第3話 大阪の夜はサスペンス現場だよ

「なんだこれ」




あれから1時間半。アプリでは四十分ほどでつく計算だったのだが、地図アプリが嘘吐きだったせいで余計な時間がかかった。




あのヤロー、一歩歩くごとに矢印方向を180度変えやがるんだ。お陰で、どの方向に進めばいいのか一生わからない。




結局、矢印への信頼を一切無くして現在地を近くにある建物で把握することで問題は解決させた。




しかし、到着時刻は予想のおよそ二倍。それだけでも心身にキテいるというのに……




僕はこれから住むマイホームに目線を彷徨わせる。




自由スペースは限りなくゼロ。布団や冷蔵庫、必需品を置くスペースを考えれば、もうないにも等しい空間。




なんだこの、ミニマリスト矯正施設は……?




これ、家って言っていいのか? まだうちの納屋の方が広いよ?




しかし問題は、部屋の狭さだけじゃない。壁のどこからか風が入っているのか、部屋中がなんか冷えている。今は春だからまだいいとしても、夏や冬の時期が今から心配で仕方がない。




ま、まぁ。高校生の一人暮らしの家なんてこんなもん……だよね(現実逃避)




どんなに狭くても、自分専用のスペースがあるっていうのは感動だ。なにやっても、怒られないし、見られないなんて最高じゃないか。




だから、一番の問題はそこじゃない。




僕はゆっくりとその問題の個所に焦点を当てた。




なんか、畳に大きなシミが見えるんだけど……。




緑色の畳に真っ黒のシミ。なんとなく人型に見えなくもないそれは、何度瞬きしても消えなかった。見間違いでないらしい。見間違いであれ。




どうやら、そう、きっと、多分。信じたくないけど……確実に人が一人、この場所でお亡くなりになっている。




「…………」




疲れたから、体を休めるために畳に足を踏み入れたいのに、踏み入れられないっ……!




なんだよお、これぇ! 初日にしても、いろいろ問題が起こり過ぎでしょ! 一人暮らしなんてやっぱり辛いだけじゃないか!!




そうだ、とりあえず明かりをつけよう。そうすれば、怖さも半減するはず。




部屋を散見し、明かりのスイッチが見当たらない。どこにあるんだと視線を彷徨わせると、令和の時代のしては珍しい、ひもシャドウタイプ(正式名称がわからない)が天井にはぶら下がっていた。




こ、これか……。




僕は畳のシミを踏まぬように、つま先をピンと伸ばしてひもを引っ張った。




かちかちかち、と光のオンオフがゆっくり繰り返されると、輝きが部屋を覆う。




――自動販売機以下の照度だった。




「…………」




人型のシミが明かりの真下にあるせいで、シミがあるところはより見えやすく、それ以外の暗さが強調されている。その光景はまるで、死んだ人が、シミの奥底でこちらを覗いて手招きしてるかのようだった。




要するに、更に怖い。




もう、僕今日で死ぬのかな……。




しかし、問題とは関係なく疲労のピークを迎えており、腰が今にも砕けそうなほどに痛い。




だ、だめだぁ。疲れがたまって、もう腰とか足とかが限界だっ。はやく、寝転がりたいっ!




だが、対面には人が死んだと思われるシミが一つ。痛みの警報は依然鳴りやまない。




そこで、僕が取った策は……




「おりゃあ!」




両手に溜めた水を思い切り、畳全体にぶっかけた。




畳に水が染みわたり、畳の緑色の個所が黒く染まっていく。




ふふっ、異端は比べる他がいるから異端に見えるのだ。ならば、すべてを異端にすればもうそれは普通と変わらない。人型のシミが怖いなら、人型じゃなくすればいいのさ。ちなみに水は、お風呂場(極小)から持ってきた。



僕は全体が黒色になった畳を見下げながら、ほくそ笑んだ。



よし。畳が腐るとか、大家さんに怒られるのでは……とかはとりあえず後回しだ。まずは休息をとる。




僕は畳にそっと足を置いた。




畳を歩くたびにキシキシと嫌な音が鳴る。やめて。




ひとまず、僕は玄関(靴は二足しか置けない)からキャリーケースを部屋に入れて、鍵を閉めて、畳にその体を沈めた。




「は、はぁ……」




あああぁ……癒される……。




腰が足が、身体が癒えていく。力を入れ続けた筋肉が弛緩して、凝り固まったものがほぐれていく。




落ち着くと頭によぎるのは、明日のこと。




明日は新しく入学する高校の初登校日。いい予感がしない。




僕のことだ、自己紹介でどもりまくり、第一印象が「ド陰キャ」で確定するのは確定事項。そして、翌日からクラスメイトから陰で「転校生なのに、陰キャだった」と面白おかしく話されるのもまぁ、確定事項だろう。




