交換日記は異世界から ― 帰還者と挑戦者の指し手 ―
クサフグ侍
第1話 「なんだ、これ?」
7月10日。
梅雨が明けたかどうかも怪しいのに、空気はもう真夏みたいに重たくて、蒸し暑さが肌にまとわりついてくる。
電車で横須賀から横浜までの通学だけで、もう体力の半分は持っていかれた気がして、教室に入るなり机に突っ伏したくなった。
「暑すぎだろ。まだ七月入ったばっかだってのに」
誰に聞かせるでもなく小さくそう呟いたけど、クラスメイトは扇子をあおいだり「冷房つけてくれ」って騒いでたりで、俺の声なんか埋もれて消えた。
まあ、別にいい。普段から静かにしてるせいか、目立たない真面目君なんて言われてるらしいし。将棋部に所属してるのも、その評価に拍車をかけてる気がする。
放課後。部室でいつものように詰将棋アプリを開こうとスマホをタップした瞬間、俺の親指が止まった。
そこに、見覚えのないアプリがあったのだ。本とペンのアイコン。その下には「日記」とだけ表示されている。
「なんだ、これ?」
朝の時点では絶対無かった。こんなアプリを入れた記憶もまるで無い。俺は疑り深い方じゃないが、いくらなんでも勝手にアプリが生えるのはおかしい。
ひとまずタップは避けて、設定からアプリの一覧を確認してみた。だが、どこを探しても「日記」の文字は無い。アプリ一覧にすら載ってないアプリなんて、そんなのあり得るのか?
「怪しいなぁ」
結局その場では深追いせず、怪しいものは放置して詰将棋アプリを起動。盤面とにらめっこしていたら部員たちが入ってきて、気がつけばいつも通りの部活の空気に流されていた。
普段と同じ、部員同士での対局と研究。それと、同程度の雑談を交え部活の時間も終わり。部室を片付けて解散。
帰りの道も汗まみれで、不審なアプリに関して考えるどころじゃなくなっていた。
家に帰り、母さんにただいまと声をかけてから風呂場に直行。汗を流して、部屋着に着替える。夕食を済ませて、自室の机に腰を下ろすと、ようやく落ち着いて今日のことを思い返した。あの、妙に不気味な「日記アプリ」だ。
スマホをもう一度手に取って、ネットで調べてみる。 「インストールした覚えのないアプリ 日記」とか、「勝手に現れるアプリ」とか。すると、まとめブログや個人記事の中に、掲示板に寄せられたスレッドの転載を見つけた。
そこには、俺と同じように「気づいたら日記アプリがスマホに入っていた」という書き込みがあった。そして、ある投稿者が書いていた体験談が妙に気になった。
『起動したら知らない人の日記が表示された。しかもその内容は、助けてほしい。だった』
何件かのレスでは「ネタだろ」とか「都市伝説乙」とか冷やかされていたが、現実的に考えると俺の状況と重なりすぎていて笑えなかった。
「うぅうん、マジかよ」
掲示板の書き込みが本物かどうかは分からない。でも、似た事例があるってだけで充分に不気味だ。もしかしたら、俺のスマホに入っている日記にも同じようなSOSが書かれているのかもしれない。
さらに検索を重ねて「偽物アプリ」「日記アプリ 詐欺」といったキーワードでも探したけれど、特にマルウェアや詐欺に使われたケースは見つからなかった。
「やっぱり、確認するしかないか」
喉がひとつ鳴る。とはいえ、怖さよりも好奇心の方が大きかった。掲示板の話しと同じなら、誰かのSOSが見られるかもしれない。
深呼吸してから、俺は画面のアイコンをタップした。
黒っぽい背景にシンプルな白文字が並ぶインターフェース。新着の日記は一件だけで、日付は今日、7月10日。
俺は息を止めて開いた。そこに表示された文章は、驚くほど短い。
『いやっほー!異世界に来たーーー!!』
助けを求めるどころか、テンションの高い誰かの叫び声だった。
俺は思わず額に手を当てて、アプリを閉じた。なんだこれ。拍子抜けと同時に、急に眠気が襲ってきて、そのままベッドに倒れ込む。
「バカバカしい」
そう呟いたのを最後に、俺はあっという間に眠りに落ちた。
翌朝、起きてから少しアプリを気にしたけど、それで終わり。
テスト前ってだけでも気が重いのに、あの怪しい「日記アプリ」だ。
いや、正直なところ、すぐに気にするのがバカらしくなってきた。
スマホなんて最初から入ってる意味不明なアプリが結構ある。ニュースだのフィットネスだの、俺が一度も触ったことがないやつも多い。
結局、ホーム画面に置かれてるから気になるだけで、別に何か危険ってわけじゃないかもしれない。余計な想像してびびってるのも、なんか自分らしくない。
「ま、放置でいいか」
そういう結論にして、俺は日常に戻った。テストが近いから勉強に気を抜けないし、部活だって詰将棋やら研究やらやることが山積みだ。下手に気を散らせば、赤点と部内最下位が同時に俺に襲ってくる。それは、絶対に嫌だ。
だから日記アプリは忘れて、机に向かい、問題集と格闘し、部室へ行けば将棋盤と睨み合った。俺の夏は、普通に暑苦しく、いつも通りのリズムで過ぎていった。
俺の生活に、もし『特別な色』を探すなら、それは幼馴染みたいな付き合いの高橋真美の存在だろう。
正確には「幼馴染」って言葉は当てはまらない。彼女が隣家に引っ越してきたのは中学に上がる時のことだから、小学校の頃から一緒だったわけじゃないし、いわゆる定義にはズレがある。
俺自身も気を遣って「幼馴染的」とか「幼馴染っぽい」って口にする。けど、不思議なもので、気づけば昔からの縁のように自然と過ごしてきた。
真美は俺と真逆で、明るくて人付き合いが得意だ。クラスでも部活でも友達を作るのが早いし、誰とでも気楽に話せる雰囲気を持ってる。俺にとっても、彼女は初対面から話しやすかった相手だった。
登下校は部活の時間の関係で別々だけど、時間がある時は一緒に勉強したり、買い物に付き合ったりする。
特にテスト前なんかは「真司、どうせ引きこもるんでしょ」って言って、半分強引に誘い出されることもある。
まあ、俺もそれを鬱陶しいと思わないあたり、距離感は本当に幼馴染並みなんだろう。
そんな彼女のことを思い出しつつ、俺は今日も部室にこもって盤面を見つめていた。窓の外では真夏の日差しがじりじり部室にねばりつき、扇風機の風も生ぬるい。俺の頭ん中には、今日の研究課題がずっと引っかかってた。
「やっぱ居飛車に切り替えるべきかなぁ」
ここ最近の部内リーグ、成績はイマイチだ。俺の使う四間飛車は決して悪い戦法じゃない。むしろプロでも有力な戦い方だ。でも、俺の相手はみんな僕が四間飛車を使うことを知って対策してくる。それがまた苦しい。
居飛車に転向すれば新しい可能性は開けるだろう。でも、今まで積み重ねてきた想い入れのある戦法をそう簡単に捨てられるか、そこが悩みどころだった。
汗を拭いながら、俺は駒を並べ、そしてまた悩みはじめる。現実も、この盤面みたいに頭を使わせるのだった。
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