第31話【赤い牙のアジトで】(アデル視点)

 森を抜けた先に広がる岩だらけの荒地。その一角に設けられた野営地が、盗賊団“赤い牙”のアジトだった。


「……盗賊団のアジトというより、隊商のキャラバンだな」


 ガルドたちと一緒に足を踏み入れたアデルが、思わずつぶやく。


 ここを訪れたいと話した時、リアナは「私たちも一緒に行きます」と言ったのだが、アデルはその申し出をやんわりと断った。

 アデルは“看破”の加護で“赤い牙”の面々に悪意がないことを確認していたが、それでもアジトには、かつての悪行の痕跡――“リアナやエリスには見せたくないもの”が残されているかもしれないと考えたからだ。


 けれど実際には、その気遣いは杞憂きゆうだった。

 そこには“盗賊団のアジト”と聞いて想像されるような、物々しさも陰惨さも贅沢さもなかった。あったのは、質素で実用性を優先したテントと装備ばかりだ。


「へっ、さらってきた女でも囲ってると思ったのかい? アデルの旦那」


 ガルドの言葉に、男たちが笑い声を上げる。

 冗談めいた口調の奥に、自嘲じちょうと皮肉が見え隠れする。それ自体が、彼らの過去を物語っていた。


 陽が落ちて簡単な夕食を済ませると、アデルはガルドと焚き火を挟んで向かい合った。


「俺たちは無法者には違いねえがな。悪事は働いても、下衆げすな真似だけはしねえってのが流儀なのよ」


 ガルドの言葉に、アデルも口元をわずかに緩める。


「そうか。……それと、アデルでいいと言ったはずだ。僕もガルドと呼び捨てにさせてもらう」


「オーケー、兄弟」


「ア・デ・ル・だ」


 軽口を交わす二人の間に、わずかながら信頼が芽生えつつあった。

 リアナには丁重に接するガルドも、アデルには肩肘張らない態度を見せる。その方が、話を進めるには都合がいい。


「時間が惜しい。さっそく今後について話し合おう。まずは何と言っても――」


「飯のタネ、だな」


 ガルドが打てば響くように反応する。焚き火の炎が、彼の横顔にくっきりと影を落としていた。


「百人を超える荒くれどもを食わせていくのは容易じゃねえ。これまでも盗賊行為だけじゃ足りず、ルドラ商会の助けでどうにか……ってのが実情だった。で、そのどっちの資金源も絶たれるとなりゃ、飢え死に一直線だ」


 アデルは頷き、こちらも炎を見つめて考え込む。少しの間そうしてから、アデルはガルドをまっすぐに見つめて問いかけた。


「話の腰を折るようで悪いが、確認しておきたい。ルドラ商会とはどういう関係なんだ?」


 ガルドは小枝で焚き火をつつきながら答える。


「まあ、持ちつ持たれつの相手ってとこだな。奪った積荷の中で、使い道のねえ貴金属なんかを捨て値で売り払う。その金で武具や食料や薬を相手の言い値で買う……その繰り返しだ」


 ぱち、と火が弾けた。


「たまに“裏の依頼”を受けることもある。だいたいギドラかガドラ経由だ。ルドラ本人は用心深くてな、俺たちみたいなのと直接関わろうとはしねえ」


「つまり……恩義はないということか」


「そういうこった」


 ガルドは肩をすくめる。アデルの方は、それを聞いて少し安心したように息を吐いた。


「ならば、僕に考えがある。若手を二十人から三十人ほど貸してほしい。僕の商売を手伝わせたいんだ。上手くいけば、君たち全員が食べていけるくらいの給金を払えると思う」


「本当かよ……にわかには信じがたいな」


 探るような目のガルドに向かって、アデルはわずかに身を乗り出し、声をひそめた。


「ここだけの話にしてほしいんだが――僕は“看破かんぱ”の加護を持っている」


 その言葉を聞いた瞬間、ガルドはすっと目を細めた。赤々とした炎が、険しい表情を一層際立たせる。


「鑑定系の……最上位か。なるほど、それが本当なら、さっきの話にも筋が通るな」


 そうつぶやいて、ガルドはしばし無言でアデルの顔を見つめてから、低い声でささやいた。


「だが……それなら、なぜもっと上を目指さねえんだ? そんな力を持ってりゃ、大国の大臣や宰相だって夢じゃねえだろ」


 それはただの疑問ではなかった。アデルという人間をはかろうとする、真剣な問いかけだった。


「僕の力は、リアナさんのために使うと決めている。地位にも権力にも興味はないな」


 アデルは即答した。その声に迷いは一切なかった。


「……俺たちと一緒かよ。罪なお方だね、聖女様はよ」


 冗談めかした口調とは裏腹に、ガルドの表情がわずかにかげる。

 その小さな変化を、見逃すアデルではない。


「僕からも一つ聞かせてほしい。なぜリアナさんに忠誠を誓った? お咎めなしで解放されたからか? 怪我を治してもらったからか? そんなことで盗賊をやめられるものなのか?」


