049 - 幕間:黒インクは色めく


 その土地は "大陸" と呼ばれていた。

 外海には未だ同レベル以上の陸地が見つかっていないため、大陸ごとの区別をつける必要がない。だからただ "大陸" と呼ばれていた。


 そして大陸には三つの大国と、それより少し多い数の小国が犇めいていた。


 たとえばハロやザリアたちの住む巨大な王国は、正式な名を神聖ペレグリウス王国という。

 そして今、この場はそのペレグリウスの隣国──



 俗に "帝国" と呼ばれる、ソルバロア帝国の帝城を映したワンシーンである。



 きらびやかなその帝室は、けれど血と灰に塗れていた。

 家臣、護衛の騎士、彼らはいずれもその首から上を黒焦げになるまで燃やし尽くされ、たったひとり、冠をかぶった老人だけが生き残り、呆然と食卓の上座に佇んでいた。


 ぼうっとした老人を突っ立たせたまま──

 食卓のうちの三つの席を、三人の人物が思い思いに占有している。


「いやはや、帝国の上級騎士とあろう者どもが、存外に脆弱でしたなあ! のこの現し世、ああ、なんともつまらない!」

 

 ひとりは鬼だった。

 灰色の髪に灰色の肌、白濁した瞳。そして額から生える小さな両角から、黒い炎が抑えきれずに噴き出ている。


 笑っているのか、それとも怒り狂っているのかよく分からない、そんな怒り笑いのような表情で怒声を放つその鬼人は──

 かつて "はいの魔王" と恐れられ、封印されたはずの怪物であった。



 対してもうひとり──

 鬼人の向かいに座る女もまた、同様に二百年前の魔王である。


「まったく。なぜこのわたくしが、こんなカビ臭い老人を操らなければならないのよ」


 女は辟易したようにそう吐き捨て、ぼうっと立ち竦む老人を指差す。


 蝙蝠のような翼に、鮮やかな躑躅つつじ色の巻き髪、そして強烈な魔力を宿す両の魔眼──

 それは "ゆめの魔王" と呼ばれた強大なサキュバスである。彼女もまた鬼人と共に復活を遂げ、こうして今まさに帝国の中枢を掌握したところだった。


 女の言葉に、"灰の魔王" は怒り笑う。


「"なぜ"! わははははっ! そんなものは、この国が我らの隠れ蓑として最適であるからに決まっているであろう!」

「ああもう、うるっさいわねえ……二百年も眠っていたんだから、ちょっとは静かになってよ!」

「我が我である限りは無理な話だ! それよりずいぶん上手くことが運んだではありませんか! これは一体どういうことでありましょうか、よ!」


 ──嵐の魔王。

 鬼人がどこか敬ったように呼んだその男は、端から見ればただの人間のようであった。


 やや浅黒い肌に、刺々しく逆立つ銀色の髪。

 本来であれば帝王が座る予定だったであろう、最も立派な椅子の上でふてぶてしくも足を組む。


 けれどそんなことよりも──

 もしハロがこの場にいたなら、少年は男に対してこう思ったことだろう。



 どうして彼は、この世界に存在しないはずのを羽織っているんだ、と。



 ……さて、そんな異質な風貌をした "嵐の魔王" は、鬼人の言葉にふっと笑って答えた。


「なぜ上手くいくか? 俺たちがからだ。過去の俺たちは暴れすぎた。ゆえに警戒され、情報を集められ、徒党に負けた。ならば俺たちも同じことをしようではないか」


 ゆったりと足を組み替えながら、王は不敵に笑む。


「俺たちは息を潜める。この帝室に潜伏し、勇者たちの情報を集め、そして。誰も思うまいよ、すでに三柱の魔王がこうして手を結んでいるなどと」


 男の言葉に、鬼人は「そうですか、そうですか!」と拍手をして笑い、夢魔は不本意ながらも従う。

 そんなふたりに、嵐の魔王はテキパキと指示を出した。


「夢の魔王よ、占術への対策を」

「もうやってるわよ」

「ならばよい。あとはしばらくの間、この帝国を影から操れ。お前の今の仕事はそれだけだ」

「はいはい……」


「灰の魔王よ、俺とお前は残る魔王を探す」

「ほう!」

「彼らは俺たちのような旧時代の王ではない、おそらく新たに生まれたばかりの魔王だろう。さっさと見つけて保護してやらねば、これまでのように勇者に狩られて終いだ」

「なるほど、了解した! ならば急ごう!」


 気だるげなサキュバスはともかく、理解ある鬼人の協力に、嵐の魔王は満足げに頷く。

 そして最後に──



 嵐の魔王は、下座で跪く一匹のゴブリンを一瞥した。



「さて。それでは詳しい話を聞こうか、つるぎの御老体よ」


 つるぎ。そう呼ばれた彼はゴブリンではあったが、より正確にはゴブリンの握る一本の剣のことを指す。

 

