第4話「女中眼で妖を射抜け! ~大正学園の影法師退治~」

楓さんという初めての友人ができて、私の学園生活は輝き始めたように思えた。


昼は楓さんと笑い合い、双子にからかわれながら賑やかな昼食を囲む。夜は女中として務めを果たし、双子の日常に寄り添う。目まぐるしいけれど、充実した日々。数日前、屋敷の門前で感じたあの不穏な悪寒も、気のせいだったのだと自分に言い聞かせていた。


そんな日々が数日続いた、ある日の午後。


いつも快活な級友の鈴木さんが、どこか上の空なのに気づいた。自分の足元に落ちた影を、何か生き物でも見るかのようにじっと見つめている。


「……一緒に……来て……」


何かをぶつぶつと呟く彼女。


(まさか、あの影に何か囁かれているの……?)


そして、ふと彼女が筆箱を拾おうと屈んだ瞬間、その影だけが、一瞬遅れてぐにゃりと歪んだのだ。


(やっぱり、気のせいじゃない……!)


日増しに鈴木さんの顔色は悪くなり、影の異常は顕著になっていった。


そして翌朝、鈴木さんは「風邪」で学校を欠席した。私は一日中、胸のざわつきを抑えられずに過ごした。


授業中、自分の机の影が一瞬ぐにゃりと揺らいで見え、「まさか、次は私が……?」と肝を冷やす。


もう、迷っている時間はない。


翌日の昼休み、私は楓さんの手を掴み、必死に訴えていた。


「私の気のせいなら、笑ってください。でも、鈴木さんの影が、彼女をさらおうとしているように見えたんです!」


楓は私の言葉を真剣な顔で受け止め、一度だけ「詳しく聞かせて」と頷いた。


そして放課後。私たちは茶道部の部室にいた。私の向かいには、楓さんと、彼女に呼び出された双子の若様が座っている。


「──というわけよ。琴葉が、あやかしの仕業かもしれない、と言っているわ」


楓の説明を聞き終えた清馬様が、腕を組んで言った。


「妖なんているわけねえだろ、ただの影だ。 ……白石、お前、疲れてるんじゃないか?」


「疲れてなんかいません!」


思わずムキになって反論する私に、なおも疑わしげな視線が注がれる。私は意を決して、心の奥に仕舞っていた記憶を口にした。


「……私には、わかるんです。両親が結核で亡くなる直前、二人の影が、まるで陽炎のように揺らめいて……薄くなっていくように見えました。今の鈴木さんの影は、あの時にそっくりなんです……!」


私の切実な声に、清馬様が言葉を失う。沈黙を破ったのは、清継様だった。


「清馬。楓がここまで言う以上、無視はできない。帝都で噂になっている“人さらい”との関連も、調べる価値はあるだろう。……白石さん、君のその『眼』を、我々のために貸してくれるか」