……学校行きたくない。




電球を見つめ、明日のことに気持ちを下げていると――ぐうっ、と情けない音が僕の腹から鳴った。




「…………」




お腹をさすりながら、今日食べたものを脳内に思い浮かべる。




そういえば、昼から何も食べていない。朝食べたヨーグルトはもう完全に消化されてるだろうし、胃の中は間違いなく空っぽだ。




……当たり前だけど、まだ冷蔵庫には何もない。というか、まず冷蔵庫がない。




寝ころんだまま、後ろにある玄関に目を向けた。




たしか、家から十五分歩いたらスーパーだっけか……めんどくさい。




いつもの僕なら、食欲が面倒くさいに負けているところだが、登校日を明日に控える今日は腹の底に力を入れて起き上がった。




登校日ってだけでも憂鬱なのだ。そこに食欲まで徒党を組めば、僕は間違いなく明日学校に行かなくなる。




これまでの人生経験(失敗談)を鑑みれば、それは火を見るより明らかだった。




「なんか買うか……」




そう独り言ちて、僕は玄関のカギをぐるりと回す。




***




来た時も思ったけど………この道、こっわ。




時刻は二一時。六月とはいえ、夜の帳はすっかり降りる時間帯。大阪の辺境にあるこの町は人の気配がなく、大阪駅とはまるで雰囲気が違っている。




薄暗い光を放つ街頭を上に、静謐な空気を浴びて闊歩する。




暗いだけならまだいい。それは田舎で慣れているし、全然へっちゃら。むしろ街灯がある分、田舎よりも明るいくらいだ。




しかし、違うのは家屋の数だ。田舎だと自然しかなかった通りに人の住む家が等間隔で並んでいる。静かな空間の中に、確かな人の気配を感じて、どうにもそれが落ち着かない。




なんだか、どこからか人に見られているかのような……そんな気配がする。




後ろに気配を感じて、ばっ、と後ろを振り返っても誰もいない。あるのは数秒前に歩いた平坦な道。




この空間を見ていると、映画でよく見る恐怖シーンが頭をめぐる。




曲がり角や、街灯の下。



人の視線を感じて振り返っても誰もいない。




「なんだ、気のせいか」と、キャラが思った瞬間。




―― ――グサッ




真っ黒の衣装に身を包んだ人間のナイフが、キャラのお腹を深々と刺しているのだ。




「……(がくがく)」




考えるだけで背中を流れる冷や汗が止まらない。




辺境とはいえ、ここは大阪。何が起きるとはわからない。前に動画で見た日本の治安悪い都道府県ランキングではぶっちぎりの一位だったあの大阪府だ。




ありえないことはないだろう。きっと、殺人事件なんて日常茶飯事なんだ。




もしもそんな場面に出くわしたなら、これの出番だ。




僕は片手に持った封筒の握りしめる力をより一層強くする。




この封筒に入っているのは今月の食費すべて。




これを使って必死に許しを請うんだ。人間一人の一ヵ月の食費、それなりに多い。




お相手が途方に暮れるニートだった場合、これは大いに役立つはずだ。もしも相手が純粋な殺人しか求めないシリアルキラーなら、このお金をぶん投げて目くらましにでも使おう。よし、そうしよう。




それに恐怖は殺人だけじゃない。大阪ではぼったくりというものが流行っていると聞いたことがある。




モノやサービスを法外な値段で半ば強引に購入させるという手法。多くは個人店で行われているらしいが、もしかしたら身近なスーパーでも行われているのかもしれない。




買い物かごにニンジンを入れた途端、大柄のレジ店員に呼び止められて。




『お客さん、ニンジンは大阪では高級品。二万はあたりまえにしますわなぁ。さぁ、さっさと払ってもらいましょか……?』




そう言ってお金を半ば強引に取られるのだ。




僕が田舎者であることを使って、都会のトンデモ物価上昇という意味の分からない論歩で丸め込まれて、僕はまんまとお金を払う羽目に…………ありえる。




やはり、自己防衛のためにお金はあったほうがいいね。窃盗の多い外国では、護衛のための第二の財布があるらしいし……大阪も似たようなものでしょ。




お金の力で心に安心を持たせていると、どこからか――やめてください!という女性の声がした。




「ひえっ」




思わず、みっともない声をあげる僕。




な、なんだ。人の声……?


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