 そう、彼こそはつるぎの魔王。

 五百年前、つまりはここにいる三柱の魔王よりも遥かに古い時代を生きた怪物だ。


 しかしそんな最古の魔王はつい最近、ハロとその使い魔インクによってこっぴどくやられ、魔王としての力を奪われたばかりだった。

 封印された残り七つの霊体も未だ解放できず、結果として嵐の魔王たちの言いなりとなっている。


「ぐ、ぐぬう。この我に対して、若輩者どもがなんと不遜な……ぐげっ!?」


 下手なことを言えば、ゴブリンはその場にひれ伏す。

 誰に蹴りつけられたわけでもない、ただ頭上にある重たいが、彼の身体を地面へと押し伏せるのだ。


「ぐっ、うぐぐぐぐッ……!?」


 苦しみに悶え、じたばた暴れるゴブリン。

 しばらくするとその身体が解放され、嵐の魔王は再び問う。


「もう一度だ、御老体。あなたの因子を奪った魔物が、おそらく最後の魔王だろう。たしかスライムの一種であるとは聞いているが?」

「ぐうっ、ううう……あ、ああ、そうだ。我を喰らいおった、黒いスライムだ」


 ひゅうひゅうと死にかけのゴブリンの身体を操り、剣の魔王は仕方なしに応じる。


「だ、だが重要なのはそれではない! やつに王としての知性や矜持がないことが問題なのだ! あのスライムはハロという人間の言いなりになっている!」

「……ほう」

「手懐けようなどとは思わんことだ、さっさと見つけて殺すがいい! アレは我らと決して相容れない、魔王でありながら人間の味方をする──ぶべっ!?」


 少々うるさい。

 嵐の魔王は、再びゴブリンを空気の圧で押し潰し、考える。


「……おそらくそのスライムが "異星の魔王" だろう。ふむ、たしかに早いうちにコンタクトを取りたいところだ」


 だが、同時に思う。

 今のつるぎの言葉には、ひとつ引っかかることがあった。



 魔王のである。



 王は皆、高い知性を持って生まれる。

 高い知性を有した魔物が王となることもあれば、王となった魔物に知性が宿ることもある。たとえばこの "剣の魔王" などはまさに後者──


 本来 "脳" を持たないはずの呪剣が、こうして十全以上の知性を宿している。


「異星の魔王、果たして本当に知性がないのか……?」


 あるいはそれは──

 今まさに、覚醒している段階にあるのではないか?


 未だ見ぬ、未来の友人となりうるかもしれない "異星" を思い、嵐の魔王はじっと思慮を巡らせる。




 *



 ハロと女性たちの爛れた関係は、今となってはどこから始まったのか、互いに覚えてもいない。


 最初は一緒に風呂に入ったところから。

 そこから反応してしまった身体の責任を取る、あるいは慰めてやるといった建前で、手、口、乳と段々に行為はエスカレートし──


 最後には、あまりに生殺しに耐えかねたハロのに応じる形で、じつに甘ったるい本番行為がザリアとノーチェの二名によって実施された。


 それはいつも女性たちの優位で始まり、そして覆されないままに終わる。

 左右から女体が抱きつき、足同士を絡め、腰を振ることさえ許されない強固な拘束の上で、じっくりと数時間かけて身体を煮詰める。そうしてとろとろにほぐれた "出来上がった身体" を女性たちが最後にいただく。


 そんなことばかりを繰り返していたからか──



 ハロの身体の中で、それは学習した。



 それは小さな知性の先駆け、つまりは感情の発露であった。

 子供のような幼く素直な感性が、宿主へと向けられるさまざまなの愛情と愛欲を学び、そして模倣する。


 ゆえに黒インクは、あるとき女性たちがやっていることをそのまま真似るように──

 背中から伸ばしたその蛸足を、ハロの太ももへと巻き付けた。


「い、インク?」


 馬車の中、びくりと反応して驚くハロ。

 今の時点では、それは快楽には変換されなかった。ただ己の足にねっとりと絡みついたインクを、どうしたんだと見下ろす。


「……食べるか?」


 少し考えて、ハロは砂糖漬けのフルーツをインクに与えた。

 インクはそれを受け取り、食し、なんだか違う気がするがこれもおいしい──と満足して地面に溶けた。



 黒インクは思考する。


 

 ──ああ、可愛い。

 可愛い。可愛い。可愛い。愛おしい。


 もっと食べたい。


 じゅくじゅくと粘っこい水音を立てて沸騰する黒スライムは、今その液状の肉の中で、わずかな知性と食欲を疼かせる。

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