第9話

 12月の午後3時は、既に夕暮れの準備を始めるかのように太陽が傾いてゆく。

 柳井組直轄の賭場は平日にも関わらず十数人の客で賑わい、広い部屋の真ん中の白い布を張った畳2畳を縦に並べた盆の周りは出方の威勢のいい声が響いていた。

「組長直々にいらっしゃるとは。先に言ってくださればもっとおもてなしの仕様もあったものを」

 袴姿の貸元の黒田が、品のいいスーツを身に纏った男の前に丸く膨らんだ形の湯呑みをおく。

「この湯呑みで飲む酒が好きなんだ」

 取り上げた湯呑みの中身を一気に空けて、黒狼会の本家柳井組二代目柳井健二は障子を開け放った隣の盆を眺めた。

「もっといい酒も用意できましたのに」

「十分美味しい酒だよ。遊びたくて俺が勝手に来たんだから、そう気にしないでくれ」

 再び注がれた湯呑みを持ち。今度は少しずつ口に運ぶ。

「相変わらず盛況だな、この盆は」

 出方の声の一瞬後に、様々な思惑の入り混じったため息が漏れる。

「おかげさまで、声をかけさせていただく皆さんがよく来てくださって、素人さんもチラホラと」

「入りました。張ってください」

 その声に出方の方へ目をやった柳井は、その隣の胴師を確認して目を見張った。

「驚いたな、胴を引いてるのは長谷部か…」

 黒田も一緒に目を向けて、微笑む。

「あいつも昔は手がつけられませんでしたけどね。神戸の北村さんに預けられて、どうにか手本引きの胴師を務められるようになったようですよ」

「元々その才があったんだろうな」

 柳井がそう言うと、黒田は我が子を褒められたように嬉しそうに益々微笑んだ。

「じゃあ、ちょっと遊ばせてもら…」

 柳井が立ちあがろうとしたとき、外からの扉が乱暴に開き若い男が駆け込んできた。

「なんだ騒々しい、組長がいらしてるんだぞ」

 黒田は叱咤したが、その男はーすんませんーと頭はさげはしたがすぐに黒田の耳元で何かを告げる。

「なに?」

 黒田が信じられないと言ったような目でその男を見、男は頷くのみ。

「どうした?」

「2代目、今日の所は出直していただいた方が…」

 駆け込んできた男がーこちらへーと裏に通じる扉を案内し、黒田は柳井のお付きの山形に柳井を警護するよう伝える。

「手入れですか」

 柳井の肩に手を置き、裏口に向かわせようとしながらそう尋ねる山形に

「ならいいんですけどね…」

 と不穏な言葉を言って、黒田は入り口へ向かった。

 その入り口の扉を開けた瞬間、男が目の前に立っていた。

 黒狼会の賭場はビルの地下にあり、ビルの入り口を入るとエレベーターが有りその左に下り階段がある。

 この雑居ビル自体が黒狼会の本拠地なので、事務所はエレベーターであがった3階にあった。

 2階は組の若い者が詰める場所となっており、3階から上の階は系列の組が貸金業等に使っている。

 階段を降りるとその地下室へ通じる扉が有り、その扉の前で見張りとして立っていた者が、先ほど黒田に知らせに来たのだ。

 入り口を開けると狭い空間。そこでボディチェックをされ中へ入れるのだが、佐伯たちはそのボディチェックの場所へ通されていた。

 裏口に出る間も無く現れた男を柳井も確認すると、山形の手を解いて男の方へ向き直る。

「ご招待はさせていただいていないと思いますが」

 黒田が落ち着いた声でそう言うと、

「無作法は承知でお邪魔させていただきました」

 と佐伯が、その場で頭を下げた。少々お邪魔いたします、と続けて中へと歩を進めると周りの若い者数人が、

「なんじゃわれ!]

「はいりこんでくんなや!」

 と口々に怒鳴りながら、佐伯の後に続く姫木や友哉を押し戻そうと動き出した。

 それを止めたのは柳井だった。

「まず入れてやれ。敵意がないのは見て取れるだろう」

 組長の言葉では従わない訳にもいかず、男達はキツイ形相で引き下がる。

「柳井さんもいらしてたんですね」

 佐伯が微笑み、後ろに続く全員を中に入れてもらってから、その場に正座をした。

 そこは黒田が常駐する盆が見渡せる部屋で、10畳敷の部屋である。先ほど柳井が見渡した盆からは、障子を閉めたら隔離され一応の個室となる場所だった

 そして佐伯は畳に手をつき、軽く頭を下げた。そこまでされたら黒田もそこへ座するしかなく、それでも無作法を許さないと言う意思表示に胡座で腰を落とした。柳井もそれと同様に座す。

