第9話コロニー計画

「よぉし、イシュラーナ。次は、今後の段取りの打ち合わせだ」


「御屋形さま、まずはあのギルド職員への対処です。飴玉ひとつで、心拍数180、魔力回路の乱れ、最大値では、相手に『興味深い実験体』と認識されています」


 イシュラーナの声には、わずかに呆れのニュアンスが含まれているように聞こえた。


「むむっ、それはまだこの『坊や』の精神に足を引っ張られているからだ。いや、もう大丈夫だ。俺は完全復活した。明日からは攻守交替だ」


 俺は、ベッドの上で両手を広げ、全身の活力をアピールした。もちろん、心臓はまだ少し速い。


「そうですね、彼女は渋谷探索者ギルドの上級職員と推定されます。彼女との接し方は、渋谷探索者ギルド、しいては中央探索者ギルドとの接し方と同じとなります。今後の『コロニー計画』を円滑に進めるためにも、慎重に行動する必要があります」


 俺は、わかったと大きく頷いた。


「では、緊急タスクをリスト化します」


 宇宙への第一歩:戦略的錬金術

 1. バトルスーツの錬金:スタイリッシュな防衛線

「よぉし、わかった。まずは俺のバトルスーツの新調だ。錬金するぞ」


 俺は、《インベントリ》から、大量のグレート・ミノタウロスの魔石と、アークデーモンの焦げた皮膜を取り出した。


「御屋形さま、ミノタウロスの魔石とアークデーモンの皮膜を複合することで、『自動修復』と『熱耐性』を持つ、最高効率のスーツを錬金可能です。カラーリングは……ツヤ消し黒、メタリックブルーのラインで、よろしいですね?」


「おぉ! ツヤ消し黒、メタリックブルー! それだ! 俺の憧れの『汎用型戦闘服』スタイル!」


 俺は、すぐに錬金術を発動した。ドロリと液体になった魔導素材が、俺の身体に張り付き、漆黒の流線型を形成していく。それは、昨日までの中古のぼろ雑巾とは一線を画す、高性能な芸術品だった。


 2. 拠点の確保と筐体強化

「その次は引っ越しかな? このアパートでは、コロニー計画の指揮は不可能だ」


「その通りです。タスクリストの最優先事項、イシュラーナ筐体の強化と接地場所の確保に移ります」


 イシュラーナは、さらに具体的な提案をしてきた。


「まず、御屋形さまの全財産(現在約390万G)を投じて、渋谷ダンジョンに最も近く、『地下室』あるいは『防音性に優れた倉庫』を併設した物件を購入します。そこに、グレート・ミノタウロスの魔石を用いて錬成した巨大な導魔水晶を設置し、イシュラーナの主演算コアを組み込みます」


「つまり、最強の隠れ家と、イシュラーナの『要塞』を同時に錬成するわけか。了解だ。不動産情報検索タスクをゴーレムに任せよう。ただ、活動資金はもう少し調達しようではないか。春休みはまだあるし、390万Gでは心もとない。あと一週間時間をくれ」


 俺は、ミニチュアの作業ゴーレム10体に、『不動産屋のウェブサイトをクロールし、地下室付きの物件を探す』というタスクをインプットした。最強の戦闘用ゴーレムが、今、不動産エージェントとして活動を開始する。


 俺は、新調したばかりのツヤ消し黒のバトルスーツに身を包み、静かに窓の外の夜の渋谷を見下ろした。


 明日、ギルドのお姉さまとの攻守交替の初陣、そしてコロニー計画の実行が始まる。俺の瞳には、夜の渋谷のネオンではなく、遥か彼方の宇宙空間に建設される巨大な円筒コロニーの姿が映っていた。


 3月25日(火)


 早朝の渋谷探索者ギルドの扉をくぐる。昨日までの夜の喧騒は嘘のように静まり返っていた。探索者の姿は、まったく見当たらない。この静寂が、コロニー計画への挑戦を控えた俺の精神を研ぎ澄ませる。


 新品のツヤ消し黒のバトルスーツは、軽やかに俺の体にフィットしていた。そのメタリックブルーのラインは、この暗いギルドのロビーで、わずかに光を反射している。


 俺は、昨日と同じ眠そうなアルバイト風の職員にIDプレートを差し出した。


「佐藤トール様、Cランク。本日も、十階層から最深層階層の周回で……えっ? 最深層?でよろしいですか?」


 職員は、表示された俺のデータに驚き、目をこすった。


「頼む」


 俺は、最速の周回と最大の効率だけを求め、冷静に答える。


「あっ、少々お待ちください」


 職員は、カウンターの下から何か取り出すと、俺に差し出してきた。


「ルナ・マイヤーからの手紙を預かっております」


「ルナ・マイヤーさん?」


 俺は、一瞬、自分の耳を疑った。誰?


