その果実はひとつだけ

眞宮ロウカ

第1話 春の始まり

 メリハリのない季節がやってきた。

 暑くもなければ寒くもない。桜と菜の花は元気にしているけど、花粉症の私には喜ばしいことではなかった。

 高校三年生一学期の始まり。始業式が滞りなく終了してから教室に戻ると既にいくつかのグループが形成されていて、浮ついた空気が漂い始めていた。

 それもそのはずで今日はクラス替えがあった初日。私もその辺の女子グループに混ざることができる性格ならば、これまでの高校生活はもっと華やかなものになっていたのかもしれない。

 何か催し物や授業でグループを作らなければいけないときは適当に余っている人と組めばいいし、近くの席の人に「今回のテスト難しくなかった?」とか当たり障りのない軽い会話をすれば、ちょっと話すクラスメイトという良い距離感の人間関係が構築できる。

 そうしてこれまでやってきたので今回も例年通り……と自分の席に着こうとしたのだけど。囲まれている。私の机と席が女子たちに囲まれている。パーソナルスペースという言葉を知らなそうな三人組の女の子が、私の席を囲んで何かしらの話題で盛り上がっている。


 ……もしかしたら私の席はあの場所じゃなかったのかな?

 いやでも朝座ってたし……

 黒板には未だクラスの座席表が貼りだされていて、それぞれの名前が記されている。

 何かの間違いであってほしいと一応確認してみるとあの三人組が囲んでいる席、そこには『中津川恵那なかつがわえな』とはっきりとそう書かれている。

 なるほど困った。さて、どうしよう。

 話しかける?それができたら座席表を眺めていない。

 押しのけて座る?その豪胆さも私には備わっていない。

 帰る?割とありかも。

 そんな益体もないことを考えていると


「ねね、もしかして中津川さん?」

「そうだけど……あなたは?」

松宮咲良まつみやさくら、ほらこれこれ」


 そう名乗った彼女は、私よりも少し小柄で、ほんのり茶色がかったミディアムボブが揺らめいている。制服のリボンは少し斜めになっていて、それが初対面の緊張を和らげてくれた気がした。

 松宮さんは黒板の座席表、私の左隣を指さした。


「ほんとだ。というかどうして私のこと知ってるの?もしかして同じクラスだったりした?」

「いやいや、だって中津川さんとあそこにいる三人以外は割と自分の席で話してたりするでしょ?」


 そう言われてみて教壇から教室を一瞥してみると、確かに松宮さんの言う通りクラスメイトの大半は自分の席らしき場所で談笑していた。


「それは分かったけど、それでどうして私のことが?」

「だって朝に自分の席は確認してるはずなのに座席表とにらめっこしてる人がいるんだもん。それでふと隣を見るとなんだか騒がしい。そして朝座っていた可愛い女の子はその騒がしい輪の中にはいない。つまりあのにらめっこ少女は隣の女の子で、結構困っていそうだなーと助け舟を出してみた次第でございます」

「か、可愛い?そ、そう。それはありがとう?」

「いえいえ。まあこんなところにいてもあれだし、先生来るまでわたしの席で話そうよ。せっかくお隣さんなんだしさ」

「それじゃあご相伴にあずかりまして……」

「ご相伴って、ははっ堅いなー」

「あ、ちょっと待って」

「ん?」


 私は松宮さんを呼び止めると少し斜めになっている制服のリボンを整える。別に他人の服装なんて今まで気にもならなかったのに、この時に限ってはなんとなく手をつけたくなった。おせっかいだったかもしれない、でもこんな私に気まぐれでも歩み寄ってくれたから、少しだけ距離が縮まればいいなとそう思った。

 ……よく見るとこのリボン何か違う?私含めて女子が着けているリボンとは何かが違う気がする。でもこうやって触れるまで分からなかったのだから気のせいかもしれない。


「えへへ、ちょっと曲がってた?」

「うん。もう大丈夫」

「ありがとっ」


 春の陽気をそのまま閉じ込めたような松宮さんは、例年とは違う春の始まりを感じさせてくれるのだった。

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