長い1日、終わり始まり 3

 でも、うれしい。

 共感してもらえるの嬉しいよぉ。ふぇえぇ(泣)。

「ってか、なんで今さら?」

「えっ」

 思わず、戸惑いの声がもれる。

 オレの目の前には、いぶかしげな表情を浮かべる妹の姿。きょとん。

 話の意図が掴めなかったのか、ちょこんと首をかしげる朋花。マンガとかアニメだったら頭のうえにハテナが浮かんでそう。サブカル的な表現。

「女の人なら少なからず経験してると思うけど」と朋花が言った。「お姉ちゃんだって、べつに今日が初めてってわけでもないでしょ?」

「ま、まぁ、そうなんだけど……」

 おもわず、言葉を濁すオレ。

 はい、嘘です。

 完全にウソでぇーす。今日が初めてでぇーす。

 ワテクシ、昨日まで♂でしたから。♀になったのは今日が初めてで、男性のチラ見も初めましてですから。

「きょ、今日は、とくに見られてる気がしたから、かな〜……?」

「ふぅん、そうなの?」

「でも、ちょっと安心したかも」とオレは言った。「ちょっと『自意識過剰かな?』って思ったけど、朋花にも似たような経験あるんだね」

「ま、一応ね。お姉ちゃんほど多いかは分かんないけど」

「ナカーマ」

「え、何て?」

 いぶかしげな朋花の声に、オレは首を横に振って返す。

「うぅん、気にしないで」

 ひと安心。

 気にしすぎじゃなくて良かったぁ。

 さっき朋花も言ってたけど、自意識過剰とか恥ずいもんね。「男の人にチラ見されて不快なんです!」とか言いつつ、誰も見てないオチとか悲しすぎるってか哀れすぎるでしょ。可哀想な子を見るような目で見られるヤツでしょ。

 まぁ、それはいいとして。

 目下、心配なのは妹の身の安全。世の男性たちの毒牙にかけられないよう、朋花の身辺をクリアにする必要があります。

「今度、防犯ブザー買ったげるからね」

「え、なんで?」

 オレからの唐突な提案に、怪訝そうな声をもらす朋花。

「学校から帰ってるときとか、朋花が危ない目に遭わないように」と返すオレ。「最近は日本も治安わるくなってるみたいだし、おかしな人に絡まれたりしたら大変でしょ?」

 なにより、オレが心配だし。

 ほんとはスタンガン的なものを持ってほしいけど、ちょっとどころじゃなく過保護な感じあるからNG。

 いまオレの目の前でポカンとした顔してる朋花には、ミルフィーユさながらに妥協に妥協を重ねたうえでの『防犯ブザー』なんだってことを是非とも分かってほしい。おにえちゃんの気遣い。フラッシュライトでも可。

「や、わかるけどさ」と朋花が言った。「でも、ブザーは一つでいいでしょ。二つも要らなくない?」

 場を取りつくろうように、朋花が苦笑いを浮かべる。

 ん、んん?

 うちの妹ちゃん、もう既に防犯ブザーお持ちなのです?

「朋花、もうブザー持ってるの?」

 こくり、と一つ頷く朋花。肯定を示すジェスチャー。赤べこ。

「前にお姉ちゃんがくれたんじゃん。『心配だから』って、わざわざネットで注文してさ」

「え……」

「それも忘れちゃったの?」

 あいかわらず苦笑いを浮かべる朋花に、罪深きオレはテキトーに話を合わせる。

「あ、あぁ〜……いや、その、予備があってもいいかなって……?」

 取りつくろうように、適当なことを言うオレ。

 ほんと罪深き。

 すぐに『予備』って言葉が出てきたあたり、テキトーに話し合わせ常習犯の疑いが濃厚。漆黒に近いクロですね。

 くす、と鼻を鳴らす朋花。

「さすがに過保護すぎでしょ。お母さんか」

「そ、そうかも〜……?」

 おかしな返事とともに、作り笑いを浮かべるオレ。「あはは……」という空々しい笑い声が、夕陽が差し込むリビングに溶けて消える。

 なに、その返事。

「そうかも〜?」じゃないっての。そんな下手な返しある?

