第2話 「封印の聖女――記憶の欠片を持つ少女」

 夜の王都リスティア。

 石畳を照らす街灯の下を、レンとルミナはゆっくり歩いていた。


 昼間、再会(?)したときから、レンの頭の中は混乱していた。

 見た目も、声も、雰囲気も――ルシアそのもの。

 けれど、彼女は記憶を持っていない。


「……変な人だと思われたかな」

 レンは苦笑する。


「そんなことないですよ」

 ルミナが微笑んだ。

「あなたの目、すごく優しいんです。初めて会ったのに、懐かしい気がしました」


 その言葉に、レンの胸が少し締め付けられた。

 懐かしい――そう言ってくれた彼女の瞳の奥に、確かに“ルシア”の面影があった。



 二人は教会に辿り着いた。

 ルミナはそこに暮らしているという。孤児たちを世話し、神に祈りを捧げる“聖女”。

 彼女の祈りは、どんな病も癒す奇跡をもたらすと評判だった。


「勇者様……いや、レンさん。どうぞお入りください」

 ルミナの声は柔らかく、夜の風よりも温かかった。


 教会の中には、かつてレンが見た“聖炎の紋章”が刻まれていた。

 ――ルシアの紋章だ。


「……これ、どこで?」

「ずっと昔からあるものです。千年前、この世界を救った勇者と聖女の紋章だと伝えられています」


 レンは息を呑んだ。

 彼とルシアが最後に手を取り合ったとき、光となって消えたその“刻印”が、ここに残っている。



 夜が更け、ルミナは孤児たちを寝かせた後、レンにお茶を差し出した。

「レンさん……。ひとつ聞いてもいいですか?」

「なんだ?」

「あなたの言っていた“ルシア”って……どんな人だったんですか?」


 レンは少し沈黙した後、微笑んだ。

「強くて、優しくて、誰よりも不器用で……でも、最後まで笑ってた」


 ルミナの瞳が少し震える。

「……その人のこと、好きだったんですね」


「……ああ。俺の全部を懸けても守りたかった」


 言葉を交わすたび、ルミナの胸の奥がざわめく。

 知らないはずの記憶が、心の底で微かに疼いていた。



 そのときだった。

 ――教会の窓が割れ、黒い影が飛び込んできた。


「ルミナ、下がれ!」


 レンは即座に剣を抜く。

 影の正体は、漆黒の鎧を纏った騎士だった。

 兜の奥から、赤い双眸がぎらりと光る。


「……神殺しの勇者、レン・ユウキ。貴様はこの時代でも生きていたか」


「……俺の