第8話 火の香り、塩の香り、禁忌の温もり

ウノは、気に入らないことがあった。

ドゥエである。

リデルがドゥエに髪を梳いてもらう姿を見かける。

リデルの部屋からドゥエの子守唄を聞いた。


何よりも我慢できなかったこと。

ウノが準備した食事を、ドゥエがスプーンを取りリデルに食べさせようとする。

リデルは一口も食べないが。


俺が作る食事は、ドゥエのためではない。

俺が作る食事は、すべてリデル様のためのもの。


しかし、リデルはドゥエを連れてきた。

そこには理由があることも理解している。

ウノとは違う、また別のもの。癒やしなのだ。

理性で理解しても、感情が追いつかない。


ギッ!!


岩塩を削り、砕く音が鈍く重たいものになった。



ドゥエは、逆にウノを献身的で真面目な好青年だと思う。

だからこそ、盲目的にリデルのことしか見ておらず、ウノ自身が削られているのがよくわかる。

まるで、ウノが岩塩を削って砕いているように。


リデルに連れてこられた小屋。

出迎えてくれた青年は、リデルしか目に入っていなかった。

私に気がついたのはもっと後だ。

それは、そうだろう。彼にとって、リデルの存在が自己の存在を肯定するすべて。

彼も私も同じだ。

違うのはひとつ。

彼は外。私は内。


軽い挑発を少しずつ与えることで、彼がどんな反応をして、彼の目に何が映るかを知った。


岩塩を削り砕く音が日に日に、如実に、荒く変わる。

我ながら罪深い。


彼もまた、不完全なのだ。



台所には、かまどの火だけが灯っていた。

橙の光と、塩の香りが静かに空気を満たしている。


「……ねぇ、兄さん」


スープを見つめていたウノは、顔を上げずに答える。


「俺は、お前の兄ではない」


「リデルの子でしょ?」


「違う」


「じゃあ、兄さんは誰?」


ドゥエは、半歩だけ台所に踏み入れる。

一瞬、ウノの視線がその細い身体を射抜いた。


「ねぇ、兄さんは誰なの?」


「俺は...リデル様を護るものだ」


「ねぇ、【護るもの】と【兄さん】の違いって、なに?」


「俺は、リデルの意志で造られた存在だ。…お前もそうだろう?」


「そうね。でも、私の空っぽの心でも、兄さんを【兄さん】だと感じてる」


「お前がそう思うなら、それでいい。だけど、俺はお前の兄ではない」


「同じよ、兄さん」


「違う!」


「ほんの少し、役割が違うだけ」


ドゥエは、また一歩、近づいた。


「兄さんは、リデルが悲しむ姿を見ると、心が痛む?」


「ああ……笑顔を見たいと思う」


「じゃあ、その痛みは誰のもの?兄さんのもの?それともリデルのもの?」


「それは……リデル様のものだ」


ドゥエはさらに近づき、かすかに微笑んだ。


「兄さんの祈り、焦げた匂いがするわ」


「しない。それに、祈りではない」


「ううん。祈りよ。だって兄さん、食べられないことにホッとしてる」


図星。


ウノの料理は、リデルのための命の象徴。

リデルが生きると決めたとき、それは同時に、ウノの役目が終わることを意味していた。


彼は、リデルが人として生きてほしいと願いながら、

人でない自分が、その【生】から遠ざかっていくことに怯えていた。


ウノの目が、見開かれる。

その奥に、痛みと安堵が同時に揺れている。


「兄さん……」


しゃがみ込んでいるウノを、ドゥエはそっと抱きしめた。

リデルと変わらぬ華奢な腕で。


ウノもドゥエも、体温をほとんど持たない。

けれど、互いの存在は確かにそこにあった。


「兄さん、一人で頑張ってきたね。これからは、私もいるから」


それは、ウノがリデルに言ってほしかった言葉。

自由の代償だ。

限界の中で揺らぎ続けた不安も、痛みも、報われぬ祈りも。

ようやく誰かに見つけられた瞬間だった。


リデルを模して造られた【癒やし】のドゥエ。

その胸に顔を埋めたウノの肩が、小さく震えた。


冷たい身体から、静かに涙が零れ落ちた。

その滴は、ドゥエの胸元を濡らした。

冷たい身体からは、冷たい涙しか流れないが、スープを温める火が、冷たい涙を温かくしていた。

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