第19話 カラワンの夜

 ルームサービスで運ばれてきたワゴンに近づいた。上に乗っている皿を取って銀の蓋を開けると、冷めかけたナシゴレンが現れた。


 あおいさんはナシゴレンをほおばりながら、ホワイトボードのマーカーを手に取る。

「明日の午前中に工場で追加質問するために、今日中に終わらせる分析のアウトプットレベルを整理しよっか」


 ボクたちの手元には、大量のデータがあった。プロジェクト開始直後に送られてきたものもあれば、今日の工場訪問でもらったものもある。時間が無限にあればいろんな分析を詳細に行うことも可能だが、特にデューデリプロジェクトでは時間がかなり限られている。企業価値査定に影響が大きい分析に絞らないといけない。さらに分析の精度や粒度も、適切に選択しないといけない。そのために、先週やったイシューアナリシスが効いてくる。


「インドネシア工場の売上・粗利・営業利益の月別トレンドは分析済みです。どれも右肩上がりで成長を続けています。顧客別・製品別の分析は、データは前からもらってましたが分析が終わってません。今日追加でもらったデータで言うと、購入部品ごとの価格と数量のデータがあります」

「明日工場で対面で聞いたほうがいいことに絞ると……。そうね、粗利や営業利益をどうやって伸ばし続けているか、知りたいわね。収益改善活動をやってるのなら、その現場を見せてもらいたい。あと、購入部品については、シナジーに直結するから分析しておこう。シナジー金額に直結する部品は写真を取らせてもらって、帝國電機側で同じものを購入しているか確認しないと」


 M&Aでは「シナジー」という言葉がよく出てくる。今回の場合で言うと、「帝國電機がアリジオ電子を買収することで、アリジオ電子単独では得られない価値と、帝國電機単独では得られない価値を、合算したもの」だ。価値、というか、カネ、が正しいけど。


 これはプロジェクト初日にあおいさんから教えてもらったことだけど、「シナジー、シナジー、ってよく言うけど、実はどんなシナジーがあるのか多くの人があんまわかってない」とのことだ。


 シナジーは、基本的には売上増とコスト減にわかれる。売上増でまず検討すべきは価格アップ、次に数量アップだ。販売ネットワーク拡大、クロスセル、アップセル、ブランド統合による顧客リーチ増など、数量アップは話がハデなので多くの人が議論したがる。でも、企業価値の数字に直結するのは価格アップ。1%だけ価格アップすると、10%の営業利益が増加する、という分析があったりする。売上増だけで10%の営業利益をアップさせるのは至難の業だ。


 そして、売上増は顧客や競合の変化もあり、想定通りにいかないリスクがある。ということで、堅実確実にシナジーを見込めるのは、コスト減となる。わかりやすいのは拠点や役職の統廃合、購入部品の共通化による価格減少などだ。


 今回の場合、アリジオ電子でAという汎用部品を100円で購入していたとして、帝國電機では同じ部品を90円で購入していた場合、企業買収後に両者90円で購入できれば差額10円分がまるまるシナジーとなって財務インパクトに現れる。さらに、購入ボリュームが増加するから90円から値下げ交渉ができるかもしれない。現実は、そんなに単純ではないのだけれど。


 ボクたちは、アリジオ電子単体の企業価値だけではなく、帝國電機とのシナジーも価値算定しなくてはならない。そのために、購入部品の分析は重要だ。アリジオ電子の購入部品単価データと帝國電機のデータを比べて価格差を算出。さらに、購入ボリューム増による交渉余地も、マクニール社のデータベースを使って推定。これらの購入価格減による粗利増は、売上増シナジー分との掛け算で営業利益増に効いてくる。

 汎用部品は比べるのは簡単だけど、そうでない設計部品はやっかいだ。マクニール社内にはコスト推定専門部隊がインドにいて部品を分解して調べたりもできるけど、全部品でやるわけにはいかない。そんな時間もコストもかけられない。デューデリの段階では「専門家による推定」でいくしかない。シナジーに効いてきそうな部品をいくつかピックアップして、帝國電機の専門家とマクニール社内の専門家にそれぞれ大体の金額を見積もってもらう。それらの削減の平均値を、全部品に「シナジー効果」として掛けるのだ。

