第2話 PB、新たなる罪人

 通報を受けて現場に到着した《PB》のメンバー四人が目にしたのは、

 アスファルトの上に横たわる一人の女性──すでに事切れていた。


 だが、不破真赫がその死体に歩み寄った瞬間。

 彼の目に映ったのは、腕の中に抱かれた小さな命だった。


 少女は、母の胸にしがみついたまま、かすかに呼吸していた。


「……運が良かったな、この子」


 そう呟いたのは、黒縁メガネの男・虎藤影斗。

 表情は変えず、だが確かな手つきで少女を抱き上げると、そのまま救急車へと運び去った。


(……あんなふうに、人を抱きしめたことなんて……)


 不破は静かに、その背を見送った。

 忘れたはずの何かを、胸の奥で探すように。


「死んでも抱きしめてる。……母親って、そういうもんなんだね」


 棒付きキャンディーを口にくわえながら、遺体にブルーシートをかけていくのは針島麗花はりじまれいか

 元・医療研究者にして、PBの冷静な“分析担当”。


「頸動脈の切断による出血性ショック死。背中の傷は、死後に刺されたものね」


 淡々と告げられた“死の診断”。

 それでも、母親の身体は、娘を庇うように重なっていた。


 アスファルトに広がった血溜まりが、母の命を静かに物語っていた。

 不破はただ、それを黙って見つめていた。


 そのとき、重たい革靴の音がアスファルトを鳴らし、声が飛んできた。


「……罪人は、どこまで行こうが罪人だ。てめぇら、また死人が出る前に止められなかったのか」


 煙草の煙をくゆらせながら現れたのは、がに股歩きの男──煤川凌也すすがわりょうや

 PB東京支部の“監視役”にして、彼らの世話係を務める政府の人間だった。


 無造作にブルーシートをめくり、死体を確認すると、顔を歪めながら手を合わせる。


 不破は無言のまま、その様子をじっと見ていた。


「煤川さん、勝手に現場に入らないでください! 許可まだなんですから!」


 救急車の方から走ってきたのは、ショートカットの女刑事・瀧楓たきかえで

 鋭い視線で煤川を睨みつける。


 だがその前に、金髪でチャラついた青年がふわっと立ちふさがった。


「楓ちゃーん、今日って午後空いてたりする?」


「しません。どいてください。邪魔です」


「そしたら、デートしてくれる?」


「しません。今すぐ犯人を始末してください」


 三辻明──PBの軽口担当で、元・情報屋。

 軽薄な笑みを浮かべながら、心の奥は誰にも見せない。


(──断り方が完璧。やっぱ楓ちゃんはいい)


 肩をすくめながら、彼はそれ以上言葉を継がなかった。

 楓の目が“本気”になっていたのだ。


 一見すれば、まるで普通の刑事ドラマのワンシーン。

 だが、彼らの正体は──


 罪を犯した“元”殺人者たちであり、政府に飼われた合法殺人部隊PB


 互いの“過去”には触れない。

 互いの“心”はさらけ出さない。


 それが、PBで生き残る者たちの“流儀”だった。


 虎藤に続いて救急車に乗り込んだ不破は、奥に目を向けた。


 不破がセーラー服の少女に歩み寄ろうとしたその時、背後から鋭い声が飛んできた。


「不破さん。今月からPB東京支部に新たな罪人が来ると伝えたのは、覚えてますか?」


 振り返ると、そこには刑事・瀧楓が立っていた。

 視線はどこか落ち着かず、目の前の少女と不破を交互に見ている。


「私も具体的にいつ来るのかまでは知らなかったのですが……」


「──それが“今日”だった、というわけですね。不破さん、瀧刑事」


 その声は、静かながら異質だった。

 背後から差し込んだその存在は、まるでこの場の空気とは別の次元から現れたようだった。


 ふたりが同時に振り返ると、そこには一人のスーツ姿の女性が立っていた。


 背筋は凛と伸び、整った髪型、無駄のない姿勢、揺るがない眼差し。

 だが彼女の雰囲気には、“人間らしい温もり”が欠けていた。


 あまりに整いすぎている。

 “完璧”であることが、逆に違和感を呼び起こす。


 その無機質さは、まるでAIが人間を真似たような危うさすら感じさせた。


「……そうか。で、名前は?」


 不破は無表情なまま、感情の揺れを一切感じさせずに問いかけた。


 だが、その言葉が発せられる直前、ほんの一瞬だけ。

 不破は彼女の姿に、視線を留めていた。無意識に。


 女性は一歩前に出て、静かに名乗った。


「──潮見、美波しおみ・みなみです」


 その瞬間。


 何かが、不破の中で軋んだ。

 目に見えない仮面が、音を立ててひび割れる音がした。


 一瞬だけ、彼の視線がぶれる。

 しかし彼はすぐにその表情を元に戻し、冷たい眼差しを装う。


 だが――潮見は、そのわずかな揺れを見逃さなかった。


 静かに、まるで観察結果を記録するかのように、不破の目を覗き込む。


「……どうして、そんな顔をするんですか? “美波”という名前に、何か心当たりでも?」


 その問いは、単なる会話ではなかった。

 まるで試すように。暴くように。心の奥に隠されたものを“確かめる”意図を感じさせた。


「──いや。ただ、似ていると思っただけだ」


 不破は視線を逸らし、そっけなく答える。


「へえ……忘れられない人、とか? 例えば、殺したくなかった相手とか?」


 潮見は微笑む。だがその笑みは、どこか鋭い。

 感情がこもっていないはずなのに、突き刺さる“意図”だけが残る。


 不破は一瞬だけ立ち止まり、何かを言いかけたが──口を閉じた。

 そのまま背を向けて、救急車へと向かう。


(……その名前を、もう口にするべきじゃない)


 潮見はその背中に、冷静に言葉を投げかける。


「“美波”という名前、……よくある名前ですから」


 その声に、不破は振り返らなかった。



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