12段階モデル(クリストファー・ボグラー)
■ 概要
クリストファー・ボグラーは、ハリウッドの脚本分析官として、ジョーゼフ・キャンベルの『千の顔をもつ英雄』(The Hero with a Thousand Faces)を脚本理論に応用した人物である。
彼の著書『The Writer’s Journey: Mythic Structure for Writers』(1992)は、神話構造をストーリーテリングの実践的理論に転化し、現代物語論・映画脚本術における標準的モデルとなった。
ボグラーの提示する「12段階モデル」は、キャンベルの三幕構造(出発・試練・帰還)をより細分化し、心理的・物語的機能の両面から英雄の変容を描く構造を持つ。
この理論の核心は、「外的冒険=内的変容」という一致原理にあり、神話的行為を人間の心理的プロセスとして再構築する点にある。
ボグラーのモデルは、「英雄神話」の実践的翻訳であり、構造主義的には「媒介の物語」、精神分析的には「個体化過程(individuation)」の物語として読むことができる。
■ 1. 通常世界(Ordinary World)
物語は、英雄がまだ変容前の世界にいる場面から始まる。この段階では、彼(または彼女)の欠乏・不満・未完成が示される。
神話的にいえば、これは「秩序の静止点」、すなわち創世神話における「分化前の状態」に相当する。
この「通常世界」は、英雄が後に帰還して「再構築」すべき社会の縮図でもある。したがって、物語冒頭の平穏は「変化の必要」を孕んだ仮の秩序であり、ここに旅の必然性が芽生える。
■ 2. 冒険への呼びかけ(Call to Adventure)
ここで英雄は、外界からの刺激(使命・危機・啓示・出会い)によって現状を超えるよう促される。キャンベルが言う「召喚」であり、「境界を越えよ」という声である。
これは「贈与神話」的契機である。すなわち、神的領域(超越的世界)からの呼びかけ=知恵・変化・新秩序の贈与の予兆である。
英雄がこの呼びかけを受けることは、社会的規範を越えて「未知」へ向かう意志の覚醒を意味する。
■ 3. 召喚の拒否(Refusal of the Call)
英雄はしばしば、恐怖・責任・懐疑からこの呼びかけを拒む。ここで描かれるのは、変化への抵抗であり、心理的には「自己保存本能」と「成長への衝動」の対立である。
これは「倫理神話」的局面であり、禁忌と逸脱の間で揺れる瞬間である。英雄が冒険を拒むことは、未だ秩序に留まろうとする意志の表現であり、同時に「超越の予兆」を際立たせる対照構造を形成する。
■ 4. 賢者との出会い(Meeting with the Mentor)
ここで英雄は導き手(メンター)と出会う。メンターはしばしば超自然的存在、老賢者、死者、あるいは内なる声として現れ、英雄に知恵・道具・信念を授ける。
これは「贈与神話」と「秩序神話」の交点にある構造である。贈与=知恵の授与、秩序=行動の正統化。英雄はここで、未知への出発を支える「内的秩序」を獲得する。
心理的には、この段階は「超自我(super-ego)」の覚醒を意味し、倫理的・霊的成長の起点となる。
メンターは外的存在であると同時に、自己の可能性の投影でもある。
■ 5. 第一関門の通過(Crossing the First Threshold)
英雄はついに未知の世界へ足を踏み入れる。これは「日常世界/異界」の境界を越える瞬間であり、物語上の第一転換点を形成する。
この「境界通過」は神話学的には「創世」と同型の行為である。世界が混沌から秩序へと分化するように、英雄もまた自我と外界を分離し、新しい現実構造へ入る。
同時に、境界の番人(threshold guardian)との対峙は、「世界の法」を試す儀礼的試練である。
構造主義的にいえば、ここで「自然/文明」「安全/危険」「既知/未知」という対立軸が生成され、物語的宇宙の枠が確定する。
■ 6. 試練・仲間・敵(Tests, Allies, Enemies)
英雄は新しい世界で一連の試練を受け、味方や敵との関係を築く。この段階では、外的行動と内的成長が交錯し、英雄は「この世界の法」を学ぶ。試練は、能力・信念・道徳の三層にわたって与えられる。
これは「秩序神話」と「倫理神話」の領域に属する。試練とは単なる障害ではなく、存在の正統性を確認する儀礼であり、世界と自己との新たな契約を象徴する。
心理学的には、ここで英雄は「影(shadow)」と出会う。敵は外的存在であると同時に、自己の抑圧された側面の投影であり、その克服が英雄の成熟を導く。
