第2話

午後2時のドトールは、比較的空いていてノートパソコンや分厚い参考書等を広げている者以外は、数人の年配者のみだった。

 店に入って見回すと、喫煙ブースの中に龍一は居た。

「何ドジ踏んでんだ?」

 ニヤニヤ笑って、コーヒーを啜る龍一と山ちゃんの前に座った。

「着く早々嫌味言ってんじゃないよ。あ、こっちが山崎。山ちゃんでいいよ」

「よろしく」

 山ちゃんは軽く頭を下げる。

「山ちゃん、こいつが佐伯。こんな顔してっけど、高遠の特攻隊長だぜ、怒らすなよ」

 龍一の言葉に思わず身を固くする山ちゃんを見て

「やめとけよ、堅気の人間になんもしねえよ。俺はシロートさんには興味ねえ」

 言いながらポケットから千円札を2枚出して、山ちゃんに渡すと

「俺、ブレンドね、砂糖いらないからミルク5個くらいもらってきて。残りは、2人で好きなスウィーツでも食べなよ」

 スウィーツの辺りを強調されて、龍一は嫌な顔をした。なんか企んでる…と言う顔だ… 山ちゃんは言われるがままに注文カウンターへ赴き、龍一はカップを置いて佐伯を睨む。

「なんだよスウィーツってな」

「ん?だってお客様じゃんか?お 前 た ち」

 音符でもつきそうな声で、人好きのする笑顔をした佐伯は背もたれに寄りかかる。高遠の特攻隊長さんは、今日はすこぶる機嫌がいいらしい。なんせ大金が入るから。

 それから山ちゃんが戻ってくるのを待って、3人は話し始めた。

 因みに、山ちゃんはモンブランを龍一にはかぼちゃのタルトをちゃんと持ってきて、ニコニコと食べ始めていた。「俺な、退学クビがかかった試験受けさせられてたわけよ、レース当日。だもんで、山ちゃんに頼んでたんだけど、こいつノミ屋に行きやがってさ!」

 隣でモンブランを美味しそうに食べている山ちゃんを憎々しげに睨んで、龍一もカボチャを口にした。しかし、このケーキ二つがいくらになっちゃうんだろうかと考えると、味なんかしなかった。最近まずい食い物ばかりだな、などと考えながら先を続ける。

「あの時のレースはさ、レース自体が穴だったんだよ。先に入ったチトセコーヨーってのは、厩舎も馬主もなんの関係もないところから来てるから知らないやつの方が多いけど、あいつはトーヨーヒーローの種貰ってんだ。地方でも戦績残してるし、あんななんの変哲もないレースなら1等取れることになってんだよ」

「ああ、あのレースの話か」

 組の新入りにさせているノミ屋で、高額の配当金が出て大損したと言う話を佐伯はミルクを入れながらそこで思い出した。

「往年の名馬の子種とはねえ…さすが競馬バカだな」

 と、続けて佐伯は苦笑するしかない。

「話はわかった。俺はどっちの気持ちもわかるから複雑だけどさ、今回は龍一お前たちの味方になってやる」

 コーヒーを一口飲んで、少し恩着せがましい感じで言うと、

「で、報酬の件なんだけど」

 ニコニコした顔をますます破顔させて、足を組む。

「なんとか良心的な金額で頼むよ」

 嫌な顔をして、佐伯の顔も見ず龍一はタルトのカボチャ部分をフォークでぷすぷすと刺し始めた。

「やなこと言うなよ、俺らはいつだって良心的だぞ」

 はいはいと流して

「で?」

と促す。

「これでどうだ」

 佐伯は右手でVサインのように二本指をたててくる。

「に…じゅうまん…?」

 山ちゃんがおそるおそる言うと

「馬鹿言ってんじゃないよ山ちゃん、桁が違うよ、け た が」

「200万??」

 山ちゃんは思わず大声を出してしまい、店中の人間から注目を浴びてしまった。

「そうそう。あ、それ1人の料金だから。毎度あり」

 さっきから機嫌がよかったのはそのせいか…と龍一は頭を抱え、山ちゃんはちょっと放心している。

「ボリすぎなんじゃねえの?」

 流石に龍一も言ってみるが

「お前じゃなかったら断ってる話だぞ?俺等は個人で他の組と渡り合うの基本的に違反なんだよ。決まりがあるわけじゃねえけど、組に迷惑かけがちだからな。俺らみたいな特攻屋は、いざという時いつでも動きが取れないとまずいんだ。今だって急になんかあるかもしれないし。それを推してやるんだぞ?」

