第十五章 冬隣、虚ろ (リン)


 あれから一か月が経って、秋は一層に更けていった。街路樹の葉が鮮やかに染まって、朝晩がだいぶ冷え込むくらいに、冬を仄めかしているようだ。

 わたしがあのお返事をしてから、彼はより積極的に接してくれるようになった。一緒に登校する時には必ず手を繋いでくれたりして、また彼も楽しんでいる……だなんて、なんだか夢みたいな話。

 今日もまた、一緒に登校する。わたしが勢いよく外に飛び出しては、彼も遅れて玄関から出てきた。

「今日もまた、一段と元気ですね……。あ、マフラーつけていきますか? そろそろ冬も近いですからね」

 彼は後ろにまわしていた手を前に突き出して、毛糸のマフラーを渡した。

「え、カイくんの手編みのやつじゃん! もう……本当に分かってる。」

「嬉しいです。毎晩編み続けた甲斐がありましたよ。……さぁ、行きましょう」

 とは言っても、こんな悠長にやっているがもう遅刻しそうな時間帯だった。わたし達は晴れ渡った秋空の下で、急いで学校に向かった。


 坂道を上っていき、校門が見えるくらいまでに来た。校舎の正面にある時計を見たが、まだ十分に余裕があったようだった。彼はまた、後から遅れてわたしの元まで息を切らして来た。

「……全然、余裕ありましたね。今日は早めに出て良かったです」

「今日は叱られないで済んだわ……。起こしてくれてありがとね」

「まぁ、リンさんが朝早くに起きてくれれば、ほぼ全部は解決はするんですけどね」

「それは言わないでよ……」

「ユイカさんがまた愚痴ってましたよ。最近は特に酷いって……。私が起こしに行かなければ、今頃夢の中ですよね」

「ちょっと、もう……今日は叱られないと思ったのに」

 わたしは寒がりだから仕方ないとは言っていたけど、彼はそれもまた面白がっていた。まぁ、内心嬉しい気持ちもある。わたしで笑ってくれること自体が、以前には全くなかったから。

 そうしてわたしは、彼に八つ当たりしながらも校門を通ったのだった。


 学校では、わたし達が付き合っていることは誰でも知っていた。考えてみれば、周りの配慮もお構い無しに彼とくっついていたから……当然。

 それに加えて、地下の噂についても関与して、とても滑稽だと世間話の種にでもされているからだろう。それが本当だったとしても、わたしは気にしないけど。そんな不確実なものを相手にしていても、こちら側には何もメリットはない。

 だけど、変わったこともある。それはわたしのことではないけど、カイくんに関することだ。

 随分と前に、わたしがぶったあの生徒、トシキがカイと仲良くなっていたのだ。わたしも正直、ここまで改心するとは思っても見なかった。彼はちゃんと迷惑をかけた人に対して、見過ごすことなくちゃんと向き合った結果、意気投合して関係が強く結びついたといった訳だった。ここまでくると、尊敬できてしまうくらいである。いや、しなければいけない……。

 わたしもそんな風にクラスメイト達と話してみたいし、改めて存在を見直したいと思った。けれど……側から見て取れる程に、わたしは避けられている。

 ――どうしてなのか、違いがわからない。彼との根本的な性質が違うのか、それともただ単にそういうムーヴなのか……。自己嫌悪に陥っては、むしゃくしゃして周りが見えなくなってくる。そういった強い負の感情を覚えたのはいつぶりだっただろうか。


