第4話 まなざし
その後、夜行に丸投げした煩雑な手続きが終わる頃には長い夏が終わりを迎え、一気に秋を迎える季節が来ていた。暦の上で二十四節気・寒露を迎える頃、引越しのトラックが胡桃坂邸にやって来た。
「これからよろしくお願いします、鞠音さん、御伽さん」
「不束者ですがよろしく頼む、じゃな」
「いや、嫁に来たんじゃないんだから」
引越しの手伝いに来ていた夜行が突っ込んだ。
実は引越しをする際にかなり断捨離をしたらしく、荷物はそんなに多くなかった。作業向きの二部式着物を身につけた鞠音も手伝うと、一時間ほどで作業が完了した。
実の部屋はこの前泊まった和室になった。言わずもがな豪も同室である。夜行が止まる部屋が消えたが、まぁ居間に布団を敷けば大丈夫だろう。居間の低い長机を囲みひと段落すると、夜行が「出前頼むか」と言い出した。
「奢りか?ならばピザで」
「豪様、すっかり現代に染まられて……。鞠音、実、ピザでいいか?」
「もちろん!」
「はい」
「じゃ、ピザ選んでくれ。一人一枚なー」
夜行が表示した画面から皆がピザを選んだタイミングでスマホが鳴り、通話画面が表示される。
「ちょっと出てくる」
夜行がスマホを持ったまま廊下に出ていく。
「あの、鞠音さん」
膝の上で拳を握りしめた実がおずおずと切り出した。
「なんでしょうか」
「あの、鞠音さんのお母さんの位牌とか、ありますか?あるなら手を合わさせていただきたいんですが」
一瞬息が詰まりそうになる。ふう、と通常を意識して呼吸する。大丈夫、答えは考えてある。
「……お気持ちは、ありがたいのですが、この家に仏壇はないので……」
嘘である。本当は鞠音の自室にある。実が来る前に押し入れの中の箱にしまった。
「あ、そうなんですね」
「……実くんのお母様の位牌は……」
「全部秋田のお墓に納めてもらったので手元にはないです。落ち着いたら墓参りに行こうかなって」
「奈良から秋田までだと遠いですよね。実くんって体力ありますね」
普通に返せていますように、と願いながら返事を紡ぐ。
「鞠音さん、全然旅行した事ないって言ってましたよね。鞠音さんが行きたいなら一緒に行きますか、秋田」
「え?」
「一緒に暮らし始めたし、母さんに紹介したいと思ってたんです。いい所ですよ、母さんの故郷。あ、御伽さんもどうですか?夜行さんはお仕事忙しいから難しいかな」
のほほんと笑う実は、何も後ろ暗いことなど抱えていない様に見える。実際そうだ。けれど実のまなざしを曇らせたくないのに、自分だけあれこれ考えていることに苛立っている。こんな気持ちを母も抱えていたのだろうか。何も知らずに過ごしていた娘に。
「……秋田は、どんな所なんだ?」
黙り込んだ鞠音の様子を誤魔化すように、御伽が口を挟む。
「えーっと、ばあちゃんと母さんが暮らしてたのは
実は鞠音の様子に気づいた風もなく続ける。
「ほう、花火か。見てみたいものだな」
「キレーだよ!」
「……行ってみても、いいかもしれません」
なんとか絞り出した声は、震えても掠れてもいなくて安心する。
「ほんとうですか!嬉しい!」
「あと、無理して敬語使わなくてもいいですよ」
「でも鞠音さん敬語じゃ……」
「誰に対してもこうなので気にしないでください」
「じゃあ、分かった」
実は真面目に頷く。鞠音はそっと御伽の方を見て、「ありがとうございます」と御伽だけに聞こえる声音で感謝を伝えた。
こうして、女子高生としゃれこうべは、男子中学生と生首と暮らし始めたのだった。
*
同居を初めて分かったことがいくつかある。
ひとつ、実は生活に気を遣っている。引越しの時に段ボールを開けたら化粧品だらけだったので驚いた。「豪にはつやつやのお肌でいて欲しいからね」と実は笑った。