 作り笑いをするにしても、さすがに限度があるからね。あんまりヘタな苦笑いを浮かべちゃうと、普段は温厚な空笑いさんも激おこだからね?

 なんて、そら笑いの気持ちが分かる女子高生の図。

 だいぶレアな女子高生。はぐれメタルくらい珍しい。たまにしかエンカウントできないアレ。アレですよ、アレ。

 でも、ナイス。

 この世界の『葵』、マジほんとナイス。褒めて遣わす。

 やっぱり、不安だもんね。自分の妹が変な人に絡まれたりしないか、お姉ちゃんとしては心配しちゃうもんね。

 若干、過保護な気はしなくもないけど。

 わざわざ自分の妹に防犯ブザー買い与えちゃうあたり、わりと重度のシスコンの気を感じ取れなくもないけどね。なくなくなくなくないけどね。日本語の乱れ。

 きゃっきゃと雑談を交わしながら、妹と一緒にリビングに移動するオレ。若干、玄関で話し込み過ぎた感ある。お喋り好きのご近所さんか。

 ともかく、リビングに入室。

 キッチンのほうには母さんがいて、調理の手を進めているようだった。

「ただいまー」

 食材を切る音に混じって、短い返事が聞こえてくる。

「おかえりなさい」

 よく通る母さんの声。

 包容力を感じさせる中音域の女声。包み込むようなメゾソプラノの音が、静寂を溶かすリビングに響きわたる。

 母さんの豊かな声と入れ替わりで、ふたたび食材を切る音がこだまする。リビングいっぱいに広がるのは、包丁がまな板に当たる軽やかな音。トントントン。

「もうすぐゴハンだから、先におフロ入っちゃいなさい?」

 キッチン越しに声をかけてくる母さん。

「はーい」

 母さんの声に答えてから、オレはソファに顔を向ける。くるっと。

 視界に映り込むのは、だらんとした朋花の姿。

 ソファで横になってゴロゴロくつろぐ妹の姿は、横向きに寝転んでリラックスする猫を思わせる。スマホを操作してるあたりに、かろうじて人間らしさが残る。文明の利器を使いこなす賢いネコ。

 やっぱり、品種はスコティッシュ・フォールドかな。人気の猫種だもんね。

 人懐っこくて甘えたがりな性格で、ぺたんと垂れた耳がチャーミング。気性も穏やかで大人しい品種だから、日本でイチバン人気の猫ちゃんらしい。わかる気がする。スコは可愛い。癒し。

 ソファのうえで寛ぐスコティ……朋花に声をかけるオレ。

「朋花、さきに入る?」

 ソファにゴロンとしながら、ふるふると首を横に振る朋花。否定を示すジェスチャー。

「んーん、あたしはゴハン食べてから〜。お姉ちゃん、お先にどーぞ」

「ん、ありがと」

 寛ぎネコに返事をしてから、オレはリビングを後にする。

 後ろ手に居間のドアを閉める。ぱたん。

 夕陽が差すエントラスを抜けて、上の階へと続く階段をのぼるオレ。

 階段をのぼりきったあとは、廊下を歩いて自室へと向かう。フローリングの床を擦る音が辺りにひびく。

 二階にある自室のドアに手を伸ばし、レバーを引いて部屋のなかへと入る。そっと後ろ手に部屋の扉を閉めて、廊下とのあいだに仕切りを設ける。

 静寂に包まれた室内。

 部屋の窓から差し込むオレンジ色が、ワックス塗りされた床を照らしつける。

 鈍い光沢を宿すフローリング。テカテカと光沢のある床に陽の光が反射して、じゅうぶんに研磨された翡翠のように鈍く輝く。多結晶宝石のような淡い反射光が、今日一日使い倒した目を優しく刺す。まぶしさに眩んで、少し目を細めるオレ。

 すうっと息を吸う。

 深呼吸のように鼻から息を吸い込むと、鼻腔いっぱいに部屋の香りが広がった。

 匂い物質に紛れて吸い込まれたホコリ的なものが、鼻の奥をフガフガ刺激してクシャミが出そうになる。はっくしゅん。

「……」

 橙に染まる部屋を眺めながら、ゆっくりと呼吸をくり返すオレ。

 あぁ、落ち着く。

 自分の部屋の匂い、すごく安心できる。

 やっぱり、緊張してたのかもね。心のどこかで、不安を感じてたのかも。

 外に出て学校に行くことも、見慣れた通学路を歩くことも。みんなと同じように友だちと話すことも、みんなと同じように授業を受けることも。ぜんぶ。ぜんぶ、戸惑う。

 だって、わかんないもん。

 教室に行けば見知った顔はあるけど、どう話せばいいのか分かんないしさ。

 相手はコッチのこと知ってるかもだけど、オレがオレ自身に見覚えがないわけだし。コミュニケーションの仕方に戸惑うよね。コミュ障。ちょっと違う?

