第8話
翌朝、開いた傷からの出血は止まったが、青年は高熱を出していた。呼吸が荒く、絶え間なく汗が流れ続けている。
これだけの傷を負っていれば、高熱が出るのも無理はない。エマは冷たい水で濡らした布を青年の額や脇に当てるが、すぐにぬるくなってしまう。
幸い水は飲めるようだったので、定期的に水や薬湯を飲ませていた。
そう簡単に治らないのは百も承知だが、青年の苦し気な表情を見ていると、早く治す方法は無いかと考えてしまう。
「治癒魔法が使えたらすぐ治せたのかな……」
エマのつぶやきに、青年の瞼がぴくりと動いた。
「……治癒魔法は、魔族には効かないぞ」
「え?そうなの?」
エマの驚きの声に、青年が小さくうなずく。
「どこまで本当かは知らないが、治癒魔法は元々、魔族のみを殺す魔法の研究中に、偶発的に発見された魔法らしい」
「魔族のみを殺す魔法?」
「ああ。人間は集団で戦う生き物だ。そのような魔法があれば、仲間を巻き込んでしまう危険がなくなるだろう」
「たしかに」
エマは魔族と戦ったことはないが、仲間を巻き込むリスクがあるのは想像ができる。雑草を枯らす毒を、誤って農作物にもかけてしまうようなイメージだろうか。
青年は言葉を続ける。
「今はまだ、そのような魔法は完成していない。魔族が治癒魔法を受けても、何も起こらないだけだ。が……、人間の技術の発達は目覚ましい。いずれ、そういう魔法が完成してもおかしくはないと思う」
魔法が使えず、魔法に関する知識に触れる機会も少なかったエマにとっては、とても興味深い話だった。まず、魔法が研究されていることすら知らない。
治癒魔法とはそのような経緯で生まれた魔法なのか。魔法とは研究が行われ、日々進化するような分野なのか。
知らない知識に出会ったとき、エマは大変な興奮を覚える。魔法についてもっと知りたいという意欲がわき、目を輝かせた。
エマは弾むような声を上げた。
「あなたは魔法は使えるの?魔族も魔法の研究はしているの?」
「治癒魔法以外は一通り使えるが……。魔族は新しい魔法の研究は行わない。多くの者は、生まれた時から持っている魔法を、いかに強く、効果的に使うかに注力する」
「そうなんだ!あなたは生まれたときどんな魔法を……あ」
好奇心のままに青年を問い詰めようとして、エマは青年が重傷者であることを思い出した。
(またやっちゃった……)
青年は息をするのも辛そうだというのに、長々と喋らせてしまった。
エマの悪い癖だった。気になることがあると、そこにしか目がいかなくなる。“知りたい”という欲求を抑えられなくなってしまうのだ。
治療をする立場なのに症状を悪化させるようなことをしてしまい、エマは落ち込んでベッドの傍にしゃがんだ。
青年が不思議そうにエマを見る。エマはちらりと顔を上げ、青年と目を合わせた。
「怪我が治ったら、魔法のこともっと教えて」
青年は驚いたように目を開いた。何かおかしなことを言っただろうかと、今度はエマが不思議そうに青年を見る番だった。
「……お前は魔族が怖くないのか」
青年の問いに、エマはすぐに「うん」とうなずいた。
青年は眉間にしわを寄せ、訝し気にエマを見る。
「なぜだ。魔族の中には人間を捕食する個体もいるんだぞ」
「あ、全員が人間を食べるわけじゃないんだ」
エマは青年の意図と全く異なるところに反応した。青年は天井を見上げ、大きなため息をつく。
エマは「ごめんごめん」と笑い、青年の額に乗せた布を新しいものに取り替える。
エマは青年の問いを、少し真面目に考えた。
魔族が怖いかと聞かれると、全く怖くはない。それは魔族に会ったことがないからだと思っていたが、青年に出会い、より恐怖は薄れている。
襲い掛かられても、首を絞められかけても、「そういうこともある」程度にしか思わなかった。
それはなぜか。エマの中にははっきりと答えが出ていた。
「人間を襲うのは人間も同じでしょ」
魔族や魔物は、捕食するために人間を殺す。しかし人間は、命が目的ではないのに人間を殺すことがある。
金のため、地位のため、名誉のため、快楽のため、ただ衝動のままに……。他にもいろいろあるだろう。
それは魔族が人を襲うより、よほど悪質な理由であることも少なくないのだ。
青年は驚いていた。もしかしたら、青年にとっては考えたこともない答えだったかもしれない。
青年は揺れる瞳を伏せ、「そうか」とだけ答えた。
それからしばらくの間、二人は何も言わなかった。エマには気まずいという感情がそもそもなく、青年は長く会話ができるほど体力が回復していない。
窓から差し込む光がオレンジ色に変わったころ、青年はふいに口を開いた。
「なあ」
その声は固く、少し緊張しているようにも聞こえた。
エマは水に浸した布を絞りながら、「ん?」と声だけで返事をする。
「お前の名は何というんだ」
エマは手を止め、聞き取りやすいようにはっきりと答える。
「エマ」
青年は少し恥ずかしそうに、「エマ」と小声で復唱した。
「私のことは、ルカと呼んでくれ」
「ルカね。わかった」
青年……ルカはちらりとエマを見ると、満足そうに微笑んだ。
ルカのこの表情の意味を、エマはまだ理解していなかった。
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