「どういったご用件で」

 黒田には、佐伯と姫木がどう言う存在なのかは全て解っていた。敵対する高遠組で今では裏の仕事を一手に引き受ける若い集団を率いる佐伯と姫木。

 先の抗争でこの2人がいたら、結末がどうなっていたかわからないと思わせるほどの2人である…がその2人が揃って自分の本拠地へとやって来たのだ。いかに老獪な黒田でも穏やかではいられない。

 正座をする4人は、前に佐伯と友哉、後ろに姫木と龍一という風になっており、佐伯は少し頭を下げ気味に

「実は…」

 と話を切り出した。

 金子の事や、そのせいで借金を背負ったこと。それでも正当な借金なので返すべくやってきたこと。全てを話した。その間に、友哉の名前と龍一の名前も伝えおく。

「話はわかったが、かい摘むと、借金の返済のためにそこの子供と勝負をしてやってくれ、と、そう言うことだな」

 黒田の言葉に

「誠に不調法な上、調子むしのいい話ではありますが」

 と黒田の目を見て佐伯が言う。 

 佐伯の言葉に黒田は少々疑念を抱いた。話している内容自体はわかるが、些か荒唐無稽な気もする。『あの』佐伯が素人の子供を相手になぜそこまでするのかが全く理解できないのだ。

本人この者も自分で返したいと言っていますし、それにこちらの関係者の方に理不尽な返却方法を強要されていたこともあり、俺達が乗り出してきました」

 柳井も側で聞いていて、やはり黒田と同じ考えで佐伯の様子を伺っていたが、その隣に座している友哉おとこにどこか見覚えがあって、先ほどから考えていた。

「素人さんなんでサシという訳にもいきませんから、そちらの越谷を補助につけさせてもらって、なんとか話に乗っていただけないでしょうか」

 龍一は『俺も素人さんだけどな!』と思いつつ、少しだけ前に出て頭を下げる。

 その間に柳井は気づいたのか、ああ、と呟いて

「佐伯、隣の男は確か…」

 と、友哉に視線を送った。佐伯は柳井に全部を言わせる前に

「はい、柳井さんが思った人物で間違いないです。それで俺たちが出て来た訳が解っていただけたと思いますが」

 柳井の視線を自分へと戻す。

 黒田は不思議そうに柳井の顔を伺ったが、その黒田に山形が耳打ちをすると驚いたように眉を上げた。

 抗争中、柳井も高遠の大幹部新浜をマークしており、最後の手段には息子でもなんでも利用しようとしていたのだから、柳井の幹部級は友哉の顔を知っている者は多い。友哉とて当時は14歳。まだまだ子供の顔つきをしていたが、成人した顔では少々判別はつきにくいようだった。

 それがわかった時点で、柳井は黒田の隣で面白そうに含み笑いをした。

「ただの素人の子供に、あの佐伯が何をかまけているのかと思ったらそういうことか。けどな佐伯、勝負はいいがそっちが負けたときはどうするんだ?これまでしといて800万そのままというのも、それこそ調子むしが良すぎると思うんだが」

 その柳井の言葉に佐伯も負けずに笑い返す

「もちろんタダで済まそうなんて考えていませんよ。負けた時には借金800万にプラス800万、そしてこの無作法を仕組んだのは俺ですから…俺を好きにしてくれてかまわないっす」

 友哉が驚いた顔で佐伯を見、後ろに控えていた姫木さえも珍しく声を上げて膝を立てた。

「佐伯お前!」

 下がったところに身を置いていた龍一が、そんな話じゃなかったと佐伯の肩を引っ張り、友哉も少しだけ佐伯へ向きを変える。

「俺のせいで佐伯さんにそんな…!」

 言い募る友哉の目を佐伯は捕え声を低くして言う。

「これが俺たちの世界だ。命かけて生きてんだよ。それに今回俺が命張るのは友哉にじゃない。俺が命を賭けるのは、榊さんのためであり、新浜さんのためだ」

 友哉がガクッと頭を下げ、出そうになる涙を堪えていた。ここで泣いてはいけない。

「今後この世界に首を突っ込んではいけないってことをここで勉強しな。この状況を引っ張り出したのは紛れも無く友哉なんだからな」

 痛く厳しい勉強だ。

 龍一の方も、佐伯の命を預かるというそれこそ大博打に『話が違うぜ…』とため息をつきそうになるが、実際のところ絶対断ろうと思っていたこの一件を、本場の胴師との渡り合いにギャンブラーの血がほんの少し疼いたことが了承するきっかけになったのも自覚していたので、もうやるしかなかった。

