第7話 八王子「最終魔境」
八王子。
文明の終点。
線路の先はもう、舗装もされていない。
駅を降りると、ラーメンと排気ガスの匂いが混ざった風が吹いていた。
「利権と忖度の総合商社へようこそ」
車掌・猫屋敷が笑う。
「ここでは、嘘も正義も同じ値段で売られています」
駅前には八王子ラーメンの行列。
そのすぐ横で、政治のポスターが剥がれかけていた。
みんなが“味の濃さ”を競っている。
人生もスープも、しょっぱくなければ人気が出ないらしい。
繁華街を抜けると、
目つきの鋭い若者たちが、
コンビニの灯りの下でタバコを吸っていた。
その目には飢えも希望もなく、
ただ何かを睨んでいないと崩れてしまうような、
ぎりぎりの光が宿っていた。
そのそばを、
細すぎる女の子が無表情で通り過ぎていく。
スマホの画面の中でだけ笑っている。
現実ではもう、顔の筋肉が眠ってしまったようだった。
奥に進むと、
廃墟になった病院が立っていた。
窓ガラスが割れ、風が鳴いている。
かつてのパチンコ屋も、壁のネオンが半分だけ光っていた。
イノシシの鳴き声が、どこかから響いてくる。
「ここが“八王子ドゥープ”の跡地ですよ」
猫屋敷が指さした。
「短期宿泊所を名乗ってましたけど、実際は“信仰”の宿でした」
街の空気が変わる。
利権と忖度、補助金と信心、
どれが正義でどれが虚構か、誰もわからない。
建物の奥では、
スーツ姿の男たちが封筒を交換していた。
彼らの影が伸びて、街灯の下で絡まり合う。
職務質問の声が聞こえる。
「すみません、少しお時間いいですか?」
それはまるでこの街そのものの口癖のようだ。
正しい人ほど疑われ、
悪い人ほど堂々としている。
私はポケットを叩いた。
財布の中には、数枚の硬貨。
中央線の切符。
そして、どこかで拾った“猫の鈴”。
猫屋敷がそれを見て、微笑んだ。
「……あなた、ようやく気づいたでしょう?」
私は息をのむ。
猫屋敷の目が、光を反射していた。
その瞳は、電車のライトのように深く、暗かった。
「あなたが乗ってきた列車、
最初から“現実”だったんですよ」
風が吹いた。
どこかでイノシシが鳴いた。
廃病院の窓が軋み、
空にうっすらと、中央線の軌跡が光っていた。
「次は──ありません」
車掌の声が車内放送のように響く。
「この電車は、終点・八王子。
ここから先は、乗客それぞれの人生線にお乗り換えください。」
私は頷いた。
ホームにはもう誰もいない。
猫屋敷の姿も消えていた。
残されたのは、
カラン、と転がる猫の鈴だけ。
その音が、
この長い旅の最後の合図だった。
“魔境”とは、どこか遠くの異界じゃない。
ラーメンの湯気の向こう、
廃墟の窓の中、
今日も誰かが生き延びている現実のことだ。
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