27話 悍ましき悪魔の凄惨な宴③
「……デルノウか?」
「うむ」
面影、というにはあまりにも似た容貌だった為、デルノウに違いないことは分かっていた。だが、聞かずにはいられなかった。
覇気なくヨロヨロとした、枯れ枝のような印象のあった彼だが、体型はさほど変わらずとも今の立ち姿は堂々たるものだ。深い皺を無数に伸ばす眦は意思を感じさせ、廃墟の祖父としての優しさの中に、鍛冶場の老職人を思わせる頑固さを秘めているように見える。
「アンタも肉体に変化があった……ということのようだな?」
「その通りじゃよ。そして、他の者ものう?」
デルノウの後方に視線を向けると、そこには見知った顔が並んでいた。しかし、彼らもかつてのただ死を待つだけの虚な姿ではなく、確かに生きているのだという気配、活力、あるいは生命力と呼ぶに相応しいものを携えている。
一方で、変化が見られたのは自分を含めた人間だけだ。
広場を囲むように立つ廃墟は見慣れたものと何も変わらず、死後の世界にしてはあまりにも鬱屈とした空気が漂っている。
「ともすればこれは……現実、なのか?」
地べたの冷たさも感じる。身体の熱も感じる。
陽光の穏やかさも、廃墟特有の饐えた臭いも、
「うっ……!?」
僅かに口内に残るエグ味もまた、確かにそこに感じるのだ。
見て触れる全てのモノが現実感を携えているというのに、これをもう夢うつつとは思うまい。
だが……
「グエルさん……っ!」
涙を湛えて駆け寄ってきたのは黒髪の幼い少女――マイナだった。未だ華奢ではあるものの、頬は子供特有の丸みを取り戻し、血色も良くなっている。
彼女が元気な様子でそこにいる――それだけで重い荷を下ろしたような心地がしてしまう。
いけない。マイナは俺の娘ではないというのに。
とはいえ、かつて言葉を交わしたことなど無かったはずだが……?
「あ、あの……そのね……? あ、ありがとぅ……っ!」
「……?」
おずおずと感謝を述べるマイナ。
しかし俺はその意味を測りかねている。
すると、マイナと顔立ちのよく似た黒髪の少年が駆け寄ってきて、勢いよく頭を下げた。
「グエルさんっ! マイナを助けようとしてくれたって聞きましたっ! ホントにありがとうございましたっ!」
タスクだ。
ハキハキと快活な物言いと強い意思を感じる眼差し。
全身にあった惨たらしいアザも引き、骨ばっていた身体にもいくらかの肉がついている。前途多望な若人としての階段を登り始めた、頼もしさのようなものを感じさせる出立だ。
「助けようと……あぁ!」
ようやく思い出した。というよりは、憶えていたが兄妹の評価と自己認識が食い違っていたのを、なんとか結びつけた形だ。
俺はあの少女の皮を被った悪魔がマイナに毒を飲ませようとするのが耐えられず、怒りのままに飛び出した。
結果なんの抵抗も出来ずに毒を飲まされてしまったわけだが、「助けようとした」という一点のみにおいては誤解ではない。
「お礼されるほどのことはしていないよ。俺はただ衝動的に前に出ただけだ」
「……そ、そうだったんだ」
「でもでも……その……んーと……」
兄妹は何か言い淀みながら、こちらの様子を伺っている。
失敗したな。俺はどうも子供の扱いが苦手らしい。
「デルノウ。アンタ、さっき禁呪って言ったよな?」
子供達から発される空気感にやむにやまれず、一つ前の話題を引っ張り出した。
すると、デルノウはやけに困った表情を浮かべ、
「場所を変えよう」
と、声を潜めたのだ。
「……それで、禁呪っていうのはどういうことだ?」
広場から少し外れた廃墟の裏に移動し、デルノウに尋ねる。
すると、周囲をやたら警戒した様子のデルノウは「決して他言してはならんよ」と前置きし、
「ワシは北方の小国:ラナスで『禁忌の勇者』に関する研究を行う学者だったんじゃ」
「禁忌の勇者……ッ!?」
優しき白老の口からその言葉が出るとは思いもせず、つい口調を上ずらせてしまう。
禁忌の勇者:ヘレンミ・ディアローグ――五百年前に実在したとされる勇者の一人だ。しかし禁忌の名を冠する通り、
「彼女に関連する物品の所持、魔法の習得、その他彼女に繋がる研究の一切は禁止されているはずだろう……?」
「ここルクタニア王国では……の話じゃ。もっともそのコトを知らずに研究の一環で王都に訪れたのが運のツキだったわけじゃがのう……」
デルノウは蓄えた顎髭をさすりながら、苦々しい表情をした。
彼は確かに知性を感じさせる佇まいをしているが、まさか学者――それもこの国で禁忌とされる学問を専攻していたとは。