 柳井の方も、佐伯を片付けられるならこれ以上のことはないのだ。

「そこまで言われるならお受けしましょう」

「有難うございます」 

 黒田の言葉にその場の4人は、各々の想いは隠して頭を下げた

「しかし今日はうちもいい胴師が入っていますからね。苦戦すると思いますよ」

 黒田はそう言って、近くの者に盆あちらに行ってって話を通して、準備をするように伝える。

 柳井は、頭を下げる4人の前で本当に面白そうに

「俺が立会人だ。正々堂々とやれ」

 と笑った。

「柳井さんがいらしてくれてて好都合でした。色々話が早い」

 出方に促されて立ち上がり、組の若い者が軽く身体を叩いてもう一度ボディチェックをし、確認した後盆へ向かう途中、柳井へ笑みを返す佐伯とは対照的に友哉と龍一には笑みはない。

 姫木は先に見せた動揺以外はずっと無表情で!付き従っている。どうにかなった時にはその時なのだ。

 助出方は、先にお客達に事情を話し盆周りが片付いたところへ4人を通し、布張りの畳の長い方へ4人を座らせた。

 胴師の長谷部と、先ほどから威勢のいい声をあげていた出方の2人も4人と向き合う位置へ移動しており正面切って対峙する。

「何事ですか?」

 元々無表情そうな顔に、不機嫌の色を載せて長谷部が盆切りの端に立つ黒田に問う。

「そうやで、いきなりなんやねんな。お客さんにも失礼やで」

 長谷部の両隣で出方を務めているのは、長谷部が世話になった神戸は北村組の東野と岸田だ。今喋ったのは見た目にも血の気が多い岸田で、ずっと黙っている東野は落ち着いた性格な訳ではなく、邪魔をされて怒っているために無言なだけである。

「邪魔をして悪かった。しかし、滅多にない勝負をさせてやるぞ」

 黒田が3人を宥め、その際その隣に柳井の2代目を確認した長谷部は一瞬驚いた顔をしたがその後静かに頭を下げた。

「あれが柳井の2代目か?えらい優男だな」

「ちゃうで岸田。あれは別嬪言うんや」

 長谷部の後ろでこそこそと話したつもりだろうが、元々声量の多い2人だ、その声はしっかり柳井に届いていた。

 柳井の最も気にしているところだが、今は無視をした。

「3人の前に控える者達が、800万の借金の返済に勝負を申し込んできよった。手本引き3本勝負だそうだ。受けてくれるだろう?」

「なんやて?」

 岸田が疑わしい目つきで、目の前の友哉と龍一を見る。並んで座ってるとは言っても、佐伯と姫木は2人より膝下分ほど後ろに下がっており、3人の目の前にはいかにも素人然とした友哉と龍一しかいないのだ。

「両脇の2人ちゃいますの?盆に付いてるお二方は、どう見たって堅気のお人や」

 こんな状況だが、龍一は自分が堅気に見えたことに内心嬉しさを感じていた。

「この2人で、どうぞお願いします」

 なんだかえらく余裕があるように見える佐伯に岸田の目が細まる。

「あんた、ただ者もんやないな。名前聞かしてもらってもええか」

「無作法に無作法を重ねました。勝負をさせていただくのは、こちらが新浜、こちらが越谷です。そして控えさせていただいております我々は、向こう端が姫木、そして自分は佐伯と申します。以後お見知り置きを」

