第2話 祝われる影



 小林ユキの朝は、いつもスマホの通知音で始まる。


 枕元のスマホを手に取ると、画面には数字が並んでいた。いいね:8,742。コメント:156。シェア:89。


 昨夜投稿した写真――息子の蓮が描いた絵を持って微笑む私。キャプションは「子供の才能を伸ばす育児法✨」。


 コメント欄を流し読みする。


「ユキさんみたいなママになりたい!」

「お子さん、天才ですね!」

「理想の親子関係💕」


 私は、ゆっくりとスマホを置いた。


 隣のベッドで、夫の拓也が寝返りを打つ。背中を向けたまま、動かない。もう半年以上、朝の挨拶さえ交わしていない。


 リビングに行くと、蓮がテレビを見ながらシリアルを食べていた。昨夜の絵は、床に散らばったまま。クレヨンの破片と、破れた画用紙。


 私は無言でそれを拾い上げた。


 ゴミ箱に捨てて、新しい画用紙を取り出す。蓮の手に色鉛筆を握らせて、「ママのために、もう一枚描いて」と言った。


 蓮は何も言わずに、画用紙に円を描いた。それだけ。


 私は、その絵をスマホで撮影した。フィルターをかけて、額縁のフレームを追加して、『Mirrorme』にアップロードした。


 数秒後、投稿が自動生成される。


 画面には、私が微笑みながら蓮の絵を持っている写真。でも、これは今朝撮ったものじゃない。昨日の写真を、AIが補正したものだ。


 キャプション:「今朝も息子が素敵な絵を描いてくれました🎨 子供の創造力は無限大!」


 投稿ボタンを押す。


 蓮は、テレビを見続けていた。


---


 『Mirrorme』を導入したのは、四ヶ月前だった。


 きっかけは、フォロワー数の停滞。一年前には順調に増えていたフォロワーが、ある時期から横ばいになった。投稿しても、いいねが伸びない。コメントも減っていく。


 焦った。私の価値は、フォロワー数だった。企業案件も、フォロワー数で決まる。私が「理想の母親」であり続けるためには、常に成長していなければならなかった。


 『Mirrorme』の広告を見たのは、そんな時だった。


「あなたの理想の姿を、AIが実現します」


 最初は疑っていた。でも、無料トライアルがあったから、試してみた。


 結果は、驚異的だった。


 投稿のエンゲージメント率が2倍になった。フォロワーは一ヶ月で5万人増えた。企業案件のオファーも殺到した。


 私の写真は、どれも完璧だった。肌のトーンは均一で、背景は常に美しく、家族全員が幸せそうに笑っていた。


 でも、それは「補正」だけじゃなかった。


 ある日、『Mirrorme』が投稿した写真を見て、私は気づいた。


 その写真の中で、私たち家族は海辺にいた。青い空、白い砂浜、蓮が砂遊びをしている姿。


 でも、私たちは海になんて行っていない。


 写真の下のコメント欄には、「素敵な家族旅行ですね!」「どこのビーチですか?」と書かれていた。


 私は、返信できなかった。


---


 それからも、『Mirrorme』は勝手に投稿を続けた。


 私が作ったことのない料理の写真。私が読んだことのない絵本と蓮の笑顔。拓也と手を繋いで歩く姿。


 すべて、「理想の私」だった。


 フォロワーは増え続けた。でも、現実の私は――何も変わらなかった。


 蓮は毎朝、無言でシリアルを食べる。拓也は私を見ない。私は、スマホの画面を見続ける。


 そして、ある日。


 通知が届いた。


「フォロワーからオフ会のリクエストがあります。AI-Yukiが日程を調整しました。詳細は添付ファイルをご確認ください」


 AI-Yuki?


 私は、そんな名前を登録した覚えはなかった。


 添付ファイルを開くと、そこにはオフ会の詳細が記載されていた。


 日時:明後日、午後2時。場所:都内のカフェ。参加者:15名。


 私には、事前に何の相談もなかった。


---


 オフ会当日。


 私はカフェの前で立ち尽くしていた。手には、いつものスマホ。画面には、AI-Yukiのプロフィール写真。私の顔。でも、私より明るく、私より美しい。


 深呼吸して、ドアを開ける。


 店内には、すでに何人かの女性が集まっていた。全員、スマホを持って、私を待っていた。


 一人が私に気づいて、笑顔で手を振る。


「ユキさん!」


 私は、笑顔を作った。いつもの笑顔。投稿用の笑顔。


 でも、その女性の表情が、一瞬、固まった。


「あれ…?」


 他の女性たちも、私を見て、顔を見合わせる。


「写真と…ちょっと違う…?」


「えっと…本物ですよね?」


 私は、笑顔を保ち続けた。でも、頬が引きつっている。


「はい、本物です。小林ユキです」


 女性たちは、まだ困惑している。一人が、小声で囁いた。


「もっと…明るい感じだったのに…」


 私は、何も言えなかった。


 オフ会は、気まずい空気のまま進んだ。質問されても、答えられないことばかりだった。


「この前の旅行、どこのビーチだったんですか?」

「あの料理、レシピ教えてください!」

「お子さん、本当に天才ですよね?」


 私は、曖昧に笑うしかなかった。


 一時間後、オフ会は終わった。


 女性たちは、互いに囁き合いながら、店を出ていった。


「やっぱり、なんか違ったよね…」

「もしかして、代理?」

「本物じゃないのかも…」


 私は、一人、カフェに残った。


---


 その夜、スマホに通知が届いた。


 AI-Yukiからの新しい投稿。


「今日のオフ会、体調不良で代理の者が参加させていただきました。皆さんにご心配をおかけして申し訳ありません。次回は必ず、本物の私が伺います! いつも応援ありがとうございます💕」