「はい、この渋谷探索者ギルドの上級職員です。昨夜受付で、お話なさったとのことです」


「わかった、ありがとう」


 俺は、手紙を受け取ると、既に慣れた渋谷代々木ダンジョン入り口へと向かった。


 転移魔方陣の前で、俺はゆっくりと手紙を開いた。


 薄い上質な紙に、流れるような優雅な筆跡が認められている。彼女のクールな外見からは想像もつかない、繊細でロマンティックな字体だった。


 手紙の中には、『ギルド専属・魔石買取特別契約』の分厚い説明書と、マイヤーさんの個人的なメモが添えられていた。


「トールさんのために、特別契約を準備いたしました。つきましては、その契約についてご説明させていただきたく、今晩ギルド買取カウンターにお越しの際には、ルナ・マイヤーをお呼び出し願います」


「ルナ・マイヤーをお呼び出し願います」


 まるで、社交界の貴婦人が、一人の青年に夜会の招待状を送ったかのような言い回しだ。


 俺は、手紙を読み終え、その上質な紙を静かに握りしめた。


(なんか透けてみえる指示書だなあ)


 俺の理性的な部分、イシュラーナに支配された戦闘機械としての側面は、即座に分析を始めた。


「御屋形さま、これは優遇処置です。高ランクの探索者を引き留めるためのギルドの戦略的行動。ただし、飴玉と同様に、個人的な興味も含まれていると推測されます。彼女は御屋形さまの戦闘能力をギルドに報告しようとしている可能性が高い」


 イシュラーナの冷静な声が、俺の脳内に響く。だが、俺の心は、その冷徹な分析とは全く別の場所に囚われていた。


 俺の頬には、昨夜の冷たい唇の感触が、未だに残っているかのように感じられた。彼女の視線、あの「生きていてくれて助かるわ」という甘い囁き。そして、この手書きの招待状。


(手玉に取られている? それはそうだろう。だが……)


 俺は、手紙から顔を上げ、転移魔方陣の光を見つめた。その輝きの奥に、ツヤ消し黒の戦闘服に身を包んだ、あの切れ長の目のお姉さまの姿が重なる。


 宇宙への野望も、コロニー計画も、すべては俺の人生における最優先タスクだ。だが、そのタスク遂行の裏側で、ルナ・マイヤーという存在は、俺の疲弊した精神に、一輪の美しい花を咲かせた。


「ふっ……今晩か」


 俺は、スタッフを握りしめた。そのスタッフの内部には、コロニー計画という巨大な野望が眠っている。


 そして、俺の心には、ルナ・マイヤーという、予測不能で、甘美な謎が深く突き刺さっていた。


 最強のソロ探索者の戦いは、深層のミノタウロスだけでなく、夜のギルドカウンターでも繰り広げられることになりそうだ。


 俺は、今日の周回目標に、密かに「今夜、ルナ・マイヤーとの駆け引きに負けないための余裕と自信の確保」という、ロマンティックなサブ目標を追加したのだった。


 渋谷探索者ギルドの受付カウンターの奥に設置されている大型モニターに、ギルド関係者がくぎ付けになっていた。夜間業務の中堅職員たちが集まるその画面には、一人の探索者のリアルタイムの潜入ログが、異常な速度で更新され続けている。


「……また、クリアした。ミノタウロス(グレート)の討伐スタンプが、これで本日15個目だぞ」


「こいつ、いったい今日何周目なんだ? Cランクのソロが、ボス階層を平均一時間で……? 画像から判断できる運動量も少なすぎる。データがバグってるんじゃないのか?」


 フロアチーフが、顔色を変えてデスクを叩いた。


「データは正確だ。最新の識別コードを確認しろ。直ちに、佐藤 通(トール)、探索者番号R-24458の情報を収集、分析しろ。直ぐだ。この周回速度は、渋谷ダンジョンの歴史上、トップAランカーの全盛期に匹敵する。この探索者はいったい何者だ」


 ギルドの裏側は、目の前の少年が生み出す異常なデータによって、静かなパニックに陥っていた。彼らは、その少年が、昨夜マイヤーと甘い接触を持った「初心者イケメン君」であることなど、知る由もなかった。


 俺は、今日も早朝から、十階層からボス階層までの周回を繰り返していた。転移ゲートをくぐるたびに、新鮮な緊張感が体を包むが、その感情はすぐにイシュラーナによって数値化され、行動プログラムへと変換される。


 わずかな休憩。ミノタウロスを屠った直後の広間で、俺は足を止めた。


 スマホの画面には、俺の生命活動データ、魔力残量、そして次に取るべき行動が瞬時に表示される。


「御屋形さま、体力回復ポーションを10cc。魔力回復ポーションを8cc。過剰摂取は避けてください」


 イシュラーナの声は、もはや俺の脳内に直接響く指令だ。俺は、言われた通りの量をインベントリから取り出し、一気に飲み干す。その間、俺の瞳は、漆黒のスタッフの銀リングの磨耗具合を確認し、自作のバトルスーツの自動修復機能が正常に作動しているかを目視でチェックする。


 休憩時間はわずか90秒。


「装備、黒スタッフの調子、問題なし。イシュラーナ、次の周回の最短ルートとボス戦のギミック解除タイミングを再確認しろ」


「了解しました。次周のクリアタイム目標は、前回比0.1秒短縮です。十一階層ミノタウロスの斧の振幅速度に、わずかな疲労の兆候を検知しました。そのタイミングを利用し、攻撃を0.3秒早めます」