ふたつ、実は新しい学校で上手くやっているらしい。転校した当日に同級生とカラオケに行っていた。天地の差を感じた。
そしてみっつ。
「鞠音さんおはよう!今日の朝ごはんはスクランブルエッグだよ!」
実は料理が上手だ。
引っ越して来た日、マルゲリータのピザを食べながら実は『鞠音さん普段自炊してるの?』と聞いて来た。
『いえ、大体は冷凍食品とかで賄ってます』『便利だよね、冷凍食品。……毎日冷凍食品なの?』
『はい』
『カップラーメンとかよく食べる?』
『週に一度くらいは』
『なるほど……』
実は俯いて何やら考え込んでいる。鞠音はピザのあの焦げてる掴む部分(名前がわからない)を咀嚼する。
『オレ、料理やりましょうか?得意だし、なれてるし』
『……本当に、いいんですか?無理しなくてもいいんですよ、光熱費とか出していただいてるのに……』
『こちらは住まわせてもらってる身なんで。それに、自分的に冷凍食品とかばっかだとちょっと……』
『……では、お願い、します』
『楽しみにしてくださいね!』
というような感じで食事を作っていただけることになったのだが。
まあ美味しかった。
最初に作ってくれたのはオムライスだった。
『鞠音さんはデミグラスソースとトマトケチャップ、どっちが好きですか?』『……ケチャップです』というような感じで黄色い卵の上に髑髏マークをケチャップで描いたオムライスを夕飯に頂いた。卵がふわっとしててお店みたいだった。
翌日の朝ごはんにはサバ味噌を作っていただいた。白米が進む美味しいお魚に仕上がっていた。
『鞠音さんの学校ってお弁当っすか?よければ作りま、』
『流石に申し訳ないですし、学食あるので』
お弁当は流石に断ったものの、この一週間温かい色とりどりのご飯ばかり食べている。
「どうかしたっすか?」
向かいに座る実が心配そうな目線を向けてくる。どうやら箸が止まっていたようだ。
「なんでもないです」
もそもそとケチャップをかけたスクランブルエッグを食べる。おいしい。箸が進まないのは食欲が少ないからだ。朝はあまり食べられるタイプではない。スクランブルエッグだけ食べて支度を済ませる。
「じゃあ、行って来ます」
鞠音の通う高校は実の通う中学よりも遠いため、いつも鞠音が先に出ている。
「気をつけるんじゃぞ」
「気をつけてな」
「行ってらっしゃい」
賑やかな声に見送られて、鞠音は玄関を出る。その背中を実がじっと見つめていた。
*
その日の夜のことである。
「鞠音さん、ちょっとお願いしたいことがあるんですけど」
居間で宿題をやっていると、豪を持った実が申し訳なさそうに申し出て来た。
「なんですか?」
「豪が一緒に風呂入りたいって言って来たんですが」
「え?」
「は?」
鞠音と御伽は同時に驚きの声を上げた。豪は普段、長い髪を活用して一人でシャワーを浴び、髪を洗っている。家では殆ど一緒にいる実と豪だが、流石に風呂までは一緒に入っていない。それなのに突然どうしたのだろう。
「何、この家で女子は我と鞠音だけだからな。親交を深めたいと思ったまでよ」
「裸の付き合いってこと?」
「我はいつでも裸だかのぅ。それに我もたまには湯船」
「っていってるんだけど、どう?」
「別にいいですが……」
ただ、戸惑いがある。鞠音は中学の修学旅行は体調不良と称して休んだので、誰かと風呂に入った経験など殆どない。
「そうか。ならばよろしくな、鞠音」
豪が紅い眸を細めて笑う。傾国傾城、という言葉が鞠音の脳裏をよぎる。
「鞠音、無理するなよ」
御伽が本当に心配そうに言った。
協議の末、鞠音は先に髪を洗わせてもらうことにした。その間、豪は風呂桶に入って湯の上を流れている。『酔わないのですか』と聞いたら『我の三半規管は強いからな』と返ってきた。生首の三半規管がどこにあるのかわからなかったので、曖昧に微笑んでおいた。
