■虚空アイドル【掌編小説】

■虚空アイドル

 著者:ぷてらの丼

 キャッチコピー:■虚空に歌い、虚空に舞う――私は、私だけのためにアイドルになる



 中古のバンを二時間あまりも揺らして、私は山の中のレンタルステージに行き着いた■


 先に寄った駅前の事務所で支払いは済んでいた■ここにはもう、私以外に誰ひとりいない■それで良かった■

 建設工事用の盛土もりどに使うための砂を採っていた会社が廃業して、残されたこのスペースを別の会社がレンタルステージとして運営しているらしい■だからここは、山の中の木々を刈り、人工的に切り拓いて、無理矢理作られたちょっとした平地という感じ■

 砂っぽい薄い茶色だけで満ちた、殺風景なロケーション■イベントを開こうにも、アクセスも悪いし、この風景では盛り上がりにくいだろう■そんなわけで、レンタル料金が相場より随分安くて、私の月給でも借りられたのである■


 申し訳程度にしつらえられた、アルミ製の簡単なステージ■ところどころが錆びていて、汚れも目立つ■何だかステージというより作業用の足場みたいだ(というか、実際そうだったらしい)■くたびれた雰囲気に、私はむしろ愛着みたいな気持ちを感じている■あなたはそれで良いの■私がこれで良いみたいに■


 あいにくの曇り空だけど、雨が降っていないだけ喜ぶべきかな、と私は思う■秋の午後の空気はしっとりとしていて、知らないお茶を薄く煎じたみたいな匂いがした■


 バンから機材を取り出す■

 12万円もしたアンプ内蔵のスピーカー、ヘッドセットマイク、それに6基のスポットライト■

 スポットライトは絶対に必要だ■私はここに、照らされるために来たのだから■

 

 車からステージまで何往復かして、ステージ上に機材をセッティングすることができた■

 なかなかに良い汗をかいた■ちょうど良いとばかりに、私はステージ衣装に着替えることにする■

 周りに誰もいないので、来ていたパーカーとジーンズをその場で脱いでしまう■ああ、気持ちが良い■解放された気分だ■

 そして着替えるのは、ビビッドな赤と青の組み合わせのワンピース■ネット通販で買った安物だけど、これが私の大切な一張羅なのだ■膝上丈の短いスカート部分にはフリルが付いていて、私が踊る動きに合わせて可愛く揺れてくれるだろう■


 三十路過ぎの独身女がこんな衣装を着て歌って踊るなんて恥ずかしくないのか――なんて、誰にも言われることはない■だってここには私しかいないのだから■もちろん私自身だって恥だとは思わない■私は私だけのために今日アイドルになる■ただ、それだけ■


 アイドルなんて、くだらない――お母さんにいつもそう言われていたっけ■

 ええ、そうよ■今だったら簡単にそう答えることができるだろう■

 進学や、就職や、結婚だってくだらない■それと同じようにね■


 スマホから電波を飛ばして、スピーカーと同期させる■

 流すのは、14年前に流行った、アイドルグループ「Parallel Twilight Sisters」のヒット曲「ガラスの城のエントロピー」■私の大好きな曲■

 

 マイクのスイッチをONにする■

 ステージの準備は整った■

 私が息を吸う音をマイクが拾って、機械的に拡大されたそれが返ってくる■意味なんて持ちようのないノイズ■世界に入った最初のひび

 他に誰もいないこの場所で、私だけのステージが始まる■



 シンセサイザーによるアルペジオのフレーズが空気を裂いて■竜巻みたいに激しいバンドサウンドがそれを追う■

 スピーカーの音量はMAXだ■大音響が空気を、そして私のからだを震わせているのがわかる■


 ここに至るまでの全てを込めるかのように――それとも、ここに至るまでの全てを忘れるかのように、私は肺から息を絞り出し、力の限りに歌い出した■



 ガラスの城の舞踏場ダンスホール

 月の光に照らされて

 ガラスの紳士淑女たちが

 手と手をとって踊ります



 世界の全てを愛するみたいにステージの前に出て、愛の全てを謳歌するみたいに右手を前に出す■

 歌が、踊りが、アイドルとしての振る舞いが私を縛っている何かから解き放ってくれる■



 ガラスの城のお姫様

 誰もがあなたにひざまず

 ガラスでできたその瞳を

 見つめる者はおりません



 私はガラスの城の姫君に自分を重ね合わせている■

 滑稽だ■

 醜悪だ■

 でも良いの、美しさなんて求めてはいないから■

 滑稽さは私の望むところだから■

 私を縛っている何か?

 何が私を縛っている?

 何が私を定義している?


 存在しない観客席に向かって、考えてもいない問いかけを私は飛ばす■

 そこに誰もいないということが、私にとっての絶望であり救いなの■

 観客席に誰かがいるということは、きっと哀しいことだから■



 ああ、月明かりは熱を帯びて

 一夜の栄えを溶かしていく

 ああ、星明りが瞬いて

 時の無情をはかなんで



 歌は痛切に、天地の全てに染みるように■

 踊りは華やかに、躰の中心から手足の指先までが、世界の全てに触れながら孤絶するように■


 今、この瞬間、私は私だけのアイドル■

 私は私だけのために歌って、私だけのために踊って、全ての音は虚空に共鳴していくの■

 未来なんてものはどこにもなくて、この瞬間のためだけの時間がここには流れている■

 電子音の束が伝えたい音像は結局のところ静寂で、私が叫び出したいこの思いは、つまるところ言葉にした瞬間に消えてしまうようなもので■



 ガラスの城は溶けていく

 ガラスの城は溶けていく

 白馬の王子は今日も現れなかった

 ガラスの城は朝日とともに消えていく



 ひりつくように喉が痛む■

 全身の骨が軋んで喜びの悲鳴を上げている■

 私を定義するものによって私は拘束され、私を定義するものを私が定義することによって私はそこから解き放たれる■

 そんな虚像を見る■

 それは喩えるなら、ガラスの城の鏡に映った私の瞳の中で揺れる炎で■



 朝が来る

 白い眩しい朝が来る

 そこにガラスの城はない

 ガラスの城は溶けてしまった

 ガラスの城は朝に追われた

 ラララ……

 ラララ……

 


 ラララ■

 ラララ■


 私もまた、この世界に溶けてゆく■

 私の歌声が虚空に響いて消える■

 私の躰が虚空を舞って散る■

 虚空から、何も返ってこないという最高のエールが返ってくる■

 私は、私で■

 何者でもない私は、何者でもないという、確かな私になる■

 そうして私はここで、虚空を彩る光に照らされている■


 ラララ……■

 ラララ……■

 (了)

 

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