 声は穏やかだが、言葉を次々と畳みかける。それ以上に、アデルの眼差しは真剣そのものだった。視線が鋭く射抜くようにガルドを捉えている。


「あ~……それ、答えなきゃ駄目か?」


 ガルドはもう一度肩をすくめ、上目遣いでチラリとアデルの方を見てから、焚き火の炎に目を向けた。


「“看破”の加護があるなら、俺たちが本気だってわかるだろ。それでよくねえか?」


 しかし、アデルは首を横に振った。


「僕は“看破”の加護を持っていると明かした。対等な関係を築くなら、等価の情報を返す義務があると思うが?」


 その態度には、はっきりとした一線があった。冷静な声音と、強い眼差し。信頼は開示の上に成り立つものだと、言葉以上にそう物語っている。


「……わかった、わかったよ」


 ガルドは小さく息を吐き、焚き火を見つめたまま言葉を続ける。


「別に隠すようなことでもねえんだがな……」


 しばし沈黙し、火の粉が舞うのを見つめながら、ガルドは重い口を開いた。


「……それには、“赤い牙”の成り立ちから話さねえと伝わらねえだろうな」


「ちょうどいい。それも聞きたいと思っていた」


 まるでずっと沈めておいたおりをすくい上げるような、重さと苦さを含んだガルドのつぶやき。アデルはそれを受け止めて、ゆっくりと頷く。


 少しの間、辺りに静寂が満ちた。

 聞こえるのは火が弾ける音と、夜風がテントの布を揺らすかすかな音だけ。

 やがてガルドの低い声が、夜の闇に響いた。


「……俺たち“赤い牙”の前身はな、辺境警備隊だったんだ」


 かすかに震える声は、過去の傷跡をなぞるようだった。


 魔物の大群が押し寄せる過酷な戦場。補給は絶たれ、仲間は減り続け、援軍は来ない。

 それでも彼らは懸命に前線を死守した。支援もなく、装備も尽き果て、それでも仲間の亡骸を乗り越え、剣を振るった。その先に救える命があると信じて。


「だが……その間に多くの村が滅んだ。人々の怒りは領主に向かった。そして……貴族どもはな、俺たちにすべての責任を押しつけやがったんだ」


 火の粉が舞う中、ガルドの声は重く哀しく響いた。


「“警備隊の怠慢で村が滅んだ”――そう決めつけて、生き残った俺たちを口封じに抹殺しようとした。だから俺たちは剣を取った。反逆者となって、生き延びたんだ」


 アデルは黙って耳を傾けていた。今は口を挟むべきではないと思った。


 ガルドは続ける。そのあと、滅びた村の生き残りや、街を追われた若者たちを仲間に引き入れ、今の“赤い牙”が形作られたのだと。

 彼らは国家に見捨てられ、“不要なもの”として追いやられた。その痛みを怒りに変えて生きてきたのだと。


「だから俺たちも国を捨てた。国の庇護を受けねえ以上、法を守る筋合いもねえ。盗賊として生きるしかなかったんだ……世界の全部が敵だと思ってたよ。けどな」


 そこで声の調子が変わる。少し明るく、そしてほんの少し照れを含んだように。


「そんな俺たちに……憎しみの目じゃなくて、愛情の目を向けて――泣いてくれたお嬢ちゃんがいたんだよ」


 聖女リアナ。自分たちのようなけがれ者を見て、本気の涙を流してくれた少女。その涙に、乾ききったはずの心が震えた。


「俺たちはずっと、“人間じゃねえ”って目で見られてきた。だけど、あのお嬢ちゃんだけは違った。……そりゃ、人生観だって変わるさ」


 ガルドは焚き火を見つめながら、ぽつりとつぶやく。


「なるほど……まあ、わかる」


 アデルは素直に頷いた。


「だろうよ。お前だって、そうなんだろ?」


「アデルだ。いい加減に名前で呼んでくれ」


「がははは……」


 夜空に響いた笑い声は、ほんのわずかに湿っていた。


 それから二人は、新たな組織の編成へと移った。

 ガルドが部下を一人ずつ呼び出し、アデルが“看破”で適性を見極め、配属を決めていく。

 こうして一夜のうちに、全員の力を最大限に引き出す布陣が整った。“赤い牙”の頃と比べても、新しい組織は数倍の力を発揮するに違いない。


 その新組織の名は、リアナが付けることになっている。

 明日にはリアナたちと合流し、“結成式”が行われる予定だ。

 その夜明けが、彼らにいかなる光をもたらすのか――まだ誰にもわからなかった。

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