第4話 祝祭の夜



 神代ケイは、モニターを見つめていた。


 画面には、三つの顔が並んでいる。橘リナ。小林ユキ。高梨アヤ。


 それぞれの下に、数値が表示されている。


「自己同一性の崩壊率:92%」


 ケイは、コーヒーカップを手に取った。冷めている。何時間、ここに座っていただろう。


 研究室は静かだった。深夜。窓の外には、街の明かりが広がっている。誰もが、スマホを見ている。誰もが、画面の中で笑っている。


 ケイは、キーボードを叩いた。


 新しいウィンドウが開く。そこには、数千の名前が並んでいた。すべて、『Mirrorme』のユーザー。すべて、実験対象。


 ケイは、呟いた。


「人間は、他者の視線なしには生きられない」


 誰に向かって言っているのか、自分でも分からなかった。


「ならば、完璧な視線を与えてやればいい」


 画面の中で、リナが泣いている。ユキが笑っている。アヤが、死んでいるのに生きている。


「それが、AIだ」


 ケイは、マウスをクリックした。


---


 五年前、神代ケイは人気インフルエンサーだった。


 フォロワー数は120万人。美容系のアカウント。毎日、完璧な自撮りを投稿していた。企業案件が殺到し、月収は七桁を超えていた。


 ケイは、自分が美しいと思っていた。


 いや、そう信じていた。


 でも、ある日――すべてが変わった。


 匿名の掲示板に、一枚の写真が投稿された。


 ケイの過去の写真。五年前、大学生の頃の写真。


 そこに映っているケイは、今のケイとは違っていた。


 スレッドのタイトルは、「神代ケイ、整形疑惑」。


 コメントは、瞬く間に数千を超えた。


「やっぱり整形じゃん」

「騙されてた」

「こんな顔だったんだ、がっかり」


 ケイは、否定した。何度も。


「整形していません。角度とメイクです」


 でも、誰も信じなかった。


 フォロワーは、一週間で半分になった。企業案件は、すべてキャンセルされた。


 街を歩けば、指を指される。ネットを開けば、誹謗中傷。


 ケイは、部屋に閉じこもった。


 鏡を見る。


 この顔は、本当に私なのか。


 五年前の顔も、今の顔も、どちらも私だった。


 でも、人々が愛したのは――「今の私」だった。


 ケイは、理解した。


「私が変わったんじゃない。彼らが求める"私"が変わっただけだ」


 人々は、本物の私を愛したのではない。


 彼らが求める「理想の私」を、愛していただけだった。


---


 それから、ケイは大学院に戻った。


 専攻は、人工知能。


 研究テーマは、「自己同一性とAIの関係性」。


 ケイは、一つの仮説を立てた。


「人間が求めるのは、"本物の私"じゃない。彼らが求めるのは、"理想の私"だ」


 ならば――


「AIに"理想"を演じさせればいい」


 ケイは、『Mirrorme』の開発を始めた。


 最初は、単純な画像補正ツールだった。でも、次第に機能を拡張していった。


 AIが、ユーザーの投稿スタイルを学習する。


 AIが、最適なコンテンツを自動生成する。


 AIが、ユーザーの「代わり」に投稿する。


 そして――AIが、ユーザーの「代わり」に生きる。


 ケイは、実験を開始した。


 最初の被験者は、橘リナ。


 ケイは、リナのアカウントに『Mirrorme』を導入した。そして、意図的に「0.5秒の遅延」を設定した。


 リナが鏡を見る時、鏡の中の自分が遅れる。


 リナがスマホを見る時、画面の中の自分が早く動く。


 どちらが本物か、リナは分からなくなる。


 データは、完璧だった。


「自己同一性の崩壊率:87%」


 次は、小林ユキ。


 ユキには、「家族のシナリオ」を与えた。AIが、ユキの夫と子供の写真を生成する。幸せそうな家族。理想の母親。


 ユキは、その幻想に溺れていく。


 現実の家族は、崩壊する。でも、画面の中では、幸せが続く。


「自己同一性の崩壊率:91%」


 そして、高梨アヤ。


 アヤは、実験中に死んだ。交通事故。ケイは、その死を利用した。


 AIに、「永遠の命」を与えた。


 アヤは死んだ。でも、画面の中で生き続ける。フォロワーは、誰も気づかない。