「おぉ、リンじゃないか! 今日はちゃんと起きられたんだな、良かった」

 耳から聴き覚えのある音が貫いてきて、わたしはようやく教室にいることに気づいた。

「あぁ……カイくんが起こしてくれたのよ。今日は違うの」

「……ん? ごめん聞こえない」

 ――声が届かなかった。気づいて欲しかったけど、この場を乗り切ろうとする。

「いや、なんでもないよ! 今日は自分で起きられたから気にしないで!」

 とりあえず声量を増やして、勢いよく流れに乗った。彼女はたちまち表情が明るくなった。案外、簡単だった。


 ――なんか、目が虚になってるな、アイツ――。

 ――まだ寝ぼけてるんじゃない? まぁ、いつもそんなもんだとは思うけど――。

 ――てかアイツ、本当に付き合ってんのかよ。ただカイくんにくっついているだけに見えるけど――。

 ――案外そういうもんだよ。たった一か月で何も変わりはしないでしょ、アイツが――。

 ――なんかもうすぐで別れそうだな。落ち度が見え見え――。

 ――そんな今更すがりついても、見放されること分かってるのかな――。


 ふわふわとしたような、刺々しい言葉を微かに捉えた。無視をしても、その気色悪い気配は消えない。

 外側からではなかった。いつだって悪い予感がするのはからだった。

 こんな自分でも分かってた。わたしはくだらない奴だなんて。けど、逃げたかった。こんな漠然としたを、忘れたかった。


 『自分に向けられた鋭い針はどこから来る? それもわたしの心から……』

 ――アンタも分かってるでしょ。密かに自覚してること。いい加減気づけや――。

 『じゃあ、どうすればいい? わたしはどう変われば、立派に生きられる?』

 ――知るか、そんなもん。アンタはずっと探してるなぁ。意味なんて無いように見えるけど――。

 『なんでわたしは昔から好かれないの……。対等に向き合っているはずなのに、皆んな無視する……』

 ――見返りを求めるんじゃないよ……全く。それだから、どんどん欲張りになっていくんだろ――。

 『ただ幸せになりたいのに……逃げていってしまうのに……。それでも欲張りだと言いたい?』

 ――アンタはホント鈍感だな。逃げていってるんじゃなくて、自分でドブに捨ててるだけだよ――。

 『わたしは……わたしは、何者?』

 ――知らないようだから教えてやるよ。アンタは中身がないんだ。昔から不幸に吸い取られて、すっからかんよ。そんな調子だったら……宙に舞ったレジ袋みたいな浮浪人だな。そうだろ――。

 『……あなたは、わたしではないのよね?』

 ――さぁ? 少なくともアンタとは違う。ただ、にはいるけどね。せいぜいアンタも、独立しろよな――。


 頭に遠く響いていた音が、だんだん消えていった。……やっぱり、どういう現象がわたしの中で起こっているのか、いまいち分からない。

 聞いたことがない声だった。わたし自身でもないし、今まで出会った周りの人でもない、全く身に覚えのない者……。

 最近になってから、この謎の人物がわたしの中に、いきなり現れてきた。もしかしたら、わたしが幼い頃からずっと影を潜めていたのかもしれない。けれど、この人生の中で一度も、こんな不思議な出来事はなかった。

 あの奴が現れてからは、あれから惑わされ続けている。なんだか、自分がどこにあるのかも、頭から抜けているような感じ。

 しかも複数人いる時があった。わたしの機能しない頭に情報が入りすぎて、誰かに構うどころではなかった。まるで、わたしを無理矢理悪い方向に誘い出してくる悪魔みたいな……存在。だから、最近は特に疲れるのだ。


「あの……大丈夫?」

 ふと驚いて顔を上げると、心配そうに見つめるカイくんの姿があった。

 やっぱりわたしは……正気じゃないのか? たぶん側から見ても、様子は変に見えると思うし、何考えてるか分からない不思議ちゃん(悪い意味で)みたいな立ち位置なのか……。

「あ……今何時?」

「……ん? 今は、8時前ですけど」

 あんなに長くあの奴に苦しめられたと思っていたが、時は長くも、短くもないようで……鬱陶しい。

「……あのさ。カイくんはわたしのこと、よく見てくれていると思うけど……苦しくない?」

 わたしから考えても、何を言っているのか……。やはり戸惑った様子だった。

「えぇっと……何かあったんですか? 私はそういう風に、あなたのことを負担だとは思わないですし、貴女が好きであるから……。私もよく分かっていないです」

「ごめん、今のは忘れて。……聞きたかっただけ」

 ……なんでわたしはいつもチグハグなんだろう。彼が好きなはずなのに、遥か遠い海の向こう側にあるような、不安定な距離を感じてしまう。わたしはこれから……彼と向き合えるのだろうか?

 苦しくは思うけど、わたしにはなす術が見つからなかった。

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