 名前を聞いて漸く前に座る者達が高遠の関係者だと理解し、佐伯と姫木に関しては

「話は聞いたことあるで。そうか、あんたらがな」

 と岸田が1人納得する。その一方で東野は

「お見知り置いたかて高遠と馴れ合えへんから関係あらへん。ちゃっちゃと始めるで」

 愛想も何もあったもんじゃないことを言って、東野は外してあった肩布を長谷部へかけなおした。

「愛想のないやつで済まんな。こいつは東野言います。俺は岸田や。胴師務めはるんは長谷部さん言います。どーぞよろしく」

 人の良さそうに話してはくるが、最後の一言はかなり煽って来ている。

 佐伯も姫木も気づきはしたが、この場では仕方のないことだ。

 そんな色々含まれた挨拶の後、長谷川は引き札を手にして

「それでは」

 と発し、肩布の中に札ごと手を入れた。

 いよいよ始まる勝負に、先ほどまでここで楽しんでいた客達はすべてギャラリーとなり、ことの行末を見据える体勢をとる。

「入ります」

 肩布の中で札を探り、十数秒後に一枚をとり手前に置かれた手拭いの中へ忍ばせた。

「さあ張ってくれ。素人さんへのサービスに3枚がけの勝負でええで」

 随分きまえのいい申し出に龍一はほんの少しだけ気が楽になる。6枚の札のうち3枚かけられるのなら、当たる確率も上がるから。

「掛け率は…」

 恐る恐る龍一は気になるところを聞いてみる。

「なんや、あながちド素人でも無さそうやな兄さん。掛け率は1枚といっしょでええで」

 ますます気が楽になる。

「あ、あざーす」

 となると、最初くらいは軽く行っといて…と考えている時友哉が小声で

「3枚かけられるなんて知らなかったっす」

 と言ってきた。

 前に6枚の札を並べて手前に捲るように数字を確認しながら

「なにお前、ずっと1枚掛けでやってたのか?」

 と、こちらも小声だが驚いたような声で友哉を見つめる。めくって中身を見ながら、友哉が一枚一枚選んでゆく中で

「はい、そう言うもんだと思ってたから…」

 龍一はこの勝負の根深さを、今更ながらに理解した。

 そんなことを話しながら友哉が選んだ数字はニ、四、六の丁目偶数。それを裏向きにおいて顔を上げる。

「色々相談しとったようやけど、それでええか?」

 相談していたわけではないが、友哉が頷いた。

「それでは勝負」

 長谷部の指が、まず前に置かれた木札を一つ右に走らせた。

「サンゲンの二」

 続けて手拭いを開くと

「中も二」

 岸田の張りのある声が静かな盆に響く。

「ニないか?ニないか?」

 煽るように言われ、友哉は一枚ずつ札をめくった。一番右から捲ると順番的に出てくるのは六、次が四。誰もがまさか全部丁目偶数なんて事は…と思いながらも友哉の手を見つめ、最後の一枚がニを出すと、場が沸いた。

「おお~随分素直な張り札だったな」

「でも勝ちは勝ちだな、先ずは一勝だ」

 ギャラリーが沸く中、龍一は次の手を考える。誰かが言っていたが素直な張り札、そうなのだ良くも悪くも友哉は素直すぎる。しかし札は自分は選べない。どうしようか。この性格はもう見抜かれたに違いないのだから。

 両端の2人は、取り敢えずの一勝にも顔色を変えず静観していた。

「岸田、3枚はサービスしすぎと違うか?」

 岸田も実はそう思っていたのだが、言ってしまった手前戻せない。

「ええて、それをさせへんのがプロやで。なあ長谷部さん」

 岸田の声にも表情ひとつかえず、長谷部は札をとり次の勝負を始めた。

 手拭いに札が入ると、友哉は今度は自発的に札を選ぶ。自分の勘をどれだけ信じているのか判らないが、佐伯の命がかかっているのだ。慎重に行ってくれと龍一は願うが、一応見せてくれた札を見て頭を抱えた。しかし、既にその札は並べられてしまっていて回収は不可能。

 今回友哉が選んだのは一、三、五の半の目だ。いくらさっき丁目偶数だったからってなにも馬鹿正直に半目奇数にしなくても…と龍一は泣きたくなった。向こうが裏を読んでくれれば或いは…という可能性もない事はない…が

「勝負!コモドリの六、中も六」

 ですよねえ…と龍一はガックリと肩を落とした。そんなに甘いものではない。

「六ないか?」

 問う岸田に龍一は両手をあげた。

「一勝一敗か」

 岸田が嬉しそうに笑う。

 場は、友哉の負けに、ため息とどよめきを漏らしていた。

 このギャラリーは、一体どちらを応援しているのか。

「次で最後や」

 今の札でもう完全に友哉の性格は長谷部向こうに読まれた。まあもう既に読まれてはいただろうが、より確実に友哉この男は把握されただろう。

 今度は丁目(偶数)で来ると思いきや半目奇数で来るぞ、というその逆を読むと龍一は判断した。しかし単純な友哉の性格を読んでくるなら、最初の勝負目で遊んでくるような気もするし、丁目偶数を向こうが選ぶならまだ使っていない四を選ぶ性格なような気もする。

