第19話
俺は立ち上がった。冬也はこちらに歩いて来た。が、俺を見ていなかった。隼人のことも見ていなかった。目を見開き、口を開けて、前方の窓を見ていた。そして立ち止まって、その顔のまま上下左右に首を動かすと叫んだ。
「なんやここっ。大豪邸やん! 隼人っ、お前っ、すっごいな!」
「どうも」
ふっと笑って、隼人は冬也の称賛を受け流した。その笑い方は、何と言うか、厚みのないもの、ではなかった。親しみが裏打ちされている、ような感じだった。
俺は冬也のそばに行くのをやめて、再びソファに腰を下ろした。隼人に一歩先を行かれている感覚を、なぜか味わっていた。
冬也は、大人しく、ソファに座ろうとしなかった。
「おい、なんや! 玄関とこにもあったのに、このリビングにも、リビングやろ、ここ? このリビングにも階段あるやん! 隼人、行ける場所が違ったりするん? え? 特にそういうわけでもないんか。ほな、なんであるねん! って、まあええか。しっかし庭も広っ。花も木もたくさんあってめっちゃ庭園やん! この窓辺にある椅子とテーブルもなんやシャレとるな! でも、ソファとテーブルちゃんとあるのに、ここは何に使うねん。くつろげる? なるほど。ここの外出られる窓開けて、庭眺めながらええモンでも食ったら確かによさそうや! 外におる人が焼き立ての肉運んでくれたりしたら最高やろな! え? そんなことしたことない? もったいない! そのおっさんに焼かせればええやん! ええと、あっちは台所か。なあ、隼人! おっさんのアホ面ばっか眺めとったせいで、家ん中しっかり見てへんねん。見学してええか? ええよな!」
興奮気味にしゃべりながらリビングをうろうろする冬也に、一階だけならな、と隼人は許可した。
冬也がキッチンの方に向かうと、俺は隼人に状況の説明を求めた。
「何でこうなったんだよ!?」
「何でこうなったか?」
隼人は、分からないのか? とでも言いたげに小さく肩をすくめてみせてから、俺に説明をした。
真相は、何のことはなかった。隼人が電話に出て俺をほったらかして席を立ったとき、その通話の相手は冬也だったのだ。今歩いてそっちに向かっている、通りの角を曲がって少しんとこでうろうろしてるけど、どの家かよう分からん、目印教えてくれ、と冬也は言った(ちなみに、隼人の冬也の物真似関西弁はなかなかうまかった)。隼人は冬也にそばにある家の表札の名前を言わせて現在地を確認すると、迎えの人間をやるからそのまま進めと伝えた。すると、あのおっさんは来てるか? と冬也は言った。来ている、と隼人が答えると、本当はそのおっさんと一緒に行く予定だったけど変更になった、こっそり行くから自分が行くことはおっさんに言うな、と冬也は要望した。分かったと隼人が言うと、冬也は電話を切った。ほなな、そうや、そのおっさん蹴ってええで! と言い残して。
そして時間が経ち、
「気づいたら、ドアのところに冬也が寝転がってこっちを見てたんだ。で、お前が全然気づかないことに、俺はいらついたってわけだ」
「冬也がいるって、さっさと教えればよかっただろ!」
と文句を言った俺だったが、内心は明るい気持ちだった。説明を聞く限り、冬也はここに来る理由を、隼人にほのめかしてもいないのだ。ということは、冬也は作戦を実行するつもりがあるのだろう。
「だいたい教えてほしいのはこっちだ。冬也がこっそりがどうの言うから、お前にも何も聞かないでいたんだ。一緒に来る予定だとか、何なんだ?」
「ああ、それは……」
俺は言葉を濁し、冬也の様子を気にかけるように首を回した。
冬也の声が聞こえなくなっている。
隼人の許可を得た冬也は、大きな声を発しながら、一階を探検していたのだ。
こんなふうに。
「台所も立派やな! お!? コンロ何個あるねん! 四個もあるやん! あれ? こっちの壁際にもコンロある! ほわっ? 水の流しも二カ所あるやん! 嘘やろ、どっかの厨房みたいやん! 冷蔵庫もでっかいし! 他にもいろいろ、……メカニックやな、俺、料理せえへんからよう分からん。このダイニングテーブルも、でっかくて高そうや。えーと、こっちは廊下で、この部屋は、あ、どうも、こんにちは。あ、ネエさん、さっきは迎えに来てくれはっておおきに! ここ何? 仕事部屋? へえ、あ、これ、新しい台本? めっちゃある! こん中から出るの選ぶん?
隼人! こんなに仕事あるのありがたいことやで、全部引き受けろや! あはは、そうやな無理して体壊したら元も子もないもんな。
えーと、で、ここがもう一つの階段で。そうや、玄関のとこにあるこのドアは? ほわっ、靴とかいっぱいや。シューズクロークか! ほな、次こっち! ここは、トイレか。キレイやし、広いな。こっちは? 風呂、洗面所! うわあ、風呂もでかいし、洗濯機もある! なんや金持ち感ハンパないな! ネエさん、あのドアはなんですか? ふうん、裏庭に出られるんかあ。で、こっちの部屋は。おっ! フローリング、鏡張りやん! もしかしてダンス部屋? え? いろいろトレーニングとかする部屋? しかもたまにしか使ってない? もったいない!
隼人! お前どんだけぜいたくやねん! ええ!? 大したことない!? ったく、何言うてんねん!
あ、そうやさっき寝転がったとき、みやげ廊下に置いた、けど、あれ? あれ、どしたんやろ? あ、うん、保護してくれとったか、うん、そうして、うん、頼むな。なあ、ちょっと待って、なあ、それ何? それってもしかして……」
隼人は離れた場所からの、隼人! という冬也の呼びかけに、いちいち対応していた。
だから、隼人の俺への説明はその度中断していたわけなのだが、俺は隼人が冬也に負けず劣らずの大きく良く通る声を出すことに、少なからず感心していたのだった(何しろ、俺からは見えないところで、冬也を途中から案内しているらしい事務所スタッフの声は、こっちでは言葉として聞き取れないのだから)。
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