第11話Bランク昇格試験

 渋谷探索者ギルドの受付カウンターの奥に設置されている大型モニターを、ルナ・マイヤーは注視していた。切れ長の美しい瞳が、その画面のデータに釘付けになっている。


 画面には、佐藤 通(トール)、探索者番号R-24458のリアルタイム潜入ログが、異常な、そして芸術的とすら言える速度で更新され続けている。


「今日の周回速度は、昨日のデータを上回っている。トールはまだまだ成長しているわね」


 ルナは、契約書と蒼薔薇からのフィードバックを基に、冷静な分析を口にする。彼女の背後では、ギルドの職員たちが、その異常なデータを前に息を殺している。彼女にとって、トールはもはや最重要の国家機密であり、個人的な探求の対象だった。


「この調子なら、いずれBランクアタックの準備が必要だわ」


 Bランクへの昇格は、Cランクまでのような自動的なものではない。一定の実績を積んだ上で、最終的に昇格試験を受けることが必須となる。それは、ギルドが正式に認める、上位探索者への登竜門だ。


 ルナは、静かにモニターを消し、その場にいた職員たちに、静かな圧力をかけた。


「彼のデータは最高機密よ。誰にも漏らさないで」


 そして、彼女は今晩、再び最愛のエネルギー供給者を個室に招き入れる準備を整える。


 深夜。ルナは、昨日と同じ小さな会議室で、疲労と達成感に満ちた俺を待っていた。俺の視線が彼女の制服の完璧なラインに引きつけられるのを、彼女は気づいている。


「お姉さん、今夜はどんな『配慮』がありますか?」


 俺は、一見冷静に問いかけたが、その声には、一晩中彼女の監視下で戦い続けた疲労と、今夜のルナの目的への期待が混ざっていた。


 ルナは、テーブルに肘をつき、両手を組み、その魅惑的な胸元を俺の方へわずかに突き出す姿勢をとった。その仕草は、言葉よりも雄弁な圧力を放っていた。


「フフッ。トール君は、本当に正直で可愛いわね」


 彼女の切れ長の瞳が、俺の新しいバトルスーツの漆黒に映り込む。


「特別契約で、トール君の魔石買取価格は最高水準。しかし、あなたはBランクへ行くべきよ。そうすれば、私の権限で、特別契約の内容を一段階上に引き上げられる」


 ルナは、白い指先で、テーブルの表面をゆっくりと叩いた。そのリズムは、俺の鼓動と同期しようとしているかのように、優雅だ。


「Bランクアップは、通常、煩雑な手続きと試験を必要とする。でもね、わたしという財宝を頼れば、それは簡単になる」


 彼女は、身を乗り出し、距離をゼロに近づけた。その上品な香水の匂いが、俺の理性の防壁を溶かしていく。


「わたしの権限で、特別契約に基づいてBランクエリア侵攻許可を出すことができるわ。Bランクの試験内容も、Bランクの攻略情報も、すべて事前に二人きりで共有できる」


 彼女の視線は、もはや契約書を求めていない。求めているのは、俺の全てだ。


「そうよ、わたしはあなたに『秘密のチートコード』を教えてあげられる。ただ、その代償としてね……」


 ルナは、俺の顎に触れるか触れないかの距離で、微かな熱を帯びた吐息をこぼした。


「その情報をわたしと共有する時間が必要になる。他の誰にも知られない、私たちだけの秘密の共有。トール君がBランクの壁を突破するまで、毎晩わたしに情報を渡しに来る。ねぇ、その契約も追加してもいいでしょう?」


 彼女の言葉は、昇格試験という名の二人だけの夜会への招待状だった。その瞳の奥には、俺の肉体とデータ、そして未来のコロニーさえも支配しようという、大人の女性の深い欲望が燃え盛っていた。俺の目の前にいるのは、ギルドの職員ではなく、俺だけの、支配的な氷の女王だった。


 俺は、ルナが差し出した『特別契約書』という名のBランク昇格の誘惑を前に、ぐっと奥歯を噛み締めた。彼女の情熱的な視線と、大人としての支配力は、俺の坊やの体を限界まで揺さぶる。しかし、俺の頭の中は宇宙で満たされていた。