清馬様は


「……ちぇっ、お前がそこまで言うんなら、今回だけだ。お前の言うその『影』ってのが本当かどうか、この目で確かめてやるよ」


とぶっきらぼうに言いながらも、その瞳には真剣な色が宿っていた。


「それで、琴葉。何か手がかりは?」


楓に問われ、私は目を閉じて意識を集中させる。


「……わかりません。でも、鈴木さんの影を思い出すと……古くて、かび臭い紙の匂いがするんです。それと……とても静かで、寂しい場所……」


その言葉に、清継様がハッとした顔で言った。


「古くて紙の匂い……まさか、旧図書館か?」


こうして、私たちの秘密の調査は始まった。


調査場所は、閉鎖されて久しい「帝都星蘭高等学校の旧図書館」。


埃っぽい空気と、壁一面に並ぶ古書の威圧感に、私は知らず知らずのうちに身を縮こませていた。


「わっ!」


突然、積み上げられていた本が崩れる音に、私は小さな悲鳴を上げた。その瞬間、たくましい腕が私の肩を引き寄せる。


「うるせえな、物音くらいでビビるなよ」


耳元で聞こえたのは、清馬様のぶっきらぼうな声。その距離の近さに心臓が跳ねる。


「ち、近いです!」


慌てて彼を突き放すと、彼は悪戯っぽく笑った。


調査の最中、ふと清馬様が口を開いた。


「……そういや白石。一昨日の卵焼き、兄上のだけじゃなくて、俺の分もちゃんと味わったんだろうな?」


「! は、はい! どちらも、大変美味しかったです……(な、なぜこの状況でそんなことを……!?)」


「清馬、今はそういう話をしている場合ではないだろう」


清継様に窘められ、清馬様はつまらなそうに口を尖らせた。


「琴葉の言う“影の気配”とやらは、この辺りが一番強いのかしら」


楓の言葉に、私は頷く。


「はい、この図書館に入ってからずっと……特に、あの書棚の辺りから強い気配を感じます」


私が指差した巨大な書棚を三人が見つめる。私がその根元あたりに集中していると、清継様が何かに気づいた。


「あの本だけ、一冊だけ向きが逆だ……」


彼が見つけたのは、一番上の段に差し込まれた、一冊だけ装丁が違う古文書だった。


私が必死に背伸びをしても、その本には指先すら届かない。すると、すっと後ろに立った清継様が、私を包むように手を伸ばし、いとも容易くその本を手に取った。


「……これか?」


「あ……ありがとう、ございます」


彼から本を受け取ろうとした時、その本は彼の指から滑り落ち、私が慌てて受け止めた。「危ない」清継様の手が私の手に添えられる。


彼の穏やかな眼差しに、顔が真っ赤になるのを感じた。


彼の手を離れ、私は本を開いた。なんと、その本は中身がくり抜かれており、中には古びた一本の鍵が収められていたのだ。


「どうぞ」と鍵を清継様に渡そうとした瞬間、ひやりとした感触が走る。


(……冷たい。幼い頃、熱に浮かされながら感じた、体の芯が凍えるようなあの冷たさに、少しだけ似ている……)


「鍵……?」


その時、私はハッとして書棚の足元を指差した。書棚の影に隠れるようにして、床に小さな鍵穴だけがついた、地下書庫へと続く扉があったのだ。


清継様がその鍵を差し込むと、カチリ、と小さな音を立てて錠が開いた。


扉の隙間からは、これまで感じたことのないほど濃密な妖の気配が漏れ出ていた。


「……この奥だと思います」


中はカビ臭い闇に満ちていた。そして、その中央に、鈴木さんが倒れていたのだ。


彼女の足元の影が、まるで濡れた墨のようにどろりと広がり、光さえ呑み込んでいた。そこから黒い人影──妖「影法師かげほうし」が、ゆっくりと立ち上がった。


「清馬!」


清継様の叫びと同時、その瞬間、清馬様の瞳がまばゆい金色に閃いた。


「おう!」


彼の手から放たれた「嵐の稲妻」が、闇を切り裂く。


閃光に、影法師が明らかに怯んだ。


「今の光に怯みました!光が苦手なんです!」


私の叫びを聞き、清馬様は次々と雷光を放って影法F師を牽制する。 しかし、妖は体勢を立て直すと、退路である床の影の沼へ逃げ込もうとした。


「逃しはしないわ!」


その声と共に、楓さんの瞳が、深く澄んだ瑠璃色るりいろに輝く。 彼女が手をかざすと、影の沼の上にきらめく水の膜が出現した。能力「水鏡」。


妖は水の壁に阻まれ、甲高い悲鳴を上げた。


「核がどこにあるか分かりません!」


私が叫ぶと、楓は「水鏡に映しなさい!」と命じた。 水鏡に映った影法師の姿にだけ、心臓部分に当たる核が赤く浮かび上がって見えた。


追い詰められた影法師が、最後の標的を私に定める。黒い腕が、私に向かって伸びる。


「清継様、楓さんが映した、あの赤い場所です!」


私が叫ぶのと、穏やかだった清継様の瞳が、静かな、しかし抗いがたい光を宿した金色に変わるのが、ほぼ同時だった。彼の指先から放たれた精密な「静かな稲妻」は、私のすぐ横をすり抜け、影法師の核を正確に貫いた。


妖は声もなく、塵となって消えた。


後に残されたのは、気を失ったまま静かに寝息を立てる鈴木さんと、張り詰めた沈黙だけだった。


(……嫌な感じ。闇の残り香が、幼い頃に患った結核の咳のように、肺にまとわりついて胸を締め付ける)


「……終わった、のですね」


私が呟くと、楓が「ええ、なんとかね」と息をついた。


「……いや、まだだ。何かが残っている」


清継様の鋭い声に、私たちは息を呑む。 彼が指差す先、影法師が消えた場所に、小さな黒い水晶のようなものが鈍く光っていた。


彼がそれを拾い上げ、険しい顔で呟く。


「これは、自然発生した妖の魔石ませきではないな……。 何者かが、意図的に妖を生み出しているのかもしれない」


屋敷への帰り道。


先ほどの緊張感が嘘のように、帝都の夜は静かだった。 隣を歩く清馬様が、不意に私の頭をわしわしと撫でた。


「やるじゃないか、白石」


「や、やめてください!」


その手を振り払うと、彼は楽しそうに笑った。


「お前のそういう度胸、気に入ったぜ」


「こ、これくらい当然です!」


強がってそう言った私の顔が、きっと真っ赤になっているのを、誰にも気づかれていないといいのだけれど。


「君のその眼がなければ、手こずっていた。感謝する、白石さん」


清継様の静かな言葉が、ただの女中ではない、「協力者」として認められたようで、胸に響いた。


救出された鈴木さんは、私たちが駆けつけた後、ぼんやりと目を開けてこう呟いたという。


「……影が、ずっと……『一緒にいこう』って、呼んでた……」


清継様の手の中にある、あの黒い水晶。そして、彼が口にした「何者か」の存在。


これから始まる本当の戦いを、それは静かに予感させていた。

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