第36話 思いを込めた、想いの丈を

 

「あはは、あははははは!!」


(楽しい! 本気で動ける、本気で蹴って、本気で殴れる!)

 俺は、未だかつてないほどに、歓喜に打ち震えていた。


 手足を獣王の拳ビースト・フィストで変化させた俺は、誰にも負けた事はなかった。

 俺の父ちゃんでさえ、この動きには対応できずに褒めるくらいだったのに。


「なんで全部防げるんだ!? すっげえーー!!」

 ユヅキ姉ちゃんには、何一つ通用しなかった。


 拳は棒で防がれ、蹴りは避けられ、ならばと全力で体当たりをしようとすれば、障壁魔法で対処される。


 もちろん障壁はすぐに壊せるが、そのために一瞬の隙ができる。

 その間に回避するなり、反撃するなり自由自在だ。


 速さも力も、判断力も。全てが俺を上回っている。

 俺は十歳にして、既にこの小さな村で一番強い男だった。それが誇らしくもあり、同時に憎らしくもあった。


 大人でさえ、俺の全力にはついてこれないから。


 唯一の楽しみは、どんどん強くなる年下の親友との特訓だけ。

 だがそれも、ミリアを大怪我させないように気をつけて、という前置きが付いてくる。


 なのにこんな事は初めてだ。本当にさっきから初体験の事ばかりで、興奮が収まってくれない。


 ユヅキ姉ちゃんと、もっともっと闘いたい。俺の中の闘争心は、生まれて初めて与えられる栄養を欲して、さらに大きくなってゆく。


「あははは! 強えーー!!」

 気分が高揚している。何より求めていた全力を出せる相手を見つけ、俺の本能はブレーキを失った。


 楽しくてたまらない。嬉しくて止められない。そして、


 ズキン。

 と、雪崩れ込んでくる感情の一つを理解した瞬間、俺の頭に小さな痛みが走る。


(あれ……なんだ……?)

 ユヅキ姉ちゃんの槍術を見ていると、なんだか不思議な感覚が湧いてくる。

 その力強さ、速度、練度。全て次元が違うと理解できるのに……


 ミリアのそれと、どこか似ている。


 だが俺はすぐにその考えを振り払った。

 ミリアもユヅキ姉ちゃんも、同じ雪人族だ。似ていると感じて当たり前だろ。


(それより今は、もっと闘いたい!!)

 俺は既に全力を出し続けている。だが、ユヅキ姉ちゃんには一度も攻撃を当てられていない。


 しかも俺の新しい闘気術を加味した上で反撃をしてくる。つまり俺に怪我をさせないように気を付けた状態で、圧倒されているんだ。


 今度はもっと緩急をつけて……フェイントも入れたら……

 考えて、考えて攻撃を繰り出す。けどそれも簡単に防がれてしまう。


 ユヅキ姉ちゃんはまだ一度だって、俺に氷王の両眼アイス・アイズを使っていない。せめてそれを使わせるくらいには、なんとか喰らいつきたいと思い始めた頃。


 俺の拳が弾かれて、大きな隙を晒してしまう。

(やべっ……)


 一瞬ののちに、また反撃を食らってしまうだろうことが容易に想像できる状況。

 俺は体を守るために新技の魔力鎧を纏って衝撃に備え、目を瞑る。


 しかし待てど暮らせどそんな衝撃は襲ってこず。

(……あれ?)