 きっと、心が抵抗してたはず。

 不安と緊張で身体が震えるってほどじゃないけど、心安らげる空間から離れることに抵抗はあったはず。

 ほら、オレお家ラブだし。

 自分の部屋が大好きなインドア系サピエンスだし。

 唯香みたいにカラオケとかボウリング行くより、休みの日は家で読書とかしてたいタイプだからさ。ね?

 肩にかけたカバンを下ろし、そっと机のうえに置くオレ。

 クローゼットを開けて、衣紋かけを一つ取り出す。いそいそと上着のブレザーを脱いで、シワにならないようハンガーにかける。ステンレス製の衣紋かけをポールに下げるとき、金属同士が触れ合う耳に残るような音が鳴った。かちゃかちゃ。

 ポールに吊り下がる女子用の制服。

 初めて袖を通すブレザーが、すごく大切なものに思える。

 そっと折れ戸を引く。押入れの奥に宝物をしまうように、オレはクローゼットの扉を閉めた。ぱたん。

 きびすを返して、ベッドへと向かう。

 花の蜜に誘われるミツバチさながらに、安らぎ求めて寝床へと誘い込まれるオレ。ブラウスを着たまま、毛布のうえに倒れ込む。ぼふん、と反動で跳ねる身体。

「ふあぁ〜……ぁ」

 思わず、間の抜けた声がもれる。

 とたん、疲労感が全身を包み込む。ベッドに横になると同時に、疲れがドッと押し寄せてきた。

 はぁ、疲れた。

 今日、ものすごく疲れた。疲労感やばいんだけど。

 慣れないことをしたあとに感じる疲労感みたいな。ふだん使わない神経を総動員した感じ。神経系がフルスロットルで使われた感じです。多分ね、たぶん(適当)。

「つっかれたぁ……」

 ふと思い出した。

 あ、お風呂。

 シャワー浴びなきゃ。今日、体育で汗かいたしさ。

 このまま寝ちゃいそうな感じだけど、このあと晩ご飯も食べるんだもんね。さっさと済ませちゃおう。

 むくりとベッドから起き上がり、ふたたびクローゼットへと向かう。両方の扉の取っ手を掴み、折れ戸をガラッと開ける。衣装ケースの引き出しを引いて、オレは下着と寝巻きを取り出す。

「え、と……」

 今朝も見た下着を手に持ちながら、タンスのなかにあるものと見比べる。

 夜用の下着、コレでいいの?

 女の人って、ナイトブラ的なもの付けて寝るって聞いたけど。

 バストの形が崩れないよう、しっかり胸を支えるタイプのブラ着て寝るって聞きましたけどワテクシ。や、人によるらしいけどね?

 それと、いったい誰から聞いたんですか問題あるね。

 受動的に人づてに聞いただけなのか、能動的に自分からリサーチかけたのか。パッシブなのか、アクティブなのか。

 みずからネットで調べたんだったら生来の好奇心ごと有罪かもだし、わざわざ身の回りにいる女子に聞いて回ったんだったら現行犯逮捕。さっきの朋花との会話よろしくな感じで「お巡りさんコイツです!」ってなるから懲役刑。いずれにせよ逮捕。はやく捕まれ。

 この娘は、どうなんだろ。

 胸、おっきいもんね。麻衣との会話から察するに、ズボラって感じでもないしさ。バストを支えるサポーター的なもので、普段からケアしてそうな感じするけど。

 胸が大きいのも考えものだね。男子諸君は「眼福、眼福」って感じだろうけど、女性側からすると「厄介、厄介」って感じかも。

 道ゆく人に胸ジロジロ見られるわ、女子更衣室でオモチャにされるわ。肩凝りの問題もあるうえ、バストケアもしなきゃとか。さすがに課題が多すぎでしょ。スパルタ教育の進学校か。

 ぶつくさ心のなかで文句を言いつつ、ナイトブラ的なものがないかを探る。引き出しガサゴソ。四次元ポケットの中身をひっくり返す勢いでガサゴソ。

 え、怪しい人。

 いまのオレ、めっちゃ怪しい人じゃん。『怪しい』ってか、危険な気配すら漂う。犯罪のニオイがプンプンしてるんですけど?