 解るか?とタバコを取り出した。龍一は抱えた頭をそのままに山ちゃんの方を向いた。

「な?山ちゃん言っただろ。何があっても知らねえって。この筋のやつなんてこんなもんだよ」

 山ちゃんは、まだ少し現実が掴めていないようだ。きっと300万もあったらあんなことできて、こんなこともできて、あまつさえそんなものまで買える!と夢がいっぱいだったに違いない。

「いいじゃねえかよ、100万入るんだからさ。ついでに元金も巻き上げるから、それはちゃんと返すし。高い消費税払ったと思ってさ」

「100パー超えてんじゃねえかよ」

という龍一の反論も山ちゃんには届いていないようだった。

 相変わらず語尾に音符つけて話している佐伯は、苦い顔の龍一と、呆けている山ちゃんには構わずに、商談成立っと龍一の右手をとって無理やり握手し、放心している山ちゃんの右手も持ち上げてハイターッチ と手を合わせてパチンと音を鳴らした。


 薄暗い小さなマンションの1室は、簡素な応接セットと片隅にお茶を入れる程度しかできないミニキッチン。そしてその傍にドアがあった。

 そのソファで佐伯は龍一と並んで座り、目の前に座ったひょろっとした日弱そうな男と対峙している。山ちゃんはもう一つの1人がけに座っていた。

 そんな山ちゃんはガチガチに緊張して微動だにしないし、逆に佐伯の隣の龍一は足を組んでタバコをぽっかりと吸っている。図太すぎじゃねえか?と内心苦笑いしながら、佐伯は手元のジッポを弄んでいた。

 言われていた怖いお兄さんはいなくて、佐伯は部屋をぐるりと見回してからタバコを一本取り出す。

「先日ですね、この者たちがお宅で馬券買ったらしいんですけどそれがねえ大当たりしたらしいんですよ。でね、その配当金がまだ支払われていないって言うことで、本日いただきに来たんです」