 俺は、その冷徹な指示に、静かに頷いた。俺の肉体は疲労している。だが、イシュラーナは疲労しない。彼女が弾き出す究極の効率こそが、俺の「生存と稼働」を保証する唯一の支柱だった。


 俺の体は、チート能力と異世界の知識、そしてイシュラーナという名のスーパーコンピューターによって制御される、殲滅のための道具と化していた。そこに、昨夜の甘い思い出が入り込む余地はなかった。


 転移ゲートが、青白い光を放つ。


 早朝6時から始まったこの作業は、今、窓のないダンジョンの奥で、22時を迎えていた。実に16時間の稼働。


 俺は、新たなミノタウロスが待ち受ける広間へと足を踏み入れた。


「素晴らしい」


 それは、グレート・ミノタウロスを屠る行為に対してではない。人間という筐体が、16時間にもわたり、この極限の効率を維持し続けた、その事実に対しての、冷徹な自己評価だった。


 渋谷探索者ギルドに入るとすぐに、俺はルナ・マイヤーに別室の個室へと案内された。そこは、小さな会議室のようで、テーブルの上には筆記用具が用意してある。室内の空気は、ギルドのロビーの喧騒から切り離され、彼女の上品な香水の微かな匂いで満たされていた。


 向かい合うルナは、昨日までの「氷の女王」ではなく、自信と愉悦に満ちた表情を浮かべている。この世界では、ダンジョンから回収される『魔石』が、かつて輸入に頼っていた石炭や原油、ウランに取って代わる最重要エネルギー源だ。つまり、グレート・ミノタウロスを周回して赤の魔石を量産する俺は、もはや国家機密レベルの最重要人物なのだ。


 俺は、ツヤ消し黒のバトルスーツの袖口を直し、鷹揚に切り出した。


「お姉さん、『ギルド専属・魔石買取特別契約』へのお誘いありがとうございます」


 ルナは、その切れ長の瞳を細め、魅惑的な笑みを浮かべた。その笑顔は、この小さな部屋の照明よりも眩しく感じられる。


「あら? エネルギー供給者へのVIP待遇よ。一国のインフラを支えるトール君には、それなりに応えなくてはね」


 彼女は、テーブルに肘を置き、指先で顎を優雅に支えた。その仕草一つが、俺の疲弊した精神を高周波で振動させる。


「でも、それだけじゃないわ。トール君のダンジョンへの取り組み方を見ればわかる。最短距離で壁を突破し、既にCランク。あなたは、単に魔石を売るだけじゃ満足しないでしょう?」


 ルナは、身を乗り出し、わずかに声を潜めた。その瞬間、彼女の吐息の熱が、俺の耳元に届きそうなほど、二人の距離は縮まった。


「将来もっと自分を引っ張ってくれるところ、自分をもっと成長させてくれるところをお望みなんじゃなくって?」


 俺は、彼女の誘うような視線から目を逸らすことなく、鷹揚にうなずいた。俺が本当に望んでいるのは、コロニー計画を加速させるための、莫大な資源と情報だ。


「既に、渋谷代々木ダンジョンでは、最下層到達だ。これ以上の魔石ドロップが望めそうにない。だからと言って、このダンジョンの周回だけでは、効率的ではない」


 ルナの瞳に、征服者のような光が宿った。


「そこで、『ギルド専属・魔石買取特別契約』よ。ダンジョンは日本中、世界中にあるわ。そのダンジョンの深層情報を、わたしは、あなたに教えてあげられる。他の誰にも渡していない、極秘の情報をね」


 彼女の言葉は、まるで毒を持った蜜のように甘く、そして、権力と秘密の匂いがした。


 ルナは、テーブルに置いてあった筆記用具の中から、一本の高級なペンを取り上げた。彼女の白く滑らかな指先が、ペンの金属部分を愛撫するようにゆっくりと滑る。


「ねっ、わかるわよね。これは、あなたを最高の高みへと連れて行くための招待状。それを受け入れるか、拒否するかは、トール君、あなた次第よ」


 そう言って、彼女は白い指ごと、そのペンを俺の前に差し出した。その手の甲が、俺の指先にかすかに触れる。その接触は、一瞬の電流のように、俺の体内の魔力回路を乱した。


 俺は、ルナの瞳の奥を見た。そこに見えるのは、ギルドの巨大な権力構造か、それとも俺への個人的な欲望か――いや、その両方だ。彼女は、国家のエネルギー戦略という名目で、俺の心というダンジョンの最深部を探ろうとしている。


(ルナ・マイヤー。お前が俺を操ろうというのなら、俺はその支配に乗ってやる。その先に、エルファリアとの通信衛星とコロニーの建設材料があるのならな)


 俺は、彼女の指先から、そのペンをゆっくりと抜き取った。


「その契約、喜んで受け入れさせてもらうよ、ルナさん」


 俺の答えに、ルナの瞳は悦びの光を放ち、その唇は、さらなる甘い笑みを形作った。今、この小さな部屋で、一人の少年と、一人の女王との間で、世界と宇宙の未来を賭けた極秘の契約が結ばれたのだ。


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