第3話 武蔵境「神様多発エリア」

武蔵境。

整然と咲いた桜の花が、空を均一に塗りつぶしている。

この街では、風も乱れない。

落ち葉は風下に落ちることを許されず、

空気までもが几帳面に整列していた。


「高級住宅街ってのはね、神様まで選抜制なんですよ」

車掌・猫屋敷がぼそりと言う。

「ここでは、感情より“波動”のほうが上位概念です」





あの頃、私はここでレイキヒーリングを習っていた。

神谷まさる先生──宇宙線の研究者出身。

白衣を着たまま「魂とは波の関数です」と笑う人だった。


でも、その笑顔は冷たかった。

困っていた私に、彼はただ言った。


「魂の課題だから、自分で乗り越えて」




それは慰めじゃなく、通知のような声だった。





体験会に行くお金がなくて、

どうしても一万円を作らなければならなかった。

私は誰にも言えない仕事をした。

身体を“撮られる”だけのはずが、

心の奥の、柔らかい部分まで触られた気がした。


帰り道、夜の武蔵境の桜はやけに明るかった。

照明が白すぎて、影が消えていた。

私自身の影も、もう見えなかった。





体験会では、裕福そうな奥様たちが

ハーブティーを片手に談笑していた。

香りは甘く、空気は冷たい。


「彼、疲れてるんです」

そう言って彼を練習モデルにした。

すると、私の頭の中でビリビリと電気が走った。


「えっ!?」「こんな反応、初めて!」

奥様たちがざわめいた。

私はただうつむいて、笑った。

──何も感じないより、痛いほうがまだ生きている気がしたから。


神谷先生は最後まで無言だった。

帰り際、「ありがとうございました」と言っても、

彼は答えなかった。

その沈黙が、どんな悪意より冷たかった。





列車が発車する。

車窓の外、桜並木が線のように流れる。

花びらのひとつひとつが、

整然とした狂気のように私を見つめていた。


「先生、見えますか」

私は小さく呟く。

「あなたが信じた波動、

 私の身体の中でまだノイズを立てています。

 でも、それでも私は、

 “痛みを感じる人間”でいたいんです」


猫屋敷が苦く笑った。

「信仰と詐欺の境界線は、

 桜の花びら一枚分しかないんですよ」





「次は、国分寺〜。

 全住民バンドマン地帯〜。

 この先、感情がうるさくなります。」


車掌の声が車内に響く。

私は、頭の奥でまだ鳴っている電流の音を聞いた。

それはきっと、

“痛みがまだ終わっていない証拠”だった。


列車は、静かな信仰の街を離れ、

次の魔境へと滑り込んでいった。





つづく

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