 購入部品の詳細情報はアリジオ電子の東京本社では持っていなかったので、インドネシア工場で確認しておかなければならない。


「今は夕方6時。今朝は早かったから、早く寝たいよねー。10時までに終わらせるとしてあと4時間か。となると……」

 あおいさんがホワイトボードに書き込んだ分析名に赤マルと青マルをつけていく。


「赤マルは、それなりに完成度が高いアウトプットまでやる分析。青マルは、クイック&ダーティーでやって方向性だけ見たい分析。あとは、今日はやんない」


 あいおさんのこの明確な指示が、ボクは好きだ。ゴールが明確だから、疲れていても走り抜けることができる。


「それなりに完成度が高いアウトプット、というのは、どの程度ですか?」

「それは Good questionだね。ちょっと議論しよっか」


 その後15分かけて、赤マルがついた分析に求められる完成度について話し合った。


 行う分析とアウトプットが明確になり、どっちがどの分析をやるか役割分担が決まったら、ヨーイドン。二人で一斉に、手元のメモ用紙を使って個別分析のイシューアナリシスを始めた。それから3時間、一言も話さず、メモ用紙とエクセルで分析を行い、パワーポイントでとりあえずの見た目を整えた。


 夜9時30分。あおいさんがPCから顔を上げた。

「さて、颯真がやった利益率関連の分析、so-whatはなに?」


 この「so-what」。マクニールに入社した1年目は、ほぼ毎日質問された。ボクは課題を分解したり事実を押さえたりするのは得意だったけど、わかった事実から意味合いを出す、つまりso-whatを考えるのがあまり得意ではなかった。演繹法でso-whatを出すのはまだできるけど、帰納法が難しかった。でも毎日考えることで、2年目の今ではだいぶマシになってきた。


「営業利益が継続して伸びています。その原因は間接費の削減ではなく、粗利が伸びているからです。粗利の伸びは、直接人件費率が下がっているからです。製造人員一人当たりの生産高が伸びています。明日工場に行って、これまでどのような効率化施策を行ってきたかヒアリングすることで、これからも伸びるか、帝國電機の生産工程にも適用できそうか、確認したいです」


 あおいさんが少し驚いた顔で、ボクのPCを覗き込む。

「この短時間でそこまでわかったの?やるじゃん」

 すごく、うれしい。


「なるほどねー。材料費率はどうなってる?」

「材料費率は、ほぼ一定です」

 ボクがパワーポイントに出力した材料費率の月別トレンドグラフを見て、あおいさんの顔が少し曇る。

「ほんとに一定だね。なんでここまで安定してるんだろ?」

「材料費はシナジー計算にも重要なので、くりかえし確認しました」

「いや、颯真の分析を疑ってるわけじゃないよ。あくまで確認ね」

 エクセルの計算シートを見せて、どうやって材料費の分析をしたか説明した。


「分析もエクセルの数式も大丈夫そうだね。他にわかったことはある?」

「インドネシア工場からの出荷先、顧客の分析もしました。上位20社で売上総額の78%を占めます」

 そう言いながら、顧客別売上のパレート分析結果を見せた。

「基本は大手の電機メーカーと卸業者か。いくつか知らない会社があるから、後で調べておいてね。次は私の番ね」


 それから、あおいさんが分析した結果を共有してくれた。部品別の仕入れ金額、帝國電機の購入部品との価格差、在庫回転率、などからいくつかわかったことがあった。汎用部品の共同購入で3億円程度のシナジーが出そうなこと、専用部品が50%近くを占めるのでその追加分析が必要なこと、など。あと、在庫回転率の月ごとのブレが大きいことが気になった。


「今日のところはこれで終わり。わたしたちで作ったパワポをインドのチームに送って、寝てる間にきれいにしておいてもらいましょ。明日は工場で、効率化施策のヒアリングと、専用部品の確認ね」


 今朝は未明の3時30分、インドネシア時間だと2時30分に起きて、飛行機に乗って、渋滞の高速道路でガタガタ2時間揺られて、工場でデューデリインタビューして、ホテルに帰って分析して、いま夜10時。20時間近くぶっ通しだ。


 でも、不思議とそんなに疲れてない。


 ボクの分析結果があおいさんに認められたし、チームメンバーとして信頼され始めている実感がある。さらに、自分の分析が「実戦で戦える武器」になってきた手触り感が、少し誇らしかった。


 なんだかアドレナリンが出てきて、このまま眠れるか心配だ。




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