 見た目が女の子だから許されるけど、そうじゃなかったら通報ものだよね。下着ドロボウさながらの動きだもん。現行犯で逮捕。手錠がちゃんこ。牢屋がしゃんこ。

 まぁ、下着ドロしたことないけど。

 なんとなく想像で言ってみただけですけど。ちょっと小出しでコミカルかましただけですけどね。ほ、本当なんだからね?

「これ、かな……?」

 がさごそと漁っているうちに、それっぽいものを見つけるオレ。

 無地のシンプルな下着。

 見た感じはスポーツブラに近い。シンプルな色のフラットなデザインで、いかにも『胸を支えるための下着』って感じ。

 女性って、大変なんだね。

 寝巻きにまで気を遣わなきゃなんだもんね。「バストの形が崩れるから〜」とか「歳とってから垂れないように〜」とかさ。

 この世界の『葵』も、苦労してるのかなぁ。

 体育のときも感じたけど、この歳で肩凝りあるもんね。なまじ胸が大きいだけに、肩も凝っちゃうんだろうね。

 そのうえ、道ゆく人にチラ見されるしさ。さっき玄関前で朋花とも話してたけど、ご年配の♂に至ってはガン見してくるし。二重の意味で肩凝っちゃうよね。同情します。しんぱしー。

 寝巻き一式を持って、部屋を後にするオレ。

 階段を降りて、お風呂場へと向かう。ドア越しに「おフロ入るよ〜」と声をかけると、リビングから「どうぞ〜」と妹の声が返ってきた。ネコの鳴き声。違う、朋花の声。

 扉を開けて、脱衣所に入る。

 ブラウスに手を伸ばして、ぷちぷちとボタンを外す。肌が直に冷たい空気に触れて、ぶるっと少し身震いするオレ。

 いま気づいたけど、男女でボタンの位置が逆なんだね。なんか理由があったりするのかな?

 頭のうえにハテナを浮かべつつ、手を後ろに回してホックを外す。

 痛てててて。ブラを外すときに背中に腕を回すと、肩も一緒に外れちゃいそうなんだけど。この姿勢、けっこうキツくない?

 世の女性たちは皆んな、毎日この動きしてるんだよね。慣れてるから平気なのかな。肩関節が悲鳴をあげてる気がするんですけど。それとも、オレの身体が硬いだけ?

 やがて服を脱ぎ終わる。

 下着を洗濯ネットに入れてから、脱いだ服を洗濯カゴに放り込む。バスケだったらスリー・ポイント!

 独立洗面台の前に立ち、鏡に自分の姿をさらす。

 

 かわいい。


 この『葵』、ほんと可愛い。

 透けるような肌に、くりくりとした瞳。くるっと上向いた長いまつ毛に、目の印象を引き立てる二重まぶた。

 蛍光灯の光に照らされて、こげ茶の髪が淡くツヤめく。中腹から毛先にかけて軽めにウェーブがかった、ダークブラウンのミディアムボブ。

 目を引く容姿。

 ふと街中ですれ違ったら、思わず二度見しちゃいそう。

 蜜に誘われるミツバチさながらに、ついつい目で追っちゃいそうだよね。すれ違いざまに香る香水の匂いに釣られて、誘われるように後ろを振り返っちゃうアレ。アレですよ、アレ。伝わるでしょ?

 だから、わからなくはない。

 道ですれ違う男性たちが、この娘のこと横目で見るの。つい気になって目で追っちゃう気持ちは分かる。

 べつにチラ見を擁護するつもりはないし、鼻の下のばされるのは不快なんだけどね。チキン肌ブワってなるくらい不快なんだけどね。不快ですよ、男性諸君?

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