベンダーの香水の香りが漂う。


 女性は僕の顔と落ちて割れた植木鉢の残骸とを交互に見つめる。不思議そうに顎に手を当て、それから尋ねた。


「……時につかぬ事を聞くが、今何が起きたんだ?いやというより、君は何をした?」

「は、はい?いやその、危ないと思ったので助けようと」


 女性は訝しげに尋ねる。思わず腑抜けた返事をしてしまう。僕のそれは善意から来る行動であったのだが、不快にさせてしまったのだろうか。


「……そうか。いやいいんだ。すまないね、恩人に不躾なことを尋ねてしまった」


 女性は下唇に指を当てはにかむ。いえ、いいんです。とこちらも微笑んで会釈し、その場を去ろうとした僕の背中に声が掛かる。


「時に君、本日の予定はもう決まっているのかね?」

「え?いやまぁ、これから母の見舞いに……」

「ではそれが終わったらこの場所に来てくれ。そうだな、なるべく一人が望ましい」


 女性は鞄から紙を取り出して千切り、黒ペンでさらさらと文字を書く。そして有無を言わさず、それを僕に突きつけた。


「い、いやどうして僕が……」

「では待っているよ。居なかったら鍵を空けておくから勝手に寛いでいてくれ」


 そして女性は去っていった。

 渡された紙片に目を通す。風情のある繋ぎ字で書かれたメモ書きには、とある建物の住所が。


「「荒崎探偵事務所」……探偵?あの人、探偵なのか?」


 行くのかどうか、行くとしても正直に一人で行くのか。のこのこと行くのは怖いけども、探偵なんて滅多に会えるもんじゃないし……士官学校に通い将来的に警官を志す僕にとっても、探偵の知見には些か興味がある。

しかし同時に危険な予感も頭を過ぎる。あの時の女性の妙に引っかかるような反応が気になっていた。もしや、と。訝りが脳裏を過ぎった。

 いや、それを考えるのはひとまず後回しだ。僕は土産物の入った紙袋を握りしめ、母のいる病院へ向かった。

 


 そして結局、僕は彼女の言いつけ通り、のこのこと一人でここに来てしまったという訳だ。

 とある買い物を済ませ、紙片に書かれていた荒崎探偵事務所に足を運ぶ。事務所は予想していたよりは気持ち小さめだが、しっかりとした事務所の形をしていた。外装はシンプルな白で親しみやすく、それでいて小洒落た雰囲気なのは所有者の気風のためであろうか。立地も良く、窓からは小川に反射する陽の光が眩しく映えているのが見える。五〜六畳くらいの応対室は整然としていて、日光が良く入るので心地よい。あまりずけずけと奥に入り込むのも気が引けるので、玄関入ってすぐの応対室のソファにちょこんと腰掛け、机に置かれたお冷(ペットボトルの水に「お客用」と書かれた付箋を貼っただけの)をコップに注いで飲んでいた。


 カラァン

「やぁ、来てくれたのだな。嬉しいよ」

 女性が姿を現す。通りで会った時より幾分フランクな雰囲気に思えた。


「は、はい、まあ一応」

「ハハ、落ち着かないかい。そうだな、君にあれこれと訊ねる前に、まずは私の話をしよう」


 女性は机を挟んで僕と反対側のソファに腰掛け、ゆったりと背もたれにもたれた。事務所で客と相対するというよりは、まるで実家で寛ぐように。


「私は荒崎真白あらさきましろ。見ての通り探偵活動を営んでいる者だ。まあ所詮、単なる趣味で始めたものだがね」

「し、趣味?そんな、事務所まで構えて趣味だなんて」

「実は祖父が適当に買った宝くじが大当たりを引いてね。もう老い先長くないからといって大部分を私に譲ってくれたんだ。それで豪遊……というのも一興だろうが、それではどうも芸に欠くだろう。よって、かねてより憧憬を抱いていた「探偵」なるものに身を投じるべく、貰い受けた全額を捧ぐことにした。事務所は規模を抑えたから、宝くじのおこぼれでも十分賄えたという訳だ」