「Bランクも魅力的だが、今は高位の魔石が必要なんだ」


 俺は、自分の揺れる下半身の衝動を押し殺し、冷徹な探索者としての素直な要望を伝えた。俺の目的は、コロニー計画を加速させるための、さらなる高純度のエネルギー源、つまり、紫色の魔石だった。


 俺の予期せぬ「昇格よりも資源」という返答に、ルナの切れ長の瞳は、一瞬だけ驚きと戸惑いを示した。しかし、彼女はすぐに女王の余裕を取り戻す。


 ルナは、俺のその純粋すぎるほどの欲求が、「彼女の想像を超えた壮大な計画」に裏打ちされていることを瞬時に察したのだろう。彼女は、静かに笑みを深め、テーブルを挟んだまま、再び俺の顔へと身を乗り出してきた。


「わかったわ。あなたは紫の魔石が必要なのね。何故かは聞かないわ。わたしに任せて」


 彼女の声は、支配者というよりも、むしろ「頼れる保護者」のような、甘く、包み込むような響きを持っていた。


 ルナは、白い手の甲をテーブルに置き、その指先をゆっくりと、しかし執拗に、俺の方へ滑らせてくる。彼女の指先が、『特別契約書』をまだ握っている俺の手の甲に触れた。


「トール君。あなたは、自分の欲望に本当に正直なのね。その貪欲さ、わたしは嫌いじゃないわ。むしろ、とてもそそられる」


 彼女の瞳は、「なぜ紫の魔石が必要なのか」という疑問を通り越し、「この少年の深層にある、未知の欲望そのもの」を覗き込もうとしている。その眼差しは、肉体を剥き出しにされるよりも、遥かに恥ずかしく、エロティックな感覚を俺に与えた。


「わたしに、あなたの大きな夢を叶える手伝いをさせて。あなたはただ、わたしの指示に従って、ダンジョンに潜っていればいいのよ。紫の魔石の調達も、Bランク試験の調整も、すべてわたしという財宝が担うわ」


 ルナは、さらに身を乗り出し、その豊満な胸元が、テーブルのエッジに押し付けられる。俺の視線が、一瞬、その張り詰めた制服の生地に釘付けになったのを、彼女は見逃さない。


「その代わり……あなたも、わたしの期待に応えてね。毎晩、わたしの秘密の部屋で秘密の共有をすること。そして……わたしを裏切らないこと」


 ルナは、俺の手の甲に置いた自分の指先にわずかに力を込めた。その接触は、契約の最後の刻印であり、支配の甘い誓約だった。


 俺は、年上の女性が自分の話を真剣に聞いてくれるという安心感と、その安心感の裏に隠された、熱烈な欲望に、理性を保つのに必死だった。


 俺の体は、紫の魔石への欲望と、ルナの美しい誘惑という、二つの強力な魔力によって、今夜も極限まで加熱していた。ルナの瞳には、「すべてを支配できる」という女王の確信が燃えている。


(だが、俺を支配しようとするのは、まだ早いのではないか? この甘さに溺れたら、俺の宇宙は、この渋谷の個室で終わってしまう)


 俺は、ルナの大人の安心感にどっぷりとつかりかけた坊やの感情を、冷たい宇宙の真空を思い浮かべることで、強引に押しとどめた。


「方法は、ルナ姐さんに任せるよ」


 俺は、ルナの指が触れている俺の手の甲から、熱いペンを静かに引き抜き、テーブルに置いた。その行為は、「私はまだあなたの支配下に入らない」という、明確な意思表示だった。


「俺は、青紫色の極大魔石が必要なんだ」


 俺は、要求を具体化し、そのグレードを一気に跳ね上げた。


 ルナの切れ長の瞳は、再び、そして今度は致命的な驚きと戸惑いを示した。彼女の口元に張り付いていた女王の笑みが、一瞬で凍りつく。


(青紫色の極大魔石……渋谷上級ダンジョン30階層。攻略最先端の階層じゃない)


