第二話 自衛の訓練

王国歴218年5月(ケン14歳)


 初夏の爽やかな風が、ネルント開拓村の村外れの原っぱに集まった子供たちの顔に吹いている。森も草原も畑も、勢いよく伸びる若芽で濃淡様々な緑色に染まっている。だがこの原っぱは、ここに集う子供たちに力一杯踏み付けられて、緑は薄く土の色が濃い。



「イチ、ニ! ほら、もっと腰を入れて振るんだ。イチ、ニ! 腕に力を込めるんじゃない、腰だ!」


 要領を教える大声が掛かる。

 子供たちは、師匠であるマーシーの号令に合わせて、剣に見立てた木の枝を振っていた。『木剣』と言えるほど整ったものではない。手の大きさに見合った太さの杉の枝を適当な長さに切り、小枝を払っただけのものだ。


「イチで前に出ながら振る! ニで下がりながら立てる! 前に出ながら振る! 下がりながら立てる! あと四十回!」


 山を越えて続く深い森の近くにあるこの村では、子供の剣術稽古用の木ぐらい、きこりのホルツに頼めばいくらでも持ってきてくれる。樫の六尺棒を作るのもお手の物だが、それでは硬すぎて危なっかしい。用心棒としてどの家でも二、三本は持っているが、例え子供同士でも力一杯に振ると当たり所が悪ければ大怪我をする。稽古用には若い杉のような軟らかい材でちょうど良い。


「そら、振り方がいい加減になってるぞ! 疲れるのはまだ早い! あと二十回! イチ、ニ!」


 この村では、子供が十歳ぐらいになると、剣術や棒術の稽古をする。三日に一度ぐらいで、これは男女の別はない。何といっても、ここは開拓の最前線だ。野生の獣が毎日のように出没する。


 黒狼は村人だけでなく、豚、鶏といった村の家畜にとっても大敵だ。ケンが『塔』と呼ぶ物見台も、元々は黒狼が襲いに来ないかを見張るために建てられたものだ。だが、開村後に大規模な狩りを行い、また暫くして畑の周りに作った生け垣が子供の背丈を超える高さになってからは村に近付いてこなくなった。

 それからはむしろ、森からやってきて畑を荒らす兎や大鼠を狩ってくれる、村の守り神扱いになっている。


 そうは言っても、黒狼が害獣を獲り尽くしてくれるはずもない。依然として現れる兎や大鼠を追うのは子供の仕事だ。狩ることができれば良い肉になるが、すばしっこくて簡単ではない。大人が追っていては畑仕事が進まないので、自然と子供の役割になる。


「ライナー、しっかりやらないと、いざという時に役に立たないぞ! イチ、ニ! あと十回!」


 だが、現れるのは兎のような弱い動物だけではない。そいつらや村の鶏を狙って、穴熊や狐のような肉食獣も出没する。場合によっては、小さな子供たちにとって脅威になりかねない。身を守れるようにするため、畑の見張りをするときには、木剣や六尺棒を持たせるのだ。木製の武器であっても子供がいきなり振り回しては危ないので、普段から扱いを教えて練習をさせておく。これは村人で傭兵でもあるマーシーが引き受けている。

 勿論、十歳やそこらの子が、訓練をしたところで大して役には立たない。棒を振りながら害獣を追い回して追っ払うのが精々だ。実際には、子供たちを纏めて面倒を見ながら、仲良くさせるのと共に少しずつ自立の意識を持たせるという意味の方が大きいのが本当のところだ。


 マーシーは粉挽きのフレースの娘であるマリアの夫だ。

 この村の開村の時に、荷馬車の隊列の護衛として雇われて一緒にやってきた際に、マリアに一目惚れした。任務が終わった後に一度は村を出て町に帰ったが、マリアのことを忘れられず、舞い戻ってきてそのまま村に居付き、マリアを口説き落として結婚した。結婚式は、村の小さな教会では初開催となり、村民が皆集まって大いに盛り上がったものだ。

 今は農夫として小さな畑を開き、またしゅうとのフレースの粉挽きの仕事を手伝ってもいるが、傭兵ギルドへの登録も抹消していない。そのため、年に何回かは町に行き、商隊の護衛の仕事をこなしたりもしている。

 マーシーとマリアにはまだ子供がいない。二人とも子供好きなので、村の子供たちは二人に良く懐いており、ケンの事も可愛がってくれている。


 ケンは親の愛を十分に感じられずに育ったが、そのことをあまり気にせずに済んでいるのは、この二人を初め、村人たちがケンを可愛がってくれたからだろう。

 村人たちは一緒に力を合わせて村を開き畑をひらいてきたため、村全体が家族という意識が強い。そのため、村の子供は皆の子供、皆で育てるもの、というのが共通認識のようになっている。子供たちも皆、きょうだいのようなものだ。

