045 - あなたにこの身を捧げます

 ぱき、と軋むような音が連続した。

 勇者はバランスを崩して片膝をつきながら、信じられないものを見るような目で自分の腕を確認する。


 人形と化した右腕が、ぶらりと肩から垂れ下がっている。


「る、ルエク様! 腕が!」

「ひい、あっ、あああっ……な、なぜ俺の身体が……!」


 勇者はすっかり魔術を解いたようだった。

 黄金の波は停止し、肉体強化に回す分の魔力だけが残れば、人形化はそれ以上進まない。


 オズが目隠し布を巻き直した気配を背後で感じ取る。

 さて、どうしたものかと俺は勇者を見た。


「こ、殺すのか? 俺を殺すのか……!?」


 すっかり怯えた様子の勇者。

 そういえば、俺の背中からは未だインクの八つ足が伸びているのだった。


 ……どうしよう。

 もちろん殺す気はないんだが、問題はどう決着させるべきか。


 彼らはこれでも王命で動いているわけだし、俺たちがそれに逆らったのも事実。

 オズのことは助けたいが、この勇者を退けたところで次々に刺客がやってくる可能性も高い。


 いい落とし所がないだろうか──

 俺がそう思案したそのとき、ふと、強風が吹いた。


「……っ!」


 一瞬の突風であった。

 その強烈な風圧に、よろめきかけた俺の身体をインクが支える。


 一体なんだと前を向き直ると──


 

 そこには巨躯の老人がひとり、突如現れたかと思えばその身体を屈め、地面に額をつけるようにして頭を下げた。



「すンッませんでしたああああああッ!」

「…………は?」


 端的に表現すれば、土下座をされている。

 見ず知らずの老人に。


 俺も、ザリアたちも、オズも、それに勇者にその付き人まで──まるでその場の時が止まったかのように皆がぽかんとしていた。


 けれどそのとき、ザリアがぽつりと呟いた。


「う、ウィトルウィウス卿……?」


 ──なんだって?

 ウィトルウィウス卿。その名前ならば聞いたことがある……というか、この王国に生まれて彼を知らない者はおそらくいない。


 ラークシィ・ウィトルウィウス。

 "七聖人" として数えられる王国屈指の大魔術師であり、ウィトルウィウスのご隠居長老。


 その血筋は "王国の双頭" とも名高いふたつの大公家の片割れであり、その威光はレヴィ公爵家よりも遥か上──言ってしまえば王家の次に貴い存在である。



 こんなところで頭を下げて許される存在ではない。



「ウィトルウィウス卿……! なぜそんな賊どもに頭を下げるのですか!」

「そ、そうです先生! 俺は、俺はまだ──」


 喚く勇者一行の言葉を、老人は「うるさァい!」と一喝した。

 空気にぴしりとヒビが入るような一声だった。ふたりは途端に押し黙り、そして一拍の沈黙を置いて、老人が口を開く。


「本ッ当に申し訳ないッ! 今回のことは完全なる俺の監督不行き届きだ、とんでもないご迷惑をおかけしたことでしょう!」

「いや、あの……」

「だがどうか! どうかこの馬鹿の命だけはお助け頂きたい! これでも勇者、世界の希望なのです!」


 溌剌とした、空気をびりびりと震わすようなその発声に呑まれる。


 いずれにしても、こうも頭を下げ続けさせていい相手ではない。

 俺がまずは顔を上げてほしいと告げれば、ラークシィ老人はゆっくりと顔を上げ、背筋よく上体を正した。


「で、デカいな……」


 座った状態でも俺より大きい。

 下手をすれば二メートルはあるのではないかという巨体をぴんと正して、いかめしい顔つきの老人はじっと俺を見ていた。

 

「改めまして、現在 "こがねの勇者" の教育係をしております、ラークシィ・ウィトルウィウスと申します。今回の一件、どうか見逃して頂けませぬか」

「……も、元より殺す気はないです」

「なんとありがたい! その寛大なお心遣い、感謝致します」


 再び深々と頭を下げようとする老人を、俺は慌てて止めた。

 ちらりと後ろを見れば、ザリアとノーチェが真っ青な顔で口をぱくぱくとさせている。


 うん、そうだよね。

 そういう相手だよね、この人。



 まあとはいえ、必要な話はしておかなくてはならない。



「……ウィトルウィウス卿」

「なんで御座いましょう」

「その……オズはどうなりますか?」


 俺の言葉に、老人はオズの方に視線をやる。


「オズというのは、そちらの魔眼使いですか。"こがねの勇者" のことであれば、ひとまず引き下がらせましょう」

「…………」

「しかしながら、その魔眼使いが魔王の影響下にあるであろう事実は変わりませんので……今後も他の勇者、王国騎士団、魔術協会からの追っ手が差し向けられる可能性は非常に高いでしょうな」


