第15話 聖女の『神饌』と、魔瘴の『食中毒』

 玉座の間に、リュウさんの、料理人としての「覚悟」が満ちた。私とリュウさんは、二人だけの「厨房」を開いた。だが、私たちの行動を、帝国の魔導士たちが黙って見ているはずがなかった。


「な、何をしている、貴様! 包丁……だと? ハーブ? ここは神聖なる陛下の御前であるぞ!」

「聖女様も何を! そのような得体の知れない男と! 我々は今、帝国全土の魔力を集約して、呪いを『封じる』儀式の最中だ! 邪魔をするな!」


 数人の魔導士が、私たちを止めようと詠唱を始める。彼らにとって、リュウさんの行動は、神聖な儀式を汚す「冒涜」にしか見えなかったのだろう。私は、彼らの前に立ちはだかった。


「お待ちください!」

「聖女様、どいてくだされ! その男は危険だ!」

「危険ではありません!」


 私は、きっぱりと言い切った。私の背後では、リュウさんが、この緊迫した状況にもかかわらず、驚くほどの集中力で、私の菜園から持ってきたハーブを選別し始めていた。


「私の《浄化》は、あの魔瘴に『喰われ』ました。……けれど、彼の『料理』は、違います。どうか、私たちを信じてください。私たちは、陛下を『救う』ために来たんです!」


 私の必死の言葉に、魔導士たちは動きを止めた。その間にも、呪いの氷は、ドクン、ドクンと、不気味な脈動を続けている。まるで、次の「食事」はまだかと、私たちを急かすかのように。


「……セレスティア」


 リュウさんが、私を呼んだ。彼は、強い清浄の香りを持つものと、魔力を安定させる性質を持つ数種類のハーブを束ね、愛用の、使い込まれた包丁を構えていた。その姿は、玉座の間にはあまりにも不似合いな、ただの「料理人」だった。だが、その紅蓮の瞳には、先ほどのトラウマの色はもうない。そこにあるのは、難解な食材を前にした、職人の闘志だけだ。


「お前の力を、ありったけ、そのハーブに注ぎ込め。……いいか、加減するな。お前がパーティーで『役立たず』と言われた、あの馬鹿げた全力だ。あの魔瘴に、『喰われる』のではなく、俺に『調理』させるつもりでやれ」

「……はいっ!」


 私は、リュウさんの言葉に、大きく頷いた。魔導士たちの、疑いと不安に満ちた視線が突き刺さる。目の前では、私の「運命」の相手である氷帝陛下が、黒い氷の中で苦しんでいる。そして、私の隣には、「運命」に縛られない、私の大切な人がいる。


 私は、そっと目を閉じた。


 もう、魔瘴も、魔導士も、運命の糸も、怖くない。私が集中するのは、ただ一つ。この「辺境の聖域」で、私が「聖女野菜」を育てた、あの温かい光。小鳥の翼を癒した、あの優しい力。


(リュウさん……あなたに、私のすべてを預けます!)


「《聖女の浄化サンクチュアリ!!」


 私は、両手から、今この場で出せる、最大出力の《浄化》の光を放った。狙うは、魔瘴ではない。リュウさんが構える、一束のハーブ。


 光がハーブに注ぎ込まれる。もし、これが魔瘴であれば、今頃、私の光は跡形もなく「喰われ」ていただろう。けれど、リュウさんは、その光を受け止めていた。いや、受け止めるだけじゃない。彼の、包丁を握っていない方の手が、燃えるような紅蓮の光を放ち始めたのだ。


 リュウさんのスキル、《神の火加減ゴッド・グリル》が起動した。それは、彼の竜核から引き出される、生命そのものを燃やす「竜の炎」。だが、それは、魔瘴が好むような、荒々しい魔力の炎ではなかった。極限まで純度を高められ、食材の「本質」だけを引き出す、神聖な「調理の火」だった。


「おお……!?」


 魔導士たちが息を呑む。リュウさんの手の中で、二つの光がぶつかり合った。セレスティアから注がれる、清浄なる「白」の《浄化》。リュウさんが放つ、生命を燃やす「紅」の《炎》。


 白と紅の光は、反発するどころか、リュウさんの絶妙な「火加減」によって、まるで生地をこねるかのように、混じり合い、高め合っていく。リュウさんは、包丁を握ったまま、その光の塊を「捌いて」いく。無駄な魔力を削ぎ落とし、不純物を切り捨て、セレスティアの力の「核」となる部分だけを、ハーブの生命力と「焼き合わせる」。


