第2話 神界にもコンプライアンスの波は来る

「悪役令嬢…ね」


私の口からこぼれた言葉は、承諾というよりは、あまりの理不尽さに思考が停止した末の呟きに近かった。目の前には、アジのロゴが入ったジャージを着込み、自分のボーナスと駅近物件のために他人の人生をハードモードにしようと画策する、あまりにも俗っぽい神様。


少し冷静になると、新たな疑問が次々と湧き上がってきた。そもそも、この状況自体がおかしいのだ。


「ところで、なんで私はいきなり悪役に勝手に転生させられなかったの? 今、こうして私に選択権が与えられているのは、どうして?」


私は頭を抱え、苛立ち紛れに床をトントンと足で叩きながら神様をにらんだ。こちらの人生がかかっているというのに、当の神様はジャージの裾を指先でいじりながら、玉座にだらっと座っている。その姿は、面倒くさい仕事を早く片付けたいだけのアルバイト社員そのものだ。


「ああ、それね。上から指導が入ったからだよ。ユーザーの意向を無視した一方的な契約は問題だってさ。いまは神界もコンプライアンスの時代なんだよ」


「コンプライアンス……。まさかとは思うけど、それって……行政指導みたいなもの?」


思わず口をついて出た言葉に、我ながら驚いた。自分の来世のシナリオが、まさか神様の属する組織の“行政指導”によって左右されるなんて、予想だにしなかった。ファンタジーの世界にも、お役所仕事は存在するらしい。


神様は目を細め、少し面倒くさそうに言葉を返した。

「まあ、そんな感じ。前はもっと自由だったんだけどな。ユーザーの意向なんていちいち聞いてたら効率悪いから、俺たちの判断で勝手に悪役令嬢とかに送り込んでたんだ。そっちの方が断然ボーナス稼げたし、やりがいもあった」


その言葉に、私は眉をひそめた。彼の口ぶりは、まるで不正がバレて渋々やり方を変えた悪徳業者だ。


「え、ちょっと待って。前は勝手に送り込んでたって…? それってつまり、転生してくる人たちに選択肢は一切なく、ただ一方的に過酷な運命を押し付けてたってこと?」


「その通り。だって転生希望者の大半なんて、口を開けば『俺TUEEEしたい』とか『美男美女に囲まれて逆ハーされたい』とか、そんなんばっかりだぞ。何の努力もせずに楽して幸せになりたいっていう、ただの夢物語しか頭にない連中ばっかり。努力? 逆境? そんなもの、ちょっと苦労したらすぐに音を上げるに決まってる。でもあいつらは一応「あんまりにもヌルゲーだとあれだから、ちょっと乗り越えるくらいの展開は欲しい」って言ってたぞ。それに比べてお前は…見せかけの逆境すらいらない、と。まったく、軟弱者め!」


神様は吐き捨てるように言った。その言葉に、私はカッと頭に血が上るのを感じた。


「ちょっと待ってよ!」


思わず声を荒げて反論する。

「あなたが言う『多少の苦労』って、どうせ悪役令嬢もののテンプレ通り、婚約者に裏切られて公衆の面前で断罪されるとか、無実の罪で国外追放されるとか、最悪の場合はギロチンで処刑されるとかまで含まれるんでしょ! それ、絶対に『多少』の範囲じゃないわよ!」


「うっ……」


図星だったのか、神様は一瞬言葉に詰まった。しかし、すぐに両手をバタバタと大げさに振り、必死で言い訳を始める。


「い、いやいや、細かいこと気にするな! だいたいのシナリオでそういった展開はないんだから。そもそも死んだら人生終わりのお前らと違って、こっちが用意したシナリオにはちゃんと救済措置があるんだから! どうせやり直し(コンティニュー)できるんだから、一回くらい断罪されたっていいだろ!」


「よくないわよ! 心に深い傷を負うでしょうが!」


私は深いため息をついた。この神様、ダメだ。話がまったく通じない。見た目は光に包まれた神々しい存在のはずなのに、やっていること、言っていることは、社員を使い潰すブラック企業の人事部そのものだ。「若いうちの苦労は買ってでもしろ」とか言いながら、平気で無茶なノルマを課してくるタイプに違いない。


「……ていうか、あなたが言う『ユーザーの意向を無視する契約』って、具体的に何をして指導が入ったわけ?」


私は食い気味に訊ねた。この神が過去にどんな悪行を働いてきたのか、どうしても知っておく必要がある。


私の追及に、神様は少しの間沈黙した。純白の空間に気まずい空気が流れる。やがて彼は、観念したように重々しく口を開いた。


「……まあ、色々だよ。例えば、転生させる前に、前世でわざといじめられるように人間関係を仕向けたり……」


「え?」


「あるいは、異世界でうまくやっていけるように、こっちで都合よくオタク趣味の陰キャにして、現実世界に未練がないように性格を誘導したり……」


「は?」


「あとは、努力が嫌いで無能な、ただの怠惰な妄想癖のある人間に思考を仕向けて、転生後のチート能力にすがりつくようにしたり……。ああ、それからもちろん、そもそもトラックに轢かせて前世を強制終了させたり……」


目の前の神様は確かに神々しい光に包まれているのに、その口から語られる内容は、あまりにも悪魔的だった。


「やってること、えぐすぎるわよ!」


私は思わず絶叫していた。

「 あなた、本当に神なの!?」


私の悲痛な叫びに対し、神様は悪びれる様子もなく、少し照れたようにポリポリと頬をかいた。


「エグいって…まあ、神じゃなきゃ転生前から個人の人生に介入なんてできないだろ。神のチート能力ってやつ?」


「(……そこ、えばるところなの!?)」


私は心の中で力の限りツッコミを入れる。

どうやら、私の来世はとんでもない存在に握られてしまったらしい。この神様、神々しい光のオーラを放ってはいるが、その本質は、コンプライアンス違反スレスリの営業を繰り返しては上司に怒られ、それでもボーナスのためにまた同じことを繰り返す、どこにでもいるダメな中間管理職そのものなのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る