因みに胡桃坂邸の離れの風呂はリフォームしたので現代的である。
髪を温水で濡らすと、頭が重く感じた。鞠音の髪は腰まである上に量が多い。近々切ろう、と決意しながらシャンプーを手に取る。棚のシャンプー類は豪のものと実のものが増えたので賑やかだ。
「洗ってやろうか?」
「自分でできます」
無事に髪を洗い終え、豪と交代する。椅子の上にちょこんと座った豪は白い髪を伸ばしてシャワーを浴び、シャンプーを髪でとって泡だて、リンスを丁寧に髪に塗った。
その生き生きと動く髪を見つめながら、鞠音が考えるのはしゃれこうべの事だ。
御伽はどんな髪色をしていたのだろう。御伽は出会った時は既にしゃれこうべで、昔の写真も残っていないから分からない。御伽は昔のことをあまり話さないから聞きにくい。
「なんだ、聞きたいことでもあるのか?」
きゅ、とシャワーを止めた豪がこちらに視線を向けた。濡れた髪からぽたり、ぽたりと雫がしたり落ちている。
「あの、鬼はどのような髪色をしているのですか?夜行様は黒髪で、豪様は白髪ですが」
「ああ、特に決まってはいないよ。因みにこの髪は生首になる前からだ。さ、湯船に浸からせておくれ」
「はい」
鞠音は豪を掴むと、湯船の上で揺れているお湯を入れた風呂桶の中に移動させた。これなら豪は溺れない。
「ふぅ、いい湯じゃの」
「一番風呂ですからね」
鞠音は透明なお湯を手のひらで掬い、意味もなく溢す。淡い湯気が立っている。
「のう、鞠音。おぬしは食事を好まんのか?」
豪の凛とした声がお風呂場に響く。
「……あまり、食べる方ではない、です。けれど、実くんの作るご飯は、美味しいですよ」
「そうだろうな、我はそれなりに長生きしてきたが、実の飯はその中でも美味い。別にそれを疑っているわけではない」
「では、何故」
「我と実が初めてここへ来た時、夜行が飯を持ってきていただろう。お主が食をそこまで好まないというのに何故かと気になったまでよ」
どうやら一度の食事で、あまり食べないことはばれていたらしい。
「……昔、あまり食べていなくて、心配をかけたことがあるんです。それから、暇を見つけてはご飯持ってくるんですよ」
「なるほどな、夜行らしい。だかなぁ、鞠音。別にそのことを後ろめたく思う必要はないのだぞ。食べるというのは生命の根源的な欲求だ」
「でも、御伽様は食べれません」
「お主が真に気にしているのはそこではなかろう?どちらかと言えば実のほう。……お主、手料理が苦手なのか?」
風呂桶から鬼の眸がのぞいている。真っ直ぐで落ち着いたその眸に抗えずに、鞠音は口を開いた。
「母が、あまり料理をすることが、好きではなくて。けどわたしは料理なんてできなかったから、母はやるしかなかったんです。実くんが料理を作ってくれることは嬉しいですけど、押し付けているようで、どうにも」
「鞠音は実に寄生しているようなのが嫌なのか」
寄生。確かにそうだ。鞠音は料理ができないから、ずっと他の人に作ってもらっている。
「実は料理が好きだからしているんじゃが……その顔は納得していないな。まぁ、お主は実のことをあまり知らないしのぅ。あ、そうだ。鞠音、実と出かけてみるのはどうじゃ?」
「え」
「ほら、実も引っ越してきたばかりでこの辺りを知らんだろう。奈良観光でもしてみたらどうじゃ。本音を引き出すにはサシで話すのが一番じゃろう?」
口角を上げる豪の眸は、老獪な大人のそれでありながら、子供のように輝いていた。
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