■ 7. 最も深い洞窟への接近(Approach to the Inmost Cave)
英雄は最大の危機に備えて、闇の中心—象徴的「冥界」—へと向かう。この洞窟は、物語上では敵の本拠、死の象徴、あるいは内面の無意識を表す空間である。
ここは「冥界降下型英雄譚」(降臨再生型)に該当する。英雄はここで、世界の根源的真理と対峙する。
構造的に見ると、これは「生/死」「光/闇」「秩序/混沌」の二項対立が最も凝縮する臨界点である。
心理学的には、ユングの言う「影の統合」の段階であり、英雄は自らの恐怖や抑圧された欲望と向き合う。ここでの“接近”は、戦闘そのものよりも内的受容の準備を意味する。
■ 8. 試練(The Ordeal)
英雄は死や象徴的崩壊を経験する。仲間の喪失、自己の否定、究極の敵との対決などが起こり、物語の中核的危機が描かれる。
これは「再生神話」の中心構造であり、破壊を通じて更新が生じる瞬間である。
英雄は「死」を通じて「新しい存在」として再生する。この死は肉体的であれ精神的であれ、「古い自己の終焉」を意味し、ここで初めて変容が本質化する。
宗教的象徴としては、キリストの受難、釈迦の悟り、イザナギの黄泉下りなど、世界各地の神話がこの構造を共有する。
構造主義的に言えば、二項対立の矛盾がここで「媒介的統合(mediation)」へと転化する。
■ 9. 報酬(Reward, Seizing the Sword)
英雄は試練を乗り越え、「報酬」や「贈与」を得る。それは物質的な宝、精神的な啓示、あるいは社会的秩序を回復するための「知恵」である。
これは「贈与神話」の再演であり、神的領域から文明的価値を人間世界にもたらす行為である。
プロメテウスが火を盗む、マウイが太陽を捕らえる――これらは「報酬=知恵の獲得」を象徴する。
この段階の「剣(sword)」とは、単なる武器ではなく、「語る力」「理解する力」「創造する力」を意味する。
英雄はここで初めて、世界に還元すべき知恵を手にする。
■ 10. 帰路(The Road Back)
報酬を手にした英雄は、再び日常世界へ戻る決意を固める。だが帰路は平穏ではない。敵の追撃、内なる矛盾、社会との再統合の難しさなど、新たな試練が待ち受ける。
これは「秩序神話」の再構成段階である。英雄は変容を終えた存在として、世界に新しい秩序をもたらさなければならない。
社会が英雄の変化を受け入れられないとき、物語は悲劇となり、受け入れられれば再生神話的結末を迎える。
心理的には、得た知恵を外界に適用する過程であり、「自己の統合」と「世界への再接続」を象徴する。
■ 11. 復活(Resurrection)
英雄は最終的な試練に直面する。ここでは以前の死と異なり、「世界全体の再生」をかけた象徴的戦いが描かれる。英雄自身が再び死の危機に晒され、得た知恵の真価を試される。
これは「犠牲再生型」あるいは「終末再生型」に対応する。英雄の自己犠牲や究極の浄化によって、世界は更新され、秩序が再生する。
ここで重要なのは、英雄が再び個を超えて普遍的原理となる点である。心理的にいえば、これは「個体化」の完了、すなわち自己と世界の一致の瞬間である。
■ 12. 帰還(Return with the Elixir)
英雄は変容を遂げ、「エリクサー(霊薬)」=知恵・贈与・新秩序を持って日常世界に戻る。この帰還こそ物語の真の目的であり、「旅」の成果が共同体へ還元されることで、神話的円環は閉じられる。
これは「贈与神話」および「再生神話」の最終局面であり、個人の変容が世界の再生と重なる。火、律法、愛、真理――いずれの形をとっても、それは世界を再び語るための「知恵の火」である。
ここで英雄はもはや個人ではなく、語りそのものとして残る。神話の英雄は死して神となり、物語は「次の創世」へと連続する。
■ 締め
ボグラーの12段階モデルは、キャンベルの「モノミス」を構造的に細分化したものにとどまらず、神話的思考の現代的翻訳装置である。彼の理論は、物語の表層構造(プロット)を、深層構造(神話的変容)と結びつける。
・第1〜2段階:創世的構造(存在の呼び出し)
・第3〜6段階:倫理的・秩序的構造(試練と社会法則の確立)
・第7〜8段階:再生的構造(死と変容)
・第9〜12段階:贈与・帰還の構造(知恵と秩序の更新)
すなわち、ボグラーの12段階は、神話の7大主題をひとつの物語形式に統合した、神話体系の縮約モデルといえる。英雄の旅は個人の冒険であると同時に、世界の再創造そのものの比喩なのである。
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