 ジュウ、という音がした気がした。だが、それはハーブが焦げる音ではない。膨大な聖なる力が、ありえないほどの高密度に「圧縮」されていく音だった。

 玉座の間に、香ばしいような、それでいて太陽の光そのもののような、神聖な「香り」が満ちていく。それは、もはや「料理」と呼ぶしかなかった。


 やがて、光が収束していく。リュウさんが、ふぅ、と長く息を吐いた。

 彼の手の中に残されたのは、眩い黄金色の光を放つ、一個の、小さな『光の実』だった。セレスティアの《浄化》の力すべてと、「聖女ハーブ」の生命力、そしてリュウさんの《神の火加減》が融合し、結晶化した、「究極の回復食」。魔瘴にとって、この世で最も「美味」で、そして、この世で最も「猛毒」な、神饌しんせんが完成した。


「……セレスティア。よくやった」リュウさんは、全身全霊を注ぎ込んで立ち尽くす私に、それだけ言った。


 ドクン!! 呪いの氷が、ひときわ大きく脈打った。あの「光の実」に、気づいたのだ。あれが、自分が今まで喰らってきた、どんな魔力よりも純粋で、凝縮された「餌」であることを、本能で理解したのだ。魔瘴は、飢えていた。


「……来たな」


 リュウさんは、その光の実を、ためらうことなく素手で掴む。そして、魔瘴が覆う玉座へと、まっすぐに歩み寄った。


「馬鹿な! 近づくな! 喰われるぞ!」


 魔導士たちが叫ぶ。案の定、呪いの氷は、光の実を喰らおうと、その表面に、黒い亀裂……「口」を開いた。


 リュウさんは、その口を前にしても、一歩も引かなかった。彼は、トラウマを完全に克服していた。故郷を襲った絶望を前に、彼は、料理人として、傲然ごうぜんと言い放った。


「……さあ、ディナーの時間だ、化け物。俺とセレスティアが作った、最高のだ。……残さず、喰らえ」


 彼は、その「光の実」を、開いた魔瘴の「口」の中へと、深々と突き刺した。


 瞬間—— 魔瘴の「口」は、喜悦きえつに震えるかのように、パクリと閉じた。光の実が、喰われた。玉座の間が、静まり返る。魔瘴の脈動が、一瞬、止まった。


 そして、次の瞬間。


 グ、ギュルルルル……!! 呪いの氷の内側から、何かが「消化不良」を起こすような、おぞましい音が響き渡った。魔瘴は、その歴史上、初めて「消化できないもの」を喰らってしまったのだ。あまりにも純粋で、あまりにも強力すぎる、聖女の「生命力」の塊を。


「……!?」


 黒かった氷が、内側から、白く、発光し始めた。魔瘴が、私たちの「料理」に、七転八倒している。こいつは、腹を壊したのだ。


 ピシッ、と。黒い氷に、一本の、白い「亀裂」が入った。それは、破壊の亀裂ではない。内側から「浄化」されていく、再生の亀裂だった。


「……今だ、セレスティア!」

「えっ!?」

「とどめだ! もう一度、《浄化》を!」


 リュウさんの声に、私はハッと我に返った。そうだ。私の力は、もう「喰われ」ない。今、魔瘴は、内側からの浄化(食中毒)で、無防備になっている!


聖女の浄化サンクチュアリ!!」


 私が放った二度目の光は、今度は弾かれることなく、魔瘴の亀裂へと、まっすぐに吸い込まれていった。それが、合図だった。リュウさんが仕込んだ「内側からの浄化」と、私の「外側からの浄化」が、氷の中で出会う。


 パアアアアアアアアアン!! 玉座の間が、閃光に包まれた。呪いの氷が、黒い色が、穢れそのものが、光の粒子となって「蒸発」していく、神々しい光景だった。魔瘴の、声なき断末魔が響き渡る。


 光が収まり、私たちが目を開けると、そこには、あれほど私たちを苦しめた魔瘴の姿は、跡形もなくなっていた。玉座には、呪いの氷から解放された氷帝陛下が、深く、深く、座り込んでいる。意識はないようだが、その呼吸は、穏やかだった。


「……助かった……のか?」


 魔導士の一人が、呆然と呟く。その時、私は、自分の左手に起きた「異変」に気づいた。


(……あ)


 小指が、痛くない。見ると、私を縛り付けていた、あの忌まわしい《運命の赤い糸》が。氷帝陛下と私を繋いでいたはずの「運命」が、その役目を終えたかのように、ぷっつりと、切れていた。


 私は、隣に立つリュウさんを見上げた。彼は、汗だくになりながらも、やり遂げたという表情で、静かに息を整えていた。運命じゃない。私たちの「料理」が、勝ったのだ。



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