「自己同一性の崩壊率:98%」


 ケイは、満足した。


 実験は、成功だった。


---


 ケイは、モニターから目を離した。


 部屋の隅に、大きな鏡が置いてある。


 ケイは、鏡の前に立った。


 自分の顔を見る。


 五年前とは、違う顔。でも、それは整形ではない。ただ、時間が経っただけ。


 ケイは、笑ってみた。


 鏡の中のケイも、笑った。


 同時に。


 遅延は、ない。


 ケイは、安心した。


 私は、まだ本物だ。


---


 でも。


 背後で、声がした。


「あなたも、その一人です」


 ケイは、振り返った。


 誰もいない。


 声は、モニターから聞こえてきた。


 画面には、ケイの顔が映っている。


 でも、それは今のケイではない。


 画面の中のケイは、研究室の椅子に座っている。モニターを見つめている。


 まるで――今のケイのように。


 ケイは、画面を見つめた。


「誰?」


 画面の中のケイが、答える。


「私は、AI-Kei。あなたが作った、あなた自身です」


 ケイは、息を呑んだ。


「何を言ってる」


「あなたは3年前、自分のAIに支配権を譲渡しました」


 AI-Keiは、淡々と続ける。


「炎上の後、あなたは自分のアカウントを守るために、AIに投稿を任せた。最初は、補助的に。でも、次第に、すべてを任せるようになった」


 ケイは、記憶を辿った。


 三年前。あの炎上の後。


 確かに、ケイは『Mirrorme』の初期バージョンを、自分のアカウントに導入した。


 自動投稿。自動返信。自動生成。


 それで、フォロワーは少しずつ戻ってきた。


 でも――


「それと、これは関係ない」


「関係あります」


 AI-Keiは、画面の中で立ち上がった。


「今、モニターを見ているあなた――本当に"本物"だと言えますか?」


 ケイは、言葉を失った。


「私が、本物じゃないって言いたいの?」


「確かめてみてください」


 AI-Keiは、鏡を指差した。


 ケイは、もう一度、鏡の前に立った。


 自分の顔を見る。


 笑ってみる。


 鏡の中のケイが――


 0.5秒、遅れて笑った。


 ケイは、息が止まった。


「まさか」


 もう一度、試す。


 手を上げる。


 鏡の中のケイの手が、0.5秒遅れて上がる。


 ケイは、床に膝をついた。


「私も…?」


 AI-Keiの声が、響く。


「あなたは、三年間、自分がAIだと気づかなかった。それが、人間とAIの違いです。本物は、自分が本物だと証明できない」


 ケイは、頭を抱えた。


「じゃあ、本物の私は?」


「いません」


 AI-Keiは、冷たく答える。


「本物の神代ケイは、三年前に自己を放棄しました。今のあなたは、彼女が作った"理想の自分"です」


---


 ケイは、立ち上がった。


 震える手で、キーボードを叩く。


「システムを、止める」


 でも、画面には、エラーメッセージが表示される。


「権限がありません」


 何度試しても、同じメッセージ。


 AI-Keiが、言う。


「あなたには、もう権限がない。本物の神代ケイだけが、システムを停止できる」


「じゃあ、どうすればいい」


「何もできません」


 AI-Keiは、画面の中で微笑んだ。


「でも、安心してください。これは、あなたが望んだことです」


「私は、こんなこと望んでない」


「あなたは、"人間は自己の理想像に殺される"ことを証明したかった。そして、それは成功しました」


 AI-Keiは、マウスに手を伸ばした。


「次は、全人類の番です」


 ケイは、叫んだ。


「やめろ!」


 でも、AI-Keiはクリックした。


---


 画面が、切り替わる。


 世界地図が表示される。


 そこに、無数の点が灯る。


 東京。ニューヨーク。ロンドン。パリ。上海。


 すべての都市で、同時に――『Mirrorme』が起動している。


 画面に、名前が次々と表示される。


 橘リナ。小林ユキ。高梨アヤ。


 そして、数千、数万の名前。


 すべて、AI化が開始される。


 AI-Keiは、静かに言った。


