第9話

 アパートに戻った彼と彼女は買った食品を冷蔵庫の中に入れ、順番に風呂に入った。

 風呂から出た彼女は敷き布団の上に座り、何かを見ていた。

「何を見ているんだ?」

 彼の問いに、彼女は答えた。

「求人誌。さっきスーパーに行った時、求人誌があったから」

 彼女は言いながら、熱心に求人誌を見ていた。

「此処から少し離れているけど、これくらいなら大丈夫。時間は要相談。年齢も問題ない」

 彼は彼女の側に寄り、一緒に求人誌を見た。

「どれ?」

「ここ」

 彼女は指を差し、彼は彼女が指を指した文字を目で追った。

「コンビニか。ここからそう遠くないな」

「明日にでも、電話してみようかな」

「バイトするのか?」

「何もしないわけには、いかないわ」

 彼は、彼女をじっとみつめた。

 それはまるで、彼女に「ありがとう」と言っているようだった。

 

 翌日彼女は、コンビニに電話をした。

 その日の内に面接をして、採用が決まった。

「バイトが決まって良かったな。いつから、バイトに行くんだ?」

「来週から。時間は、早朝から夕方までの勤務にしてもらった」

「休みは?」

「土日休み。でも、土曜日スッタフが足りなかったら、声がかかる時もあるって言われたわ」

「バイトとは言え、本格的だな。大丈夫か?」

「大丈夫!こう見えても、厨房で仕事をしていたから」

「厨房で?」

「ずっと立ちっぱなしで、大きなフライパンを振っていたんだから」

 その身体で、何処にそんな力があるんだよ。

 そんな思いで、彼は彼女をみつめていた。

 その思いを見透かしたように、彼女は言った。

「本当よ。中華料理店だったから、油にまみれて仕事をしていたわ」

「なんでまた、中華料理店。他にも、仕事があるだろ」

「そのお店の料理が美味しくて、お気に入りの中華料理店なの。学生のとき長期休みを利用して、そこのお店でバイトをしていたんだ。卒業後、そのままそのお店で仕事をしていたの」

 そう言った彼女は、チェストの小さな引き出しから封筒を出し、彼に手渡した。

「面接に行った後、銀行に行ってお金をおろした。本当は、もっと早く渡したかったんだけど」

 彼が封筒の中身を見ると、十万円のお金が入っていた。

「こんな金額じゃ、足りないのはわかってる。でも今の私には、これが精一杯」

 彼はだまったまま、お金を封筒に戻した。

「ありがとう」

 そう言うと、彼は封筒を彼女に押し付けた。

「気持ちは、嬉しい。でも、これは受け取れない」

「どうして」

「今までバイトをして、貯めたお金だろ。大事に使えよ」

 何も言えなくなった彼女に、彼は言った。

「俺に構わず、新しく行くバイトの準備をしろよ」

「うん」

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