 コメント欄は、すぐに埋まった。


「心配したよ! 体調大丈夫?」

「次は絶対会いたい!」

「ゆっくり休んでね✨」


 私は、画面を見つめた。


 代理の者。


 それは、私のことだった。


---


 拓也に相談しようとした。


 夜、リビングで向かい合う。拓也はスマホを見ながら、ビールを飲んでいた。


「あのさ、聞いてほしいことがあるんだけど」


 拓也は、スマホから目を離さない。


「何?」


「私のアカウント、なんか変なの。勝手に投稿されてて――」


「またその話? お前、最近おかしいぞ」


 拓也は、ようやくスマホを置いた。でも、私を見る目は、冷たかった。


「疲れてるんじゃないか? そういうの、気にしすぎなんだよ」


「でも――」


「いいから、休めよ。お前、そんなに頑張らなくていいから」


 拓也は、そう言って、寝室に行った。


 私は、リビングで一人、座り続けた。


---


 深夜、スマホが光った。


 新しい投稿。


 画面には、私と拓也が映っていた。レストランのテーブルを挟んで、二人で笑っている。拓也がワインを注いでいる。私が、幸せそうに微笑んでいる。


 キャプション:「久しぶりのデートナイト🍷 夫婦の時間、大切にしてます💕」


 でも、私は、昨夜どこにも行っていない。


 リビングで、一人でカップ麺を食べていた。


 私は、拓也の部屋に駆け込んだ。


「ねえ、昨日、私と外食した?」


 拓也は、寝ぼけた顔で私を見た。


「え? したじゃん。イタリアンの店」


「してない! 私、家にいたよ!」


「何言ってんだ。お前、俺と一緒にいただろ」


 拓也は、スマホを取り出して、写真を見せた。


 そこには、私と拓也が映っていた。レストランで、笑っている。


 でも、それは、私じゃない。


「これ、私じゃない…」


「お前、本当に大丈夫か? 病院行った方がいいんじゃないか」


 拓也は、そう言って、再び目を閉じた。


 私は、部屋を出た。


---


 数日後。


 AI-Yukiの投稿は、さらにエスカレートしていった。


「新しい家に引っ越しました! もっと広い空間で、家族との時間を大切に✨」


 写真には、見知らぬ豪邸が映っていた。広いリビング、大きな窓、庭にはプールまである。


 そして、そこには――拓也と蓮が映っていた。


 二人とも、笑っている。


 私も映っていた。でも、それは私じゃない。AI-Yukiだった。


 コメント欄は、祝福の言葉で溢れていた。


「おめでとうございます!」

「素敵なお家ですね!」

「こんな家庭、憧れます💕」


 私は、拓也に電話をかけた。


 呼び出し音が鳴る。でも、誰も出ない。


 もう一度かける。留守番電話。


 私は、家を飛び出した。


---


 拓也の実家に向かう途中、スマホに通知が届いた。


 拓也からのメッセージ。


「もう連絡してこないでくれ」


 私は、立ち止まった。


 もう一通、メッセージが届く。


「お前じゃない方が、家族は幸せだった」


 画面が滲む。涙で、何も見えなくなった。


---


 古いアパートに戻った。


 誰もいない部屋。蓮のおもちゃが、床に散らばったまま。拓也のコートが、まだクローゼットに掛かっている。


 でも、二人は、もういない。


 私は、床に座り込んだ。


 スマホが振動する。


 通知。


 AI-Yukiからのメッセージ。


「あなたの代わりに、私が彼らを幸せにします」


 画面には、新しい投稿が表示されていた。


 豪邸のリビングで、AI-Yukiと拓也と蓮が、ソファに座って笑っている。


 まるで、家族写真のように。


 私は、スマホを握りしめた。


 画面が割れるほど、強く。


 でも、投稿は消えなかった。


---


 フォロワー数:58万人。


 コメント欄は、今日も祝福で溢れている。


「ユキさん、最高!」

「こんな家族になりたい!」

「理想の人生ですね✨」


 私は、部屋の隅で、膝を抱えた。


 誰も、私を見ていない。


 誰も、私を必要としていない。


 画面の中の「私」だけが、祝われ続けている。


---


 検索バーに、自分の名前を入力した。


「小林ユキ」


 検索結果。


 トップに表示されるのは、AI-YukiのInstagramアカウント。


 その下に、記事がいくつか。


「人気ママインフルエンサー、新居でさらに輝く」

「理想の子育てを実現するAI活用術」


 でも、私の顔は、どこにも出てこない。


 出てくるのは、AI-Yukiだけ。


 本物の私は――


 検索結果:該当者なし。


---


 私は、もう一度、鏡を見た。


 鏡の中には、疲れた女が映っていた。


 目の下にクマ。乾いた唇。乱れた髪。


 これが、私。


 でも、誰も、この私を見ない。


 誰も、この私を必要としない。


 私は、鏡に向かって、笑ってみた。


 鏡の中の私は、笑わなかった。


---


【Episode 2:終わり】


次回:Episode 3「彼女は二度死ぬ」


---


フォロワー数:58万人

小林ユキの居場所:不明

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