 ルナの頭脳は、その魔石が持つ戦略的な価値と、ソロCランクでは絶対に到達不可能な難易度を瞬時に計算した。それは、彼女の「何でも叶えられる」という言葉への、トールからの最大の挑戦状だった。


「いくらトール君でも、ソロでは……」


 彼女の声は、優雅さを失い、戸惑いと不安で微かに震えていた。その一瞬の動揺が、俺に権力の優位性を悟らせた。


 俺は、身を乗り出す。その距離は、先ほどルナが誘惑のサインとして詰めてきた、ぎりぎりのラインだ。俺の顔は、ルナの顔に異常なほど近づいた。


「無理なのかい?」


 俺は、滾る下半身の衝動を、全て瞳の熱へと変換し、ルナの凍りついた瞳を、真正面から、ぐっと覗き込んだ。その視線は、「俺が望むものを、本当に与えることができるのか」という、支配者への問いかけだった。


 ルナは、俺の眼差しと、急接近した距離、そして拒絶から一転して挑発してきた俺の熱に、全身を硬直させた。彼女の上品な香水の匂いすら、俺の荒い息の熱で上書きされそうになる。


「えぇ、そうね……」


 ルナは、俺の視線から逃れるように視線を下に落とし、がっかりと肩を落とした。その「負け」を認める仕草は、大人としての屈辱と、トールという存在の異常な魅力の両方を含んでいた。


「少し、時間を頂戴。必ず、あなたのためにその魔石を調達する方法を見つけるわ」


 ルナは、静かな敗北を受け入れた。しかし、その瞳の奥には、「必ずこの少年を手に入れる」という、さらなる深い欲望が燃え上がっているのも、俺は感じていた。


 俺の体は、紫の魔石という野望と、権力を逆転させたことによる興奮、そしてルナの敗北と欲望が混ざり合った視線によって、今夜最高の高揚を迎えていた。


 俺は、ルナの動揺した瞳と、敗北と欲望が混ざり合った視線を前に、立ち上がった。俺の体内の魔力回路は、紫の極大魔石への渇望と、ルナの大人の女性の誘惑という、二つの極限の熱に焼かれている。


「その方法を楽しみにしています」


 俺は、ルナの瞳から視線を逸らさず、優位性を確立した探求者として、最後の言葉を告げた。その声には、微塵の迷いも甘えも含まれていない。


 ルナは、再び拒絶されたこと、そして難易度の高い要求を突きつけられたことによる、微かな苛立ちが浮かんだ。彼女の唇が、「どういうつもりなの?」あるいは「もう少し居なさい」という言葉を言おうと開かれたが、俺の冷徹な決意を前に、言葉は出てこなかった。


 俺は、彼女の優雅な誘惑を冷たい宇宙の真空で上書きし、下半身の滾りを必死に抑えつけながら、彼女に背を向けた。


 俺の背中に、ルナの熱い視線が突き刺さる。彼女の吐息の温度から離れるたびに、俺の心は理性を取り戻していく。


「おやすみなさい。また明日」


 俺は、彼女の質問に答える余裕もなく、支配をすり抜ける言葉を吐き出すのが精いっぱいだった。その場でルナの吐息の温度から離れると、一目散に個室を後にした。


 ギルドのロビーを抜けて、渋谷の夜へと紛れていく。夜風が、俺の赤く熱くなった頬を冷やしていく。


(危なかった……青紫色の魔石で、ルナ・マイヤーという財宝の支配から、紙一重で逃げ切った)


 ルナの「何でも叶えてあげる」という言葉は、俺のコロニー計画を加速させる最高の燃料であると同時に、俺の自由と精神を蝕む甘い毒だ。


 俺は、ルナの熱い誘惑を、タッチの差でかわすことができた。だが、この攻防は、深層ダンジョンの戦闘よりも遥かに消耗が激しい。


 俺の体には、極大魔石への野望と、ルナの肌の温度を求めた生の衝動だけが残っていた。


 最強のソロ探索者の戦いは、今夜もまた、肉体の限界と精神の渇望の間で、静かに繰り返されるのだった。


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