「な、なるほど……なんか面白い話ですね。人生何が起こるか分かんないっていうか」

「そうだな。趣味とは言ったが、探偵稼業に手を抜くつもりはない。これを見てくれ」


 荒崎さんはおもむろにソファから立ち上がり、こちらに向き直る。ゴホンと一つ咳払いする。すると不格好な舞とともに、奇妙な歌を歌い出した。


「あなたの!お悩み!解決致します!一家に一台、街のヒーロー♪ラララ荒崎ィ……探偵事務所ッ!!」

「……これは?」

「宣伝文句だ。ゆくゆくはテレビCMも視野に入れているのだが、どう思う?」

「…………」

「…………」

「さて、私の話は以上だ。ここからは君に話してもらおう。そのために呼んだのだからな」


 荒崎さんは何事もなかったようにソファに腰を戻すと、目の前の机に両肘を置き、手を組んでその上に顎を乗せる。そして僕の目を真っ直ぐと見た。


「君、一体何者だ?」

「……え?」


 あまりに真剣な眼差しに、僕はたじろぐ。だがすぐに、「ああそうか、今度は僕が自己紹介をする番なんだな」と解釈する。 


「ああ、僕は三上唯人っていいます。八戸橋警察士官学校の一年生で、趣味は」

「違う。そういう事を言っているんじゃない。というより、君の所属はその格好を見れば一目瞭然だろう」


 言われて初めて、僕は自分が制服のままだったことに気づく。そうだ、僕はまだ家に帰っていないんだった。


「質問の意図を理解していないのか、単にとぼけているのか。どちらでもいい、単刀直入に訊く」


 荒崎さんは俯き加減にふぅと息を吐き、顔を上げてもう一度僕の目を見た。そして訊いた。

「君には、未来が視えるか?」

「……!」


 言葉を失う。言おうと思ったことが脳に浮かんで、喉につっかえて、また消える。そうこうしている内に、荒崎さんの方から口を開いた。


「根拠は昼の出来事だ。私の頭に落ちてきた植木鉢から君が身を呈して救ってくれた時の事だな。無論感謝の気持ちに偽りなど無い。だが、あれが私の中ではどうも引っかかってな」

「引っかかった……?」

「速すぎるんだよ。植木鉢の落下から君が走り出すまでの時間は殆ど誤差ゼロ、何なら君の反応の方が早くすら見えた。そこから私の手を引いて助ける判断にも寸分の迷いすらない。それもあえて私の身体に不用意に触れることのないよう、手首だけを引いてね。つまりあの状況下で君が私を助けるには、君がオリンピックアスリートもびっくりの超人的な反射神経を有しているか、君が植木鉢の落下を事前に知っていて、私が飛び出す前からそれを今か今かと待っていたのか。そのどちらかだ。そして私は、後者の方が現実的だと思っている。どうかな?」


 まるで自然に湧き出る泉のように、荒崎さんは淡々と言葉を紡ぐ。さっきまでの柔らかな視線は、いつの間にか肉食獣のような鋭い目付きに変わっていた。その変貌の原動力は僕と同じく好奇に由するものなのだろうと、そう解釈する。


「……やっぱり、推理はお得意なんですか?探偵さんですもんね」


 打ち明けるかは、やはり迷われた。しかしここで取り繕って場を切り抜けるだけの言葉を、自分が持ち合わせていないことは自明であった。


「未来が、視えている訳ではありません。あなたを助けられたのは、ただあれが一回目じゃなかったからです」

「……どういう事だ、君は何を」

「戻れるんです。心の中で念じれば、僕は記憶を保持したまま過去に戻る事が出来る。ちょうどゲームのセーブ&ロードみたいに」

「……!本当なのか?それはいつからだ?」 

「物心ついた時から、とでも言いましょうか。初めて来る場所の景色が、初めて耳にする筈の会話が、何だか覚えがある。初めはそんな程度でした。夢で見たことがあるんだとか、大人がボケてるんだとかって考えてました。でも、何度も繰り返すにつれて理解したんです。自分が過去に戻ってるんだと」

「ふむ……」


 僕の告白を受け止め、荒崎さんは顎に手を当てて考え込む素振りを見せた。彼女の癖なのかもしれない。外はもう日が沈み行き、窓から射し込む橙色の夕日が彼女の横顔を照らした。


「確かに君の話は興味深い。だが、俄にはとても信じられたものじゃないな。正直、私の目には君はまだ頭のおかしな青年として映ってしまっている。そうだな、せめて何か物証でもあれば」

「でしたらこれを。今ちょうど、あなたはビールが飲みたいと思っている筈です」


 僕は持っていたビニール袋から缶ビールを取り出して机に置く。銘柄も、ちゃんと指定された通りのものを買ってきた。ビールの主流からは外れた、名前も知らない地味な銘柄。彼女曰く、「マニア向け」だそうだ。


「……ハハ、参ったな。だとしたら、今の君は一体何回目なんだ?」

「安心してください。ここまで来たのはまだ二回目ですよ」

 

 

 

 

 

 

 

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