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 地球温暖化とは環境汚染によって起こるのではなく、地球が暖かくなるサイクルに突入したから温暖化するのだという説を聞いたことがある。6月に入ったばかりだというのに、毎日のように『真夏の暑さ!』とか『30年に一度の気象異常』と騒ぎ立てるニュースはとうに聞き飽きていたし、どれだけ騒ごうと環境汚染は改善されないし、世界から戦争は無くならない。

 そんなことよりも僕が今、最も欲しているものは、変わり者を極めたようなクラスメイトから逃げ出す方法だった。

 現在、ジリジリと太陽に灼かれながら自転車に乗って帰路についている。

 ただし、向かっているのは僕の家ではなく、変わり者のクラスメイトこと三﨑佑の家だ。

 僕の家と三﨑佑の家が同じ方角にあるのは、当然ながら全くの偶然だったのだが、それによって僕は三﨑の誘いを断ることはできなかったのだ。

 反対の方向だったなら断りようもあったのだが、今日はヒマだということを喋ってしまったために、断りづらくなってしまったのである。

 僕の前を自転車に乗った三﨑が走り、僕がその後ろを走る形で案内されていた。

 案内といっても会話があるわけもなく、2人して黙ってペダルを漕いでいる。

 僕は三﨑のすぐ後ろを走りながら、ずっと本を読んでいる割には、背中が広いことに気づいた。ワイシャツが背中にぴったりと張り付き、肩甲骨の輪郭が浮かぶと、さらにがっしりとした体つきだとわかる。この筋肉のつき方には覚えがある。僕と同じかもしれない。

 僕がそんなことを考えていると三﨑は立ち漕ぎを始め、坂道に差し掛かったことがわかった。

 川を越えるための橋を昇り、土手沿いの道を10分ほど走ると三﨑の家にたどり着いた。

 三﨑の家を見るなり見上げながら僕は「でかい」と漏らした。

 「よく言われるけど普通だよ。庭が広いだけで」

 「広いだけってなんだよ。うちの倍以上あるじゃん」

 「この辺は土地が余ってるんだよ。周りは田んぼとか畑ばっかりだろ。別に珍しくはない」

 言われてみると確かに畑が多い。人が住む家よりも畑の方が多そうだ。

 「キャッチボールもできそうだな」

 僕が見回しながら言うと「そうだな」と三﨑も同意した。

 

 三﨑はリュックからカギを取り出すとさっさと玄関を開けて、家に入ってしまった。僕は気乗りしないものの、ここまで来て「用事を思い出した!」などとは言い出せずに、着いていくしかなかった。

 家の中は当たり前だが、他人の家の匂いがしていた。洋風といった雰囲気で、入って正面には花と写真が飾られている。左手にはスライド式の扉があって、おそらく家族用の靴箱なんかが置いてあるのだろう。人がいる気配はなく、電気がついているわけでもないのに、ほんのりと明るくて、どこから光を取り入れているのか気になった。古臭さは感じられず、掃除も行き届いているようで、自分の家とうっかり比べたりすると、陰鬱とした気分になりそうだ。

 

 三﨑は慣れた手つきで靴を脱ぎ「部屋は2階、、」とだけ言うと、階段をのぼり、僕も後に続いた。2階に上がっている時、ふと上を見上げると、天井の中心が巨大なガラス張りになっており、家の中が明るい理由がわかった。2階は遮るものが無く、全体が見渡せるようになっていて、扉が7つあり、部屋数も多そうだ。

 そのうちの一つの扉の前で三﨑は立ち止まり、僕が着いてきているのを確認すると、扉を押し開けた。

 まず目に入ったのが本棚。部屋の中央に胸くらいの高さまである本棚が置かれている。「普通、壁際にあるんじゃないか」と思ったら、入って右側の壁にも本棚が並んでいた。左側は壁はなく、ベランダが隣接しているようで、一面窓ガラスとなっているのだが、日光を防ぐように薄いカーテンがかかっている。中央の本棚の向こう側にはクローゼットがあるのだが、半分は本棚によって占領されていて片側半分しか開閉できないようになっていた。

 子供部屋というよりも書斎のようで、この部屋に入った瞬間、他人の家の匂いから、本屋の匂いに様変わりした。

 「荷物は適当に置いていいよ。座る場所は、、無いからそっちのベットにでも座っちゃって」

 三﨑が指差したのは中央の本棚の向こう側だった。僕が覗きこむように見ると、そこにはベットが置かれていた。本棚によって隠れていて、入り口に立っているだけでは見ることができない。人がいてもベットに寝っ転がっていれば、覗きこまれでもしない限り、見つからないだろう。

 中央の本棚と、壁際にある本棚の間に、かろうじて人が通れるスペースがあり、そこを通ってベットに腰掛ける。

 本棚によって分断されているこの部屋は、完全に1人用で、2人分の余裕はなかった。

 三﨑はエアコンの電源をつけると、少し間を空けて僕の隣に座った。いつの間にか持っていたペットボトルのお茶を僕に手渡し、第二ボタンと袖のボタンを外し、一息ついたように、吐息をもらした。

 僕は待った。

 三﨑から口を開くのを待った。

 待っている間、聞こえてくるのはエアコンの駆動音と、三﨑の衣擦れだけだった。

 外から入り込んでくる音は、大量にある本によって吸い込まれてしまい、部屋の中が世界の全てのようだった。1人部屋に僕という異物が入り込み、三﨑はとても窮屈そうに見えた。

 「なんで誰にも言わなかったの?」

 唐突に三﨑が言った。

 左腕の傷について言っていることは明白だ。

 「言う必要ないって思ったから」

 「普通、誰かに言うんじゃない。友達とかにさ、気持ち悪いとか、心配とか言って」

 「友達いるように見えるのか?」

 「全然見えない」

 この野郎と思った。

 「でも近藤くんは誰にも言わなかった。藤木先生にも言えたはずなのに」

 藤木先生はシワシワの先生だ。

 「先生と話すのは苦手なんだよ。藤木先生だけじゃなくて、全体的に苦手だよ」

 「俺と同じだ」

 三﨑の方を見るととろんとした眠そうな目でこっちを見ていた。

 「友達がいない。先生が苦手。俺と同じだ」

 そう言うと三﨑はベットに横になった。

 ベットがギシリと音をたてる。

 その瞬間、三﨑の匂いが僕の周りを舞った。

 他人の家の匂いでも、本屋の匂いでもなくて、ベットに染み込んだ三﨑自身の匂いだった。

 僕はペットボトルの蓋を開けると、口をつけて、必要以上に味わってから飲み込んだ。

 いつも飲んでいるよりも苦いお茶だった。

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