 と細目を開けるとおでこに何やら感触を覚える。


「おしまいだ。ほら、休憩するぞ」

 ユヅキ姉ちゃんはそう言って、俺のおでこに指を押し当てる。


「あいてっ」

 魔力の鎧を纏ってるし、そうでなくても金剛で体を頑丈にしているから、指をおでこに当てただけで痛いはずがない。


 だがなぜか俺の口をこじ開けて出てきた言葉が、不意にユヅキ姉ちゃんを笑わせた。

「ははは、痛いほどじゃねえだろ」


「まだやろうぜ!? 俺すげー元気だし!」

 しかし俺は、一方的に告げられた特訓の終わりに不満を漏らす。


「ダメだ。これ以上やればお前の魔力が先に無くなるぞ? そうなったら怪我しちまう」

 優しく言うユヅキ姉ちゃんの反論は正しい。俺は気分の昂りに身を任せて、新技の闘気術で魔法を殴ったりもした。


 俺の作り出したこの闘気術は、魔法や刃物にも殴り勝てるようになる代物だけど、魔力を多く使いすぎる欠点がある。

 ユヅキ姉ちゃんにはそれがお見通しだったみたいだ。


「うぐ……じゃ、じゃあ明日! 明日また特訓してくれ! そん時はミリアも一緒に三人でさ!」

 反論できない代わりに、俺はお願いしてみる。


 今日、村に来たばっかりなら明日も居ると思うし、三人で特訓できると考えると今から楽しみだ。すぐに特訓を再開したい気持ちも、そう思えば収まってくれる。


 するとユヅキ姉ちゃんはなぜか目を逸らして、頬を掻きながら答える。

「あー……そうだな。明日、な」


 ちょっと気まずそうな感じなのはどうしてなのか。聞いてみようか一瞬迷ったが、それよりも聞きたいことがたくさんあったから、後回しにする。


「よし! じゃあさ、休憩しながら話そうぜ! ユヅキ姉ちゃんの事も知りてえしさ!」

「おう、そうだな。ほら座れ、一応、治癒魔法かけるからよ」


 それから俺たちは色んな話をした。

 俺の異能の話、友だちの話、それにミリアがどんどん強くなってきてる話も。


 ミリアの話をしている間、ユヅキ姉ちゃんは嬉しそうな、でもどこかむず痒いような顔をしていた。やっぱり親戚の子が褒められると、嬉しいもんなのかな?


 そうして話していると、俺ばっかり喋ってることに気付いて、

「なあなあ、ユヅキ姉ちゃんの話も聞かしてくれよ!」

 と促してみる。


「ん? ああ……そうだな。俺には一人、親友が居るんだ。お前にそっくりな奴でさ」

 ユヅキ姉ちゃんは少し考えてから話し始めた。


「いつも元気で、誰よりも強くて……世界で一番かっこいいと思えるような奴なんだ」

 親友の話をするユヅキ姉ちゃんの顔は、友情を感じている表情には見えなかった。


 どっちかというと……若い頃の父ちゃんの話をする時の、母ちゃんみたいだな。理由はないけど、なんとなくそう感じた。


「へー」

 言い表しようのない感情を相槌として口から出すと、驚くほどに棒読みで出てくる。


「なんで不機嫌そうなんだよコラ。ま、いいか……んで、そいつが今、記憶をなくしてるんだ」

「記憶をなくす……?」


 ユヅキ姉ちゃんの話の中に聞きなれない言葉を見つけて、俺は首を傾げて繰り返す。

「ああ、生まれてからの記憶を全部……な。自分の父ちゃんと母ちゃんの名前も、親友のオレの事も、なんにも分かんねえんだってさ」


 他人事みたいに言ってるけど、寂しそうに苦笑いをするユヅキ姉ちゃんの横顔が、俺の心に深く突き刺さる。



 と同時に、心の奥の方に手を突っ込まれて、ぎゅっと握りつぶされるような感覚が湧き出てくる。



(痛っ……! また頭痛か?)

 それを見た途端に、さっきの頭痛がまた襲いかかってきた。


 まるでなにかが頭の中で暴れているみたいだ。

 閉じ込められた思いが、出口を探しているような……


(俺はなんでそんな事がわかるんだ? 出口ってなんの事だよ)

