第5話 なくした恋愛感情
2回目の乾杯をした僕たちは、焼き鳥屋が閉店時間になるまでずっと喋り続けていた。
子ども時代の話や出身地の話。
図書室が好きだった僕とは真逆の子ども時代を送っていた翔太くんの話は新鮮で、久しぶりに笑いすぎて涙が出た。
それでも特に盛り上がったのは、やっぱりお互いの夢に関する話だった。
翔太くんの口から紡がれる言葉のひとつひとつが、僕が縋りついている研究者という夢を肯定してくれているようで、あまり強くもないくせに僕はお酒を飲み過ぎてしまっていた。
「あのぉ、もうちょっとだけ喋れませんか?」
僕は焼き鳥屋で会計をして、店を出ると直ぐに言った。
「僕もうちょっと……もうちょっとだけ、翔太くんとしゃべりたい……れす」
僕は翔太くんの服の裾を掴み、くいくいっと引っ張る。
「お、いいっすね。どっか入れる店あるかな」
翔太くんはポケットからスマホを取り出す。
スマホには2時11分と表示されていた。
「……さんぽ」
僕はぽやぽやした頭に浮かんだ散歩を提案した。
「ははっ。いいっすね、歩きましょっか」
翔太くんはすぐに笑って返事をしてくれた。
「春馬さん、歩くなら上着着ないと寒いですよ?」
「だいじょうぶ、ぽかぽかしてる」
アルコールが身体中を巡り火照った身体に、冷たい外の空気は丁度気持ちがいい。
「翔太くんはさむい?」
「いや、寒くないっすね」
「ふふっ、だよね」
ポカポカ度を確かめてみようと片方の手で翔太くんの頬っぺたを触ってみると、翔太くんの頬も僕と同じで熱かった。
暗くて静かな夜の道を2人でゆっくりと歩く。
アパートも一軒家も、部屋の明かりは消えていて、僕らを照らす光は丸い月と、数十メートルおきに光っている街頭くらいだ。
僕は相変わらずふわふわした身体と頭のまま、翔太くんの歩幅に合わせようと歩いた。
こんな真っ暗で、人気のない深夜に誰かと並んで歩くなんて何年ぶりだろう。
大学生くらいに戻ったみたいだ。
「翔太くんはあ、彼女とかいるんですか」
街灯に照らされた翔太くんの影を見て言った。
「んー、いないですね」
「……じゃ彼氏は?」
「彼氏?」
「かれし」
「それもいない……っすね」
翔太くんは戸惑ったように答えてから、すぐに質問を返してきた。
「えっ、春馬さん彼氏いるんですか?」
「んぇ?ぼく?」
「え、はい」
「いない」
「そう……っすか。なんだ、びっくりした」
心底驚いてそうな翔太くんは、はははっと声を出して笑った。
「……もし僕に彼氏がいたらおかしかった?」
すぐに意地悪な質問をしたと思った。
「あ、ごめんなさい。えっと、あの」
嫌な質問をするつもりじゃなかった、と急いで言葉にしようとしても、頭の回転が追いつかない。
「そんなことないですよ」
翔太くんを見上げると、ニッと白い歯を出して優しく笑っていた。
「俺の友達、めっちゃかっこいい彼氏がいるんすよ」
「へえ……」
「そいつ俺にいつも彼氏の自慢をしてくるんで、なんかそいつら見てるといつも楽しそうで良いなって思ってます」
僕の隣を歩く翔太くんは、スマホを触って、彼氏がいる友達を見せてくれた。
彼氏と肩を組んで写っている翔太くんの友達の笑顔は嬉しそうで、写真から幸せそうな様子が伝わってきた。
「春馬さんは男から告白されたことはあるんですか?」
「ある。……けど、つきあわなかったんだよね」
「へえ?やっぱ男とは恋愛できないって感じですか?」
「ううん、そんなんじゃない。んとね、なんだろ、わかんないって感じだったと思う……たぶん」
男の人から初めて告白されたのは1年くらい前で、同じ研究室の後輩だった。
僕はその時点で25歳を過ぎていたし、後輩といっても大学4年生で卒業間際の学生だった。
恋愛することも出来たはずだけど、僕は彼が違う世界の住人のような気がして、恋愛対象として考えてみるよりも前に断ってしまっていた。
「ぼくは、恋愛感情をなくしちゃったのかもしれないです」