だが、今はデルノウの過去よりも聞きたいことがある。
「教えてくれ学者殿……あの悪魔は俺達に一体なにをしたんだ……?」
「――『
「嗤う……旅団? それは……どういう効果の魔法なんだ?」
「術者の傀儡を生成する魔法――簡潔に言うと、そういう魔法じゃよ」
「……!?」
魔法が不得手な俺に、デルノウは分かりやすく教えてくれた。
では操り人形を召喚する魔法なのか、と言えば全く異なる。この魔法が召喚するのは――毒虫だ。
毒虫は生物の口腔を通って脳内に侵入し、寄生する。
しかし寄生した虫は普段は何もせず、生物は通常通りに過ごすのだそうだ。
だが――
「術者が呼びかけたその瞬間、虫は殺意という名の猛毒を脳に送り込み、我々を殺戮にのみ悦楽を覚える狂戦士に変えてしまうのじゃ……!」
「なんて惨い……っ!?」
今思い返してみると、悪魔は黒い液体を作る際に小さな球体を投げ入れていた。
あれがまさにその毒虫の卵だった、ということなのではなのだろう。
そうなると、激臭の液体はおそらく毒虫の餌――痩せこけ、死を待つだけの俺達では毒虫が飢えてしまうと考えた悪魔は、俺達に栄養を与え太らせることで、毒虫の器に足る肉体へと変えたのだ。
まさに外道。まさに悪辣。
世の理を完全に逸脱した、邪悪な魔法。
禁呪という名に違わない、紛うことなき狂気の塊だ。
「イカレてやがる……ッ」
漆黒の双眸を思い出すだけで虫唾が走る――その時だった。
「……なんだ?」
広場から大きな物音が聞こえ、咄嗟に耳を済ました。
するとその刹那、廃墟をつんざく少女の絶叫が鼓膜を揺らしたのだ。
「……マイナッ!」
気付いた時には駆けていた。
脳裏に顔を浮かべ、名を叫び、一心不乱に大地を蹴る。
また悪魔が現れたのか? 一体なぜ? 何の為に?
幸い、人目を避けただけで距離は取っていなかった。
だが、それは俺の焦燥を和らげない。
マイナが、タスクが、また怖い目に遭っているのではないか?
泣いているのではないか?
愛してやまなかった娘のように、もしかしてもう……?
走ることたった三十秒。束の間の焦燥。
しかし膨大な不安に脳を焼かれながら、広場に辿り着く。
そこで見たのは悪魔ではなく、
「ヒャハハハハァ〜ッ!? やっぱ顔色良くなってなァ〜いぃ〜ッ!?」
ナイフを舌舐めずりする赤い辮髪の痩躯の男。
「イイモン食わせてもらったんだろォ? オイ? 生ゴミに群がるクソ虫のクセによォ?」
隆々とした巨腕を持つスキンヘッドの大男。
――
露店街が抱える用心棒集団「悪錆」。
暴力沙汰などの素行問題で資格を剥奪された元冒険者などで構成される武力組織であり、ラクシャ地区で最も凶暴で野蛮な集団だ。
彼らの存在はラクシャ地区の暮らしを脅かすと同時にライトニング憲兵団長を筆頭とする保護派を牽制し、復興を著しく妨げている。
相対する二人は「辮髪のカッター」に「鋼鉄のヴォルグ」――かつてはB級冒険者という実力を持ちながら、弱者を嬲る為だけに「悪錆」へ加入した残虐非道の卑劣漢だ。
「マイナッ! タスクッ! 」
幼い黒髪の兄妹は、どちらもヤツらに捕らえられていた。
マイナは辮髪の男に髪を鷲掴みにされ、タスクは頭から血を流しながら大男の脚で踏み躙られている。
「お前らああああ――ッ!」
瞬く間に脳髄が沸騰し、電撃が如き血流が全身に迸る。
俺は大地を蹴った。
これまでは抗う気すらも起きなかった。抗う力も無かった。
だが、今は駆けられる脚がある。振るえる拳がある。
怒りに身を任せ、力を奮うことが出来る。
「うおおおおおお――ッ!」
全身全霊を持って跳躍し、スキンヘッドの大男:ヴォルグの顔面に向けて拳を振り抜く。
「やっぱ元気になってんなァオイ?」
「――ッ!?」
渾身の拳だった。確かに悪辣な笑みに直撃した。
だが、まるで鉄塊でも殴りつけているかのような重苦しい打感。
魔法……いや、詠唱が無かったことからして「スキル」だ。
おそらく身体を硬質化させる何らかのスキルで、俺の拳が砕かれた。
「ッガアアア――ッ!?」
腹部を丸太が如き脚撃が撃ち抜いた。
俺の身体は広場に充満する饐えた空気を切り裂いて、反対側の廃墟の壁に激突する。
息が出来ない。身体がピクリとも動かない。
頭の奥が痺れていた。壊れる音が聞こえた。
硬く丈夫ないくつもの何かが、きっと大事な何かが、身体の中で粉砕してしまったのだ。
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