第56話 勝利

「私の仮説をサポートする決定的な物証がない、というのはその通りです。たとえば、犯行時刻のセキュリティカメラの映像、とか」


 あおいさんがそう言うと、野中常務が『ギクリ』という顔をした。


「高森CFOが殺された時、片桐経理課長が殺された時、どちらも、アリジオ電子社内のセキュリティカメラは『臨時メンテナンス』により稼働停止していました」

 画面の中の玲子社長を見つめながら、あおいさんが続ける。

「アリジオ電子が入居する総合オフィスビルのセキュリティカメラは、アリジオ電子や三枝家と関係のない第三者の警備会社によって運用されています。ただ、2つの殺人のときにだけ『偶然』、メンテナンスがあったとは考えづらい……」


 あおいさんが役員会議室内の参加者を見渡す。視線がテーブルの中央に座っている鷲尾社長を通過し、隣の参加者に来たところで止まった。


「そうですよね?——野中常務」


 役員会議室内の全員の視線が、野中常務に集まる。ボクはその瞬間に、スライドを次に進めた。暗がりの公園で、野中常務がトレンチコートを着た年配の男性に紙袋を手渡している連続写真が表示される。


「この左のコートを着た男性は、アリジオ電子のセキュリティカメラ運用をしている会社の、地域統括部長です。この紙袋には5百万円が入っています。セキュリティカメラを臨時メンテナンスにした追加の『お礼』、口止め料として渡されました。すでにこの地域統括部長は警視庁によって拘束され、背任と殺人幇助の容疑で取り調べを受けています。この右の男性は、野中常務、あなたですね?」


 野中常務は斜め上の虚空を見つめたまま、動かない。


「野中常務にはこんな大金は用意できないでしょうから、玲子社長が用意したのでしょう。野中常務、あなたも相当この事件に関わっていますね。マクニールの白石颯真を岐阜駅で刺したのも、あなたですよね」


 玲子社長が、ここで初めて声を荒げた。

「警察ごっこはもう止めなさい!わたくしは、警察上層部にも法曹関係者にも懇意にしてるお友達がたくさん居るのよ。あなたがやっているのは名誉毀損どころか、アリジオ電子の企業価値を毀損させて安く買い叩く、詐欺罪よ!天下のマクニールとあろうものが、そんな姑息な手を使うなんて!」


 あおいさんは深く息を吸い、声の温度を少しだけ落とした。

「M&Aは『未来』のために行います。ですが、未来は過去の上にしか立てません。――過去、つまり事実を、正しく積み上げる。それが、私たちの仕事です」


 あおいさんの冷徹な言葉で、役員会議室もZoomのスピーカーも、ぴたりと静かになった。画面の中の玲子社長は通信エラーのようにピクリとも動かない。


 10秒間、沈黙が流れた。


 突然、スピーカーから怒号が聞こえてきた。

「被害者を確保!無事を確認!」


 画面の玲子社長の顔が恐怖で引きつった。画面外でドアが乱暴に開けられる音がした。玲子社長が画面の右上の方を、驚愕で開かれた目で見つめている。


「えっ、あんたたち、誰なの!」

「三枝玲子!監禁の現行犯で逮捕する!」


 2人のスーツを着た男が、Zoom画面に入ってきた。その男たちに玲子社長は強引に画面外に連れ出される。


 あっけにとられた帝國電機の役員たちがだれも居ないマリーナベイサンズの背景画面を見ていると、拓馬さんの顔がアップに映った。

「お騒がせしました。誘拐されていた御社の社員、西野美咲さんの無事が確認できました。大きな怪我もしていません。三枝玲子を逮捕し、赤坂警察署へ連行します」


 そう言って、拓馬さんは画面外に出た。ブチンと電源が切れる音がして、背景が真っ黒になった。画面の外から拓馬さんの声が聞こえる。

「これどうやら、座席背後のモニターにシンガポールの背景ビデオを流してたみたいですね。この部屋は、新宿のタワーマンションの一室です」


 Zoomの接続が切れた。静かな役員会議室に、誰かの鉛筆が転がってコースターに当たる音がした。


 会議室内には、事態が飲み込めずに呆けた顔の役員たち、恐怖であごをがくがくと震わせる野中常務、聖なる儀式が汚されて顔面真っ白になった経営企画部長、そして次の一手を目をつぶって静かに考える鷲尾社長が居た。


 鷲尾社長は手元の1/30とナンバリングされた資料に何か書き込み、パタンと閉じた。

 演壇に立っていたあおいさんは、完全な勝利をしたのに悲しそうな顔をしていた。

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