僕は歩みを止めて、ぼそりと呟いた。
恋愛よりも研究。
恋愛よりも生活。
研究者を目指すためには、今は恋愛なんかよりも優先事項があるだろうって自分で封印しちゃったからかもしれない。
そうして過ごしているうちに、いつの間にか僕は恋愛の仕方も恋愛対象がどんな人だったかも分からなくなっていた。
「ありますよ」
道路で立ち止まった僕を見て、翔太くんが言った。
「恋愛感情の確かめ方、ありますよ」
「たしかめかた?」
「相手と触れ合うことがイメージできたり、触れて嫌じゃないって思えるかどうかって感じっすね」
翔太くんは「まあ、これは友達の受け売りなんすけど」と言って笑った。
「あ、あとは、やっぱり……」
「ふれあう?」
「え?あぁ、そうです。なんとなく距離を取りたい相手っていうのは完全に無しだそうです。とは言いつつ、友達はキスできるかどうかだろって超現実的なこと言ってましたけどね」
「……じゃあ翔太くん手かして」
僕はそう言って、隣に立つ翔太くんの手を勝手に握った。
薄い僕の手のひらと違って、ゴツゴツと骨張ったがっちりした手だった。
「春馬さん?」
僕は両手で、むにむにと翔太くんの手を揉む。
「翔太くんは良い手だね」
「良いっすか、ははっ。あざす」
しばらく自分の手とは違う感触がする翔太くんの手を堪能してから、僕はそのまま翔太くんの手に自分の手を重ねた。
少し冷たくなっていた指先を、翔太くんの温かい手のひらを這わせ、ゆっくりと指に絡めてゆく。
「春……馬さん?」
「…翔太くんはどう?いや?」
「嫌じゃないっすけど……えっと、春馬さんは」
翔太くんは驚いているのか、戸惑っているのか、静かに言った。
「いやじゃない」
むしろ心地良い感じだ。
「そうっすか、良かった。ははっ」
「……じゃあ、つぎ」
僕は翔太くんの手を握ったまま言った。
僕が翔太くんの手をぎゅっと握るからか、翔太くんも軽く握り返してくれているような気もする。
「次?」
「つぎ。キスしてみたらわかるんでしょ」
「キスするっていうか、恋愛対象か確かめるにはキスできるか、できないかっていう事だから、あの……」
「……じゃあやっぱり僕とはできないんだ」
翔太くんの慌てる様子を見て、急に胸が締め付けられてきた。
涙が出そうになる。
「いや、そういうことじゃなくて。えっと、あの、うーん」
翔太くんは塞がっていない方の手で僕の肩に触れて、僕をなだめようとしているのか軽くトントンと叩いた。
「でもっ、できないんでしょ」
「できる、できる!できますよ、余裕で出来ます。いや春馬さんがそれで大丈夫なのかなって」
「ぼくもできるもん、らいじょうぶ」
泣きたくなってきたせいで、舌がもつれてくる。
鼻の奥がツンと痛い。
「……じゃあ、しますよ?」
翔太くんが言った。
「うん、どうぞ」
僕は大きくと頷いた。
僕の肩に置かれていた翔太くんの手が、ゆっくり僕の頬へ触れる。
頬から翔太くんの体温が伝わってくる。
軽く顎を持ち上げられたかと思うと、唇に柔らかい感触がした。
「ん……」
軽く啄むような優しいキス。
翔太くんにぎこちなさは全く無くて、僕の様子を伺ってくれているみたいだ。
「しょ……うた……くん」
僕は余裕そうな翔太くんの唇を追いかけるように、軽く離してみたり、噛んでみたりする。
その度に翔太くんは僕の唇の動きに合わせて、じぶんのものも動かしてくれた。
「春馬さん」
お互いの唇が少し離れると、翔太くんが僕の名前を呼んだ。
「どう……ですか。嫌じゃないですか」
翔太くんが吐息がかった声で僕に問う。
「うん。ぜんぜんいやじゃない」
「そっか。それなら良かった……のかな」
そう言った翔太くんは、軽く笑顔を作り、僕の頬からそっと手を離した。
僕はどうやら恋愛感情を忘れたわけではないらしい。
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