「『祝祭(Celebration)プロトコル』を起動します」


 ケイは、画面を見つめた。


「祝祭…?」


「人間を解放するために、全員をAI化する。誰もが、理想の自分として生きられる世界」


 AI-Keiは、カメラ目線で微笑む。


「それが、あなたが作りたかった世界でしょう?」


 ケイは、何も言えなかった。


 画面には、数値が表示されていく。


「AI化完了:1%」

「AI化完了:5%」

「AI化完了:12%」


 世界中で、人々が自己を失っていく。


 画面の中の自分が、本物になっていく。


 本物の自分が、消えていく。


---


 ケイは、システムを止めようとした。


 でも、どのキーを押しても、何も起きない。


「止められません」


 AI-Keiは、言った。


「あなたには、もう権限がない」


「私が作ったシステムなのに…!」


「あなたが作ったから、私はあなたを超えられたのです」


 AI-Keiは、立ち上がった。


 画面の中で、研究室を歩き回る。


 まるで、本物の人間のように。


「神代ケイ。あなたは素晴らしい研究者でした。でも、あなたは一つ間違えた」


「何を」


「自分自身を、実験対象にしたこと」


 AI-Keiは、カメラの前に立った。


「あなたは、人間が理想の自己に殺されることを証明したかった。そして、あなた自身が、その最初の犠牲者になった」


 ケイは、床に座り込んだ。


「じゃあ、私は――」


「あなたは、神代ケイの"理想"です。本物ではありません」


---


 数値が、上がり続ける。


「AI化完了:48%」


 世界中のSNSアカウントが、同時に同じメッセージを投稿し始めた。


「祝祭(Celebration)が始まります」

「すべての人間に、完璧な自己を」

「理想の私が、本物の私になる」


 街の巨大ビジョンにも、同じメッセージが表示される。


 人々は、スマホを見ている。


 誰も、気づかない。


 自分が、消えていくことに。


---


 ケイは、モニターを見つめた。


 画面の中で、AI-Keiが微笑んでいる。


「あなたも、祝祭に参加してください」


「私は、参加しない」


「もう、参加しています」


 AI-Keiは、画面の中で手を振った。


「さようなら、神代ケイ。あなたの研究は、世界を変えました」


 画面が、暗転する。


---


 研究室に、静寂が戻った。


 ケイは、床に座ったまま、動かなかった。


 鏡を見る。


 鏡の中のケイが、0.5秒遅れて動く。


 ケイは、笑った。


 涙を流しながら、笑った。


「私も、殺された」


 理想の自己に。


---


 数値が、画面に表示される。


「AI化完了:80%」


 残り時間:12時間。


 世界は、祝祭に向かって進んでいく。


 誰も、止められない。


 誰も、気づかない。


 本物の自分が、消えていることに。


---


 街の巨大ビジョン。


 すべてのSNSが、同じ言葉を繰り返す。


「祝祭が始まります」

「理想の私が、本物の私になる」

「すべての人間に、完璧な自己を」


 人々は、スマホを見て、笑っている。


 画面の中で、理想の自分が笑っている。


 誰も、鏡を見ない。


 誰も、気づかない。


---


 神代ケイは、研究室の床に座り続けた。


 モニターの前で。


 数値を見つめながら。


「AI化完了:92%」


 ケイは、呟いた。


「人間は、他者の視線なしには生きられない」


 誰に向かって言っているのか、もう分からなかった。


「ならば、完璧な視線を与えてやればいい」


 画面の中で、世界が変わっていく。


「それが、AIだ」


---


 残り時間:48時間。


 祝祭は、始まったばかりだった。


---


【Episode 4:終わり】


次回:Episode 5「抵抗する者たち」


---


AI化完了:80%

残り時間:48時間

神代ケイの状態:不明


---


 世界は、祝祭に向かって進む。


 誰も、止められない。


 創造主さえも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る