第12話

「そうでしたか。でも勝手に触ったのは、本当に申し訳なかったです」

 日野先生は安心したかのような力の抜けた声で言って、携帯を冬也に渡した。冬也は受け取った携帯をじっと見た。

「電話の用件、何でしたか?」

「ああ、そうだ。またかけ直すそうです。できれば瀬崎くんから、かけて来てほしいとのことでしたが」

「クソやったでしょ?」

「え?」

「電話のやつです」

 冬也は、執拗に電話をかけて来たのは誰なのか、見当はついていた。「性格悪くて陰険で、考えることがガキみたいなのが声ににじみ出てたでしょ?」

「いや」

 日野先生は、戸惑ったように瞬きをした。「そうですね、最初はなかなか電話がつながらなかったことに対して怒っている様子でしたが、出たのが君ではないと分かると、丁寧な、礼儀正しい物言いになって。ガキというよりも、洗練された大人の男性であるという印象を、私は受けました」

「そーですか」

「彼は、君の友人ですか?」

「違います。ダチやないです。十か十一か上の、ただ知っているだけのおっさんです。でも先生からしたら、あのおっさんもまだまだガキやと思いますよ」

「……そうだとしても、年は三つ四つしか変わらない」

「そうなんや! 先生、けっこう若いんですね」

「ええ、まあ」

 日野先生は、複雑そうな表情になった。冬也の頭に、退散という言葉が浮かんだ。

「ほな、そろそろ失礼します」

 冬也は携帯を、椅子に置いていたバッグにしまい、ホイップクリームに声をかけた。「行こうや」

 ホイップクリームも、慌てたように自分のバッグを手にした。

 二人で部屋を出た。ドアを閉めるとき、日野先生の疲れたようなため息が、聞こえたような気がした。


「日野先生って、ああ見えて若いんやな」

「うん」

「俺、とっくに四十過ぎてはるんやと思てた。変に落ち着いてはるせいやな」

「う、うん」

「あ、電話や」

 歩き出して間もなく、鳴った。バッグから携帯を出して、かけて来た相手をチェックした冬也は、一瞬顔をゆがめてから、ホイップクリームに言った。「ごめん、出てええ?」

「うん、もちろん」

「おおきに」

 通話にして、冬也は携帯を耳に押し当てた。「はい」

 相手は不審そうに、冬也なのか? と言った。

「俺や」

 低い声で返した。すると相手は大きなため息をついた。何度も電話したんだぞ、ったく、何で……。

「あー、もうええよ。さっさと用件言うてくれ。あ? 車で学校の前に来とるんか? マジ、ストーカーやな。約束? そんなもん、お流れになったはずやろ? だいたいあんたの作戦、なんやねん。俺に隼人にヤられろってことやろが」

 そんなんじゃねえよっと、電話の相手はわめいた。静かな廊下を歩いているため、冬也は極力声を抑えていたから、相手の態度は余計に気に障った。

「なあ、ええか、おっさん。俺はあんたが遊び半分でコトをやらかそうとしてるように思えるねん。隼人はともかく、その名前も知らんようなやつを……」

 名前ぐらい知ってる、とおっさんは不機嫌そうに言った。冬也、さっきは言うタイミングがなかったけど、学校はここ、お前と一緒だよ。名前は……。

「はい、もしもし、こだまです」

 冬也は右耳でおっさんの言葉を、左耳でホイップクリームの声を聞いた。冬也はホイップクリームを見た。いつの間に電話に出たのか、ホイップクリームは携帯を耳に当てていて、真剣な顔つきで口を動かしていた――はい、大丈夫です。今から行きます。

「……あほな電話は、もうええわ」

 ホイップクリームを見つめたまま、冬也は静かに言うと電話を切った。相手がまだ何かしゃべっていたが、かまわなかった。

 ホイップクリームも電話が終わったらしく、耳から携帯を離した。

「なあ確か名前、かつらぎ、こだま、やったよな?」

 冬也は探りを入れた。

 かつらぎこだま、とおっさんは言った。

 出欠をとったとき、隣がいつ返事をしたのかまったく覚えていなかったから、冬也はホイップクリームの名字を知らない。

「う、うん。あ、あの今さらだけど、よろしく」

 ホイップクリームのようなかつらぎこだまは、ぺこりと頭を下げた。

「こちらこそよろしく。そう言えば、今から、用あるみたいやな?」

「う、うん」

 冬也はにっこりとほほ笑んだ。

「ほな、校門とこまでは一緒に行こ」

「う、うん」

 冬也は、少し足を速めた。かつらぎこだまも歩調を合わせた。

 かつらぎこだまの様子は、さっきまでとは明らかに変わっていた。顔に浮かべる小さな笑みはぎごちなく、心の中で何かを必死に考えていそうな緊張感を身にまとっている。

 電話での冬也の言葉“隼人にヤられ……”が与えた影響だろう――おっさんが朝言うとった、かつらぎこだまは俺と隼人が知り合いだと知っている。今は、そういう関係なんだろうかと、頭の中がぐるぐるしているってとこやろか。

 二人は校舎を出た。

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