 初めての感覚のはずなのに、心がそれを理解している。


 頭痛が治ってくれない。ズキンズキンと痛みを訴えてくる。

 苦痛に耐えかねて、両手で頭に触れて目を瞑った。


「痛え……なんだこれ……」

 生まれて今まで、こんなに酷い頭痛はなかった。

 だけど、頭の中は異常なほどに冴え渡っているのがわかる。


 記憶……閉じ込められた思い……出口……。

 色んな言葉が頭の中を走りまわって、一つの答えを求めて暴れているんだ。


 あと一つ、なにかが足りない。それが分かれば……この頭痛が治るという確信がある。


「……あ、が……」

 もう言葉もちゃんと言えないぐらい痛みに悶える俺を見かねて、ユヅキ姉ちゃんが近づいてくる音がした。


「なあ……ガラド」

 短く俺に声をかけてくる。俺も返事をしたいけど、頭痛がひどくてそれすら叶わない。

「う……ああ……!」


 なんとか目だけは開けて、ユヅキ姉ちゃんの顔を見上げると……



「はやく……



 ユヅキ姉ちゃんを視界に入れるよりも早く、優しい声色が俺の耳に届く。


 ついで俺の全身を柔らかい感触が包み込んだ。視界は覆われてよく見えない。

 一瞬の思考停止を乗り越えて、ユヅキ姉ちゃんにぎゅっと抱きしめられた事を理解する。


 そうして数秒の間、ユヅキ姉ちゃんに抱きしめられていると、さっきまでの痛みが嘘のように引いていく。


 そんな自分が、母親にあやしてもらってる赤ちゃんみたいに思えてきて、どんどん恥ずかしくなってきた。

「ゆ、ユヅキ姉ちゃん。もういいから……」


 と、俺はモゾモゾ動いて密着状態から逃げようとする。

「……やだ」


 けどユヅキ姉ちゃんはいじけた子どもみたいな事を言いながら、俺を抱きしめる腕に力を込めた。

(なんでこんな意固地になって……)


 そう思った瞬間、俺の頭上から水滴が一粒、落ちてきた。

「えっ……?」


 見上げると、そこには当然ユヅキ姉ちゃんの顔があって……


 その両目の端には、大きな雫が溜まっていた。


「ユヅキ姉ちゃん……泣いてるのか……?」

 なんで? 俺がなにかしちゃったのかも……と考えていると、震える声が俺の鼓膜を叩いた。


「もう……忘れないでよ。わかんねえとか……言わないで……早く、のこと思い出してよ」

 泣きながら、嗚咽おえつ混じりのその言葉には、どこか聞き覚えがある。


 おまけに話し方が変わった。

 この口調を、俺はよく知っている。



をことを、ずっと覚えててよ……



 その呼び方をするのは、世界でたった一人だけ。


 知っている。覚えている……いや、思い出した。

 ぽっかりと空いた穴が、埋まってゆく。


 忘れていた事を、忘れてはいけなかった誰かを、徐々に理解してゆく。


 ああ……そうか、そうだよな。なんで忘れてたんだ、こんな大事な人を。


 過去ここは居心地が良いけど、肝心のお前がいないんだ。

 だから、どこかつまんないと思ってた。


 過去ここにはいつまでだって居られる。それは確かだ。でもそれだけなんだ。

 親友と一緒に特訓してればよかった頃。何も考えずにいられた頃だ。


 魔物の発生に異常もなくて、魔族の出現もなくて、俺の肩に何も乗っていなかった頃なんだ。


 気楽でいられた。毎日が楽しかった。父ちゃんがいて母ちゃんがいて、そして親友おまえがいる。


 他になにも要らないと思ってた。

 それは事実だ。


 でも、お前の事を忘れてていい理由には、ならねえよな。


 忘れてて、ごめん。

 わかんねえとか言って、ごめん。


 大怪我をして、心配かけて、覚えてなくて……お前を傷つけた。

 本当にごめん。


 いろいろ、迷惑をかけた。記憶を失くしてなにもわからないままの俺を、それでもお前は助けようとしてくれた。


 雪の里に急いで、龍神様に会いに行って。なんも知らない俺の記憶を取り戻そうと、必死になって頑張ってくれた。


 本当にごめん。それと、ありがとう。


 その涙が俺の記憶を取り戻してくれたから、今は泣いていて良い。


 だけどその涙が収まった時は、また二人で、馬鹿みたいに……




「……ありがとな」

 一言、つぶやく。


 するとさっきまで見上げていたはずの顔は、俺の胸の辺りに埋もれていて。

 涙で腫らした目を擦り、俺を見上げてこう言った。


「どういたしまして、


 見上げてくる彼女の表情は、俺たちが初めて会った時と同じ……花が咲いたような笑顔だった。


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