 そうだよな、と俺は頷く。

 この老人は全く間違ったことを言っていない。


 結局のところ、ここを切り抜けたところで、オズの立場が悪いことには変わらないのだ。

 悪党とはいえ何人かを人形に変えて、実質的な殺人を犯してしまっているのだから。


 ただし、とラークシィ老人は続けた。


「この度 "こがねの勇者" の命をお助け頂けるのであれば……その対価として、こちらを手配させて頂きました」

「……?」


 老人は懐から一枚のカードを取り出した。

 それを両手で摘むようにして、うやうやしく俺に手渡す。


 その正体はギルドカードだった。

 けれど俺が持っているものとは装丁や色がどこか異なり、各所が金箔に彩られたそのカードは──


「……A級冒険者?」


 ──ハロ・スワンプマンをA級冒険者としてここに証明する。そういった内容の記されたものであった。


「えっ、A級……!?」

「……ほ、本当に?」


 ザリアとノーチェが驚愕し、エギーユは「ひんっ」と奇声を発して息を呑む。

 A級とはそれだけ格が高いのだろう。レヴィ姉妹が未だ辿り着いていないという時点で、相当な領域であることが分かる。


「つい先ほど、ウィトルウィウス大公家からの推薦という形で、ギルドより発行致しました。条件を呑んで頂けるのであれば、本日より貴殿はA級冒険者となります」

「……どうして俺を?」

「そうですなあ。少々小難しい話にはなりますが、そもそも冒険者ギルドというのは、国家より独立した組織なのですよ」


 冒険者は世界のあちこちを飛び回る職種。

 特に魔物への対抗手段として各国、各都市からの需要が大きく、その人材流通を管理するギルドは特定国家からの干渉を受けない独立組織である──とラークシィは説明する。


「そしてそこに所属する冒険者もまた、等級に応じて各国の干渉を跳ね除ける権利を有します。そのひとつが。A級冒険者とあらば、たとえだろうがその所有物を接収することはできませぬ」

「……!」


 それはまさか──

 俺にオズをしろと言っているのか?


 そんな俺の思考を見透かしたように、ラークシィ老人は頷いた。


「そちらの魔眼使いは、これより人形事件の罪人として捕縛されたのち、奴隷として売りに出されます」

「…………」

「ですがハロ殿、それをA級冒険者たる貴殿が買い取ったとあらば──もはや俺たちは、オズ殿に少しのちょっかいをかけることも許されませぬ」


 ……それは。

 いいのだろうか、それで。


 俺はいい、彼女も殺されることはなくなるだろう。それでもオズ本人の意思は?

 背後を振り返れば、オズはゆっくりと足を踏み出し、俺の隣に並んだ。


「私は異存ありません」

「……本当に?」

「ええ、ハロ様。あなたの助けがなくば、私はとうに死んでいた身なのです。ならばこの身を、この瞳を、どうかあなたに捧げさせて頂きたく存じます」


 魔物混じりの、汚れた血ですが──

 そう言って、オズは跪いた。低く頭を下げ、丁寧に俺の左腕を持ち上げると、その手の甲にキスをする。


「……決まりですな」


 ラークシィはゆっくりと立ち上がった。

 俺に身を捧げたオズをじっと見下ろし、やや安堵したような表情で息を吐く。


「ああ、そうでした。ハロ殿」

「……なんでしょう?」

「オズ殿はじきに貴殿の奴隷となるでしょうが、それによって精算できるのはこれまでの罪状のみです。もし今後、彼女の魔眼が暴走したとなれば、所有者であるハロ殿にも責任が降りかかります」


 まあ、それは当然だな。

 飼い犬が人を噛んでしまったなら、それは飼い主の責任だ。


 魔眼を制御するすべは御座いますか──と尋ねるラークシィに、俺は頷く。


「あります。せっかくなので、あなたの前で見せましょう」

「……なんと?」

「その方が、皆さんも安心だと思うので」


 俺はオズの頬に──

 そして顔に巻かれた目隠し布に、左手で触れた。


「オズ、これから君の魔眼を制御する。言う通りにしてくれ」


 この場にいる全員が、息を呑んだ。

 の前に、まずはこちらを何とかしておこう。

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