 膝に肘をついた前のめりな体制で、未だジッポをいじっている佐伯はじっと目の前の男の目を見つめていた。

「そんな事実…はない…ですが…」

 男の言葉に、佐伯はわざとテーブルの上にジッポを落として即座に片手を内ポケットへ忍ばせた。

 ガラスのテーブルは派手な音をたて、割れはしなかったが佐伯の内ポケットへ手を入れる動作と相まって、男は

「ヒィッ」

 と情けない声を上げる。

「これ、こちらの受取証書ですよね…」

 内ポケットから出したのは、この部屋の住所と「馬券ハウス」と可愛いロゴで書かれた領収証。テーブルの上に置かれた紙を、男は目だけで確認して

「あ、え…ああ、そうですね…うちのですね…」

 先ほどの佐伯の行動で、銃でも出してくるんじゃないかと怯えたのすら証拠になるのにな、と龍一は相変わらずぽっかりと煙を吐いてそう思っていた。

「そして、ご挨拶が遅れましたが、俺はこう言うもんです」

 佐伯はもう一枚テーブルに置く。それは佐伯の名刺だった。

「さ…佐伯さんですね…どうも…でも、うちはちゃんと配当金も渡していますし…300万もの金をどうこうしようとは…」

 その瞬間佐伯の口が釣り上がった。

「300万って、俺言いましたっけ?」

 男はハッとして身を固くする。

「失礼ですが、お名前は」

「か、加藤です」

「では加藤さん、1人300万。合計600万円払っていただけますね」

 じっと見られて、加藤はチラチラとミニキッチン脇のドアを気にして返事をしない。

 佐伯もさっきからのこの目線はわかっていて、多分あのドアの向こうに怖いお兄さんが控えているのだと踏んでいた。

「あ、あの…少しお待ちください…」

 へへっと愛想笑いをして、加藤は気にしていたドアへ入ってゆく。

「なんだあいつ、てんで意気地なしじゃんか」

 かなり短くなったタバコをもみ消して龍一は鼻で笑った。

 まあ龍一にも、今加藤が入って行ったドアの向こうに山ちゃんを脅したソレもんがいるのだろうことは判っている。「どんなやつやら」

 佐伯は、落としたジッポを拾ってドアへと目をやる。それと同時にドアが開いて

「何か御用があるとか」

 スキンヘッドの大男が現れた。この男の後ろに立つと、ひょろひょろ加藤は隠れて見えないほどだ。龍一はいかにもな男が現れたことがおかしくて、怖がる風に顔を覆って自分の膝に顔を埋める。

 大男は脅しをかけるように、威圧的な言葉と態度で佐伯たちが座るソファまでやってきて、先ほどまで加藤が座っていた場所へ腰を下ろす。

 佐伯も、同業が出てきたのなら話は違う。対等に話すため目の色が変わった。タバコに火をつけ、

「配当金をいただきにきたんですよ」

 居丈高にふんぞりかえる男に大きく吸い上げた煙を思い切り吹きかける。

 正面から煙をかけられた男は露骨に顔をしかめて、右肩をグイッと迫り出してきた。

「支払いは済んだと、さっき加藤も言っただろ。済んだこと今更言われてもな」

 ほとんどガンのつけ合いで2人は目を離さない。

「あんたの事、俺知ってますよ」

 高遠の系列でも下の組織のチンピラだ。

 男はその佐伯の言葉に何を勘違いしたのかフフンと鼻を鳴らし、

「ならとっとと帰るんだな。痛い目見ないうちにな」

 と腕を組んで、さらに威嚇をしてくる。

 佐伯は咥えようとしていたタバコを外し

「よくテレビドラマとかで、ドラム缶にコンクリート詰めにして東京湾に沈めるぞ、とか言うの…聞きますよね」

 そう言ってわざと視線をテーブルの上に向けた。

 目の前の男はどう見ても組織の中核を成す人物には見えないし、目を見れば判るが絶対に人を殺めたことなどない人物である。

「やった事、あります?」

 言いながら視線を戻し、大男の目を再びまっすぐ見つめた。

「あれはいいですよね。本当にわかりませんから。行方不明の何割かは、あそこにいるんじゃないかなぁ」

 微笑みながらの佐伯の言葉に、男の目が泳ぎ始める。

 そばで見ている龍一が見ても、圧が圧倒的に違っていた。

「近藤さんのとこの人でしょ?あんた」

 男の目が一瞬見開かれるが、年齢が明らかに佐伯より上の男は、舐められまいと必死に佐伯の視線に食い下がる。「それがどうした。俺ンとこの組長親父の名前知ってたって偉かねえぞ」

「褒めてくれなくてもいいんですけどね、ちょっとした知り合いなもんで、近藤さんとは」

 目を離さずにそういう男は、見るからに20代前半で、チャラチャラしていて、その辺のチンピラ風に見れば見えなくもないのに、迫力が今まで自分が会ってきた人物たちとは全く違うのだ。ー何者なんだこいつ…ー大男は背中を流れる冷や汗に気づかれまいと、目だけは逸らさずに対峙する。

「こうもね、素人さん相手に道理に反したことをされちゃうと、近藤さんに直接話に行かなきゃならなくなっちまうんだよな」

 20cmの距離で再び佐伯は大男に煙を吹きかけた。しかし大男ももう一歩も引けない。

「やれるもんならやってみろや」

 煙を払いもせず、言ってのけた。

 高遠の末端に位置する近藤組の組長近藤は上昇志向の塊で、高遠の中でも幹部への憧れが強い男である。そんな中で、部下の1人が素人相手にせせこましいトラブルを起こし、組のものと揉めたとなれば、よくて半年の病院行き、最悪破門だ。

 しかし大男は、まだ佐伯が同じ高遠のものだとは気付いていない。圧は凄いが、まだどこかのチンピラだと信じているのである。

 だから、佐伯が携帯を取り出し手慣れた様子で操作しているのを見ても、こんな若造がどこまでハッタリを…としか思っていなかったのだ…が、不意にテーブルの上に置いてある名刺が目に入った。『高遠興業 佐伯神楽』