 龍一の頭はフル回転で相手の思惑を判断してゆく。長谷部が札をしまったのを確認して、友哉にもう一度全て偶数目で出してみるか?と持ちかけた。

 友哉は素直にそれに従い、目の前に伏せられた3枚は全て丁目偶数龍一の頭では丁目偶数は全て外せなくなっているのである。だとしたら自分がやれることは…

「勝負!」

 岸田の声と共に木札が寄せられ、

「サンゲンの三」

 手拭いが外され

「中も三!」

 ほら来た。龍一は覚悟を決めた顔をして札を開け始める。

 最初の1枚目は四。

 周囲がどよめく

 次に捲られた札は六。

 最後の一枚を残して場は静まり返った。皆が皆、この素直なド素人はまた馬鹿正直に丁目できやがったと絶対に思っている。実際そうなのだが、龍一は最後の札に手をかけた。

 岸田も既に勝ちを想定してニヤリと笑っている。

 そして最後の札が捲られた。

 三

「なんやて!」

 岸田の声に重なって、場が沸き返った。

「よくやった坊主!」

「これで借金なくなるんだろ!すげーぞ!」

 周りが騒ぐ中、佐伯は友哉の頭を抱えて

「よくやったぞ!友哉よくやった!」

 と髪をくっしゃくしゃに混ぜ返す。そんなことをされている友哉は、その場で一番訳のわからな顔をしていた。

「龍一!ご苦労さん!よくやった、ありがとう!」

 佐伯に握手をされて笑って見せるが、一番疲れているのは龍一だろう。なにせ、全員が自分の手元にこの場の全員が注目する中で、ニの札を三に化けさせたのだから。

「いい読みやったな」

 岸田が強引に龍一の手を握り込む。

「いやいや…」

 苦笑して龍一は、じゃあと岸田から離れた。 

 長谷部は、きっと勝ち負けに限らずこう言う感じなのだろうという感じで、肩布を外し綺麗に畳みその場に座り続けた。

 佐伯は立ち上がり、盆の隅にいた黒田の前に行き

「受けてくださってありがとうございました」

 と礼をする。

「いや、本当のところ参ったと言うしかないでしょう。仕方ない、借金は帳消しということにします」 

 黒田の顔つきは苦々しいものだったが、自分が受けた勝負では仕方がない。

「有難うございます」

 佐伯の隣まで来ていた友哉も一緒に頭を下げた。

「しかしすごいな、そっちの人は」

 柳井が龍一に向かって軽く拍手する。

「こいつは大学がっこうダブってまであそびに命かけてるやつですからね、頼もしいやつです」

 そんな会話の端で、どうもーと頭を下げながら、龍一は柳井の言葉にはビクビクしていた。

 札のイカサマは、角度によってはとても見やすいのだ。ちょうど黒田と柳井が立っている辺りが見えやすい場所だったから、龍一は気が気ではない。ーしかしすごいなーの含みが龍一には一番怖かった。

「佐伯…俺外で待ってるわ。タバコも吸いたいし」

 疲れを理由に、龍一はその場から離れたかった。佐伯はそんな思惑も知らず、友哉も一緒に連れて行くように頼んだ。

「借金の件は本当に有難うございました」

 もう一度礼を言って、佐伯は本来の眼光を見せて来る。

「この件はこれでお終いということにしていただくということは、さっきの友哉というやつにはもう、手出しは無用でお願いいたします。あの通り堅気の世界で生きていますので、どうかその辺了承下さい」

 双龍会の佐伯の目でそう言われては、こちらも面子として約束するしかなかった。

「わかった」

 黒田は頷いて、しっかりと目を合わせた。

 それではと言って佐伯は去ろうとしたが

「あそうそう、言い忘れてました」

 と、不意に振り向く。

「黒狼会こちらの下っ端に『金子』ってのがいると思うんですが、これから先そいつに何かあった時は、俺たちの正当防衛と思ってください。ちょっと色々されてるんで、正当防衛にしかなりませんから。よろしくお願いします」

そう言って扉へ向かった。

 部屋を出る際、佐伯はお楽しみの邪魔をしてしまったお客人達にもきっちりと挨拶をして、実は勝った時のために入り口脇に用意しておいた日本酒をニ本、黒田にー皆さんでーと渡して今度こそ場を後にした。

「やられたな、黒田」

 柳井の言葉に黒田は恐縮したように笑う。

 柳井はいい部下を持っている牧島を思い、仕方なさそうに肩をすくめた。 

 ビルの出口を先に出ようとする佐伯を、姫木は呼び止める。

 振り向くと、姫木は黙って歩み寄りそして追い抜き様に

「今度から、命賭ける時は事前に言ってくれ。心臓に悪い」

 と言って先に出て行った。

 佐伯は悪かった、と聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟き跡に続いた。

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