完全版サン・セット・ゲイム 檻を超える少女と逆転の一手
椎名悟
第1話 プロローグ 新世界より
空電ノイズに混じりプレストークスイッチを押す音だけが数回繋がる。クロネコの宅配トラックに偽装した指揮車の中でチームを率いる男は安堵の息をひとつ漏らす。
全員配置済み、その合図だった。
招待状はすでに直接手渡してある。全ては順調に推移している。急遽変更されたターゲットBも別チームが監視追跡をしている。
あとはターゲットが動くのを待つだけだ。
――
午後の光が差し込む事務所。
「おはようございます、先輩!」
私はいつもの明るい声で挨拶をすると、返事をしてくれた先輩の机には、すでに誰もいなかった。少し寂しさを感じながらも、気を取り直す。
近くの研修生の会話が耳に入る。
「うわ、やっぱり、あの先輩退所しちゃったんだって」
もう一人が、声をひそめて答える。
「そう、あの人、急に忙しくなって、それから音沙汰なしになったんだって。合格したらしいのに、どうしたんだろうね」
きっとあの先輩の話だ。いつもよく遊びに連れていってくれた、冗談交じりに「結衣は絶対スターになれるよ」って励ましてくれた優しい先輩。あの日以来、LINEも既読スルーのまま、最近は既読さえつかない。
「私も、頑張らないとね!」笑顔で拳を軽く握る。
胸の奥で少しドキドキするのは、今日、持っていく二次審査の通知のせいだ。
「桜坂さん、ちょっと事務所で話があります」
マネージャーの声に振り向くと、資料を手にした表情は少し真剣だった。深呼吸して、にっこり微笑む。
「はい、どんなお話ですか?」
マネージャーは資料を差し出す。
「オーディションの二次審査の案内だ。指定のビルに直接向かってほしい。場所と時間しか書いてないけど、あとはついてからのお楽しみってとこかな」
資料は本当にシンプルだった。それこそが、かえって胸をときめかせる。
(初めて受けるオーディションが、厳重に秘密を守られているのね。なんか、それだけ期待されてるってことよね!)
「でも、この服装で平気ですか?」
「結衣ちゃんは、普段通りがいちばん輝くんだから、大丈夫!」
マネージャーがまた、いかにも調子のいいことを言う。
(みんなに同じこと言ってるの、見抜かれてないと思ってるのかしら)
「結衣、いい、ここぞという時は、黒とか赤のうんと大人っぽい下着にするのよ」
先輩の顔を思い出す。
「そうすると、どうなるんですか?」
「誰かに見せるわけではないんだけど、こう、背中に一本筋が通る感じがするの。普段より力が出せるような。」
「ふぅん、そんなものなのですか」
(あっ、今日は普段よくつける白の下着だった)
少しだけ、不安になった。
「じゃあ、結衣ちゃん。一緒に行けなくてごめんね。急な話だから他の予定が詰まってて。でも、わかりやすい場所だから大丈夫!頑張ってきて」
私は満面の笑みで頷いた。
「はい、精一杯頑張ってきます!」
資料を握りしめ、緊張を隠すかのように軽やかな足取りで事務所を出る。空は晴れ、通りには学生やサラリーマンが行き交う。何組かカップルともすれ違う。
(ダメダメ、今は夢に向かって一直線。男の子のことなんて気にしてる場合じゃないわ)
軽やかな風に髪が揺れる。
「ああ、今日こそ、次のステージに近づけるかな…」心の中でつぶやきながら、駅に向かって歩き出す。
見上げるビルは、いつもの街並みに溶け込んでいるようで、とても爽やかな風がポニーテールを揺らしていく。明るく、まっすぐに、私は一歩一歩進んでいく――。
――
信号が青に変わり少女が足早に歩き出す。
その背を、通りの陰に潜む黒い影が見送った。
無線機から微かな雑音。
「ターゲットA、移動を開始。予定ルートに入ります」
数秒の間を置いて、別の声が応じた。
「了解。ターゲットBも移動中。Rの準備は完了。現場班は速やかに離脱せよ」
影は短く返答し、暗がりに消えた。
その報告はいくつものルーターを経由し、それぞれの手元の端末にメッセージを送る。
全ては静かに進行していった。
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