 シンプルな名刺で、いやでも高遠の名前が目に入るし、その名前には流石の大男も聞き覚えがあった。ー佐伯…ー 高遠の本家の名刺な上に、その名前。以前組の上のものから聞いたことがあった。

 高遠には、密かに特攻組織があってそいつらに目をつけられたら命幾つあったって足りないと。組の内外のトラブルに出てくるから、あまり粗忽なことすんな、と言われていた。その中の代表が確か佐伯神楽と姫木譲だったはず…。  

 大男は、携帯を耳に当てて呼び出し音を聞いている佐伯の顔を見て青ざめた。 こいつはハッタリでもなんでもない、即座に声が出た。

「や、やめろ!」

 最大の見得でその言葉を発したが

「はあ?」

 と言う、佐伯の怒気を含んだ声に

「や…やめてください…」

 と小さな声で言う。

「やめてください、お願いします!」

 佐伯が、はい復唱!と言うのに合わせて

「や…めてください…お、お願いします…」

 悔しそうに歯を食いしばりながら、言う大男に龍一はもう我慢ができなかったようで、ププッと吹き出していた。  

 名刺を確認して、そこから様子がおかしくなったのを見ていた龍一は、天下の高遠組でも名高い佐伯だと知ったんならその場で屈した方がまだ見栄も保てただろうに…とちょっとかわいそうになったが、ともあれこれで安心だと胸を撫で下ろす。

 ずっと蚊帳の外みたいだった山ちゃんも、気軽に話していた佐伯がこんな大男が冷や汗をかくような人物だと知って、違う意味で顔が青ざめ、そして200万で済んでよかった…と心底安心をした。

「それじゃ、2人分の配当金600万プラス元金10万、今ここで払ってもらおうか」

 タバコを灰皿に押し当てて、火を消す。

 その際にそのタバコが最後の火を燃え上がらせた。その火が大男に、『高遠』の特攻隊長を印象づけるのは容易いことだった。


『姫木~~~』 陽気な佐伯の声が携帯から飛び出してきた。

「なんだおせーぞ。何してんだ」

 後ろから下手くそな歌が聞こえてくると言う事は、どこかのスナックでもあるのだろう。姫木はスマホを切ろうと耳から一旦外す。

『今、龍一たちと飲んでんだ。お前も来いよ』

 今まで帰りを待っていたのは少々心配していたからで、そんな元気な声で連絡がついたなら寝るのが先だ。

「もう寝るから行かねえ」

『なんでだよー!来いよー』 

 陽気になっている佐伯にため息をひとつつき、姫木は今日の報告をとりあえずすることにした。どうせ明日になれば覚えちゃあいないんだろうが、言うことは言っておかないと気が済まない。

「牧島さんとこ行ってきたぞ。うまくやれって言ってた」

『え?お前牧島さんに言ったのか?』

「おめえが儲け話に乗ってくるって言えって言ったんじゃねえか」

 佐伯は

『そうだっけ?いや、もし今回どじったりして喧嘩にでもなったら、牧島さんに迷惑じゃねえかなと思ってさ』

「喧嘩になったならどのみち知れるじゃねえかよ。自分の言葉にくらい責任持てよ酔っ払い。まあお前が失敗するとも思ってないけど。その分ならうまく行ったんだろ」

 姫木の言葉に、電話の向こうの佐伯は妙に照れ出す

『愛されてんだな…俺』

 ニヤニヤしながら話している顔が想像できて、姫木は見えない相手に嫌な顔をすると

「愛しちゃいねえけど、まあ…多少は信用してる」

 と告げる。

『愛してるって言えよ!』

「うるせえ!もう寝るからな!邪魔すんなよっいいなっ!」

 冷たい言葉を吐き捨てられた後のツーツー音ほど虚しいものはない。しかし浮かれポンチな佐伯は

「照れやがってーこのー」

 とスマホを指でツンツンして、そして皆の元へ戻って行った。

 その瞬間 姫木の背筋がブルっと震えたかどうかは誰にもわからないことだった。

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