 そのことも、ケンがひどくは屈折しなかった理由の一つだろう。



 マーシーが、素振りが終わった子供たちを集めて剣の振り方を教えている。子供たちは顔の汗を拭き、革袋から生温なまぬるい水を飲みながら真剣にそれを聞いている。


「いいか、剣は真っ直ぐ振らないと斬れないぞ。刃は剣の両側にしか付いていないんだ。剣の腹では、いくら当たっても相手に傷を負わせられない。わかるな?」

「うん」

刃筋はすじを立てるんだ。……そうだな、剣は板のようなものだと考えるんだ。板を速く振ろうと思ったら、親指と人差し指で挟んで、ふちで空気を切るようにするだろう? 板の面が立つと空気に邪魔されてまともに振れない。それと同じだ。やってみろ」


 子供たちはそれぞれみな思い思いにやってみる。上手くいく者、いかない者、さまざまだ。


「ケン、いいぞ、その調子だ。みんなもケンを見てみろ。肩に力が入っていないだろう? 肩が力むと、腕はかえって遅くなるんだ」


 自分のことを言われてケンの顔が赤くなった。褒められ注目されると、意識して無駄に力が入ってしまう。力を意識しないように、真っ直ぐ、真っ直ぐ、繰り返す。

 それを見ていた子供の中で、大柄な何人かががぶつくさ言いだした。


「力を抜いて速く振れ、ってどうすりゃいいかわかんないよ」「俺もだ」「そうだそうだ」


 マーシーが笑顔で答える。


「ホルスト、ジーモン、スミソン、お前らは仕方がない。日頃から家の手伝いで、槌やら斧やら、毎日力一杯揮ってるんだから。普段の振り方が身にみ付いてるんだ」


 ホルストは樵のホルツの、ジーモンとスミソンは鍛冶屋のシュミットの息子だ。家の仕事の手伝いをしているうちに、道具に合わせて筋肉が付いたのだろう。


「お前らは、もし戦う場合にも、大槌を持った方が良いかもな」


 マーシーがそう言うと、ホルストが汗で濡れた髪を掻きながらぼやいた。


「槌で人と戦うって、良くわかんねえ。狐を追っ払うぐらいなら、棒で充分だって」「そうだな。おっかねえ」「俺もだ」「あたしも」


 口々に言う子供たちに、マーシーは笑顔で諭す。


「ああ、そうだ。人と戦うのはおっかないもんだ。だが、世の中には、悪い奴もいる。いざという時には、家族と自分を守るために戦わなきゃならない。その時のために、準備だけはしておくんだ」

「悪い奴って、盗賊とか子取りとか? って、そいつらが来たら、ぶっ飛ばしてやるために?」

「ああ、そうだ。そうなってからでは遅いから、今、鍛えておくんだ」

「俺、頑張ってやる」

「その意気だ、ホルスト。頑張れ。だがな、力が強いだけでは駄目だ」


 マーシーは皆を見回すと、少し声を小さくして言う。


「本当に悪い奴はずるがしこい。わざと隙を見せたり逃げる振りをしたりして、逆にこっちに隙を作ろうする。だから、相手を良く見るんだ。振りか、本当の隙なのか、素早く見極めるんだ」

「相手のどこを見るんだ? 目?」


 ケンが尋ねると、マーシーはにやっと笑った。


「いい質問だ。いいか、じゃあ、俺の目を見てみろ」


 マーシーがケンに言う。ケンがマーシーの目を見詰めると、マーシーは一呼吸の間ケンの目を見返していたが、不意に森の方に視線を逸らした。ケンや皆が釣られてそちらを見たとたんに、マーシーは手にしていた木の枝で、ケンの頭をピシッと叩いた。


「いてっ」

「ほら、こういうことだ。目だけを見ると相手の目に釣られる。手だけを見ると手の動きに釣られる。一か所だけを見ちゃ駄目なんだ。わかるな? 相手の全体を掴む、それが大事だ」

「ひどい」「ずるいぞ」「ずるいよ」「ひどーい」


 子供たちが口々に非難の声を上げたが、マーシーは取り合わない。


「ああ、狡い。悪いやつは、狡いことをやってくるんだ。やられてからでは文句も言えない。だから、やられないように油断なく、相手の全体を掴むんだ」

「全体を同時に見るなんて、難しいよ」


 マットが口を尖らせて言うと、マーシーは今度は真面目な顔で答えた。


「そうだな。難しい。だから、訓練が必要なんだ。いいか、相手の体を見透かして、背中の皮全体を見回すようなつもりで見るんだ」

「相手を見透かす……」

「そうだ。そして、周囲も同時に見えるようにする。周囲が見えると相手の動きも見える。相手が見えると周囲も見える」

「何を言ってるか、わかんないよ」「そんな、全部見てたら、体が動かないよ」


 また子供たちががやがや騒ぎだすが、マーシーは笑顔で首を横に振った。


「いや、訓練していれば、そのうちできるようになる。できてしまうと、今度はなぜ今までできなかったのかが不思議になる」

「やっぱり、何言ってるかわかんない」

「まあ、何事も訓練次第ってこった。頑張って続ければ、いつかは鍬も剣も同じぐらい巧く振れるようになるさ。さあ、また素振りを始めるぞ」


 子供たちはぶつぶつと文句を言いながらも、素振りに戻った。皆、この時間が、そして笑顔で自分たちの相手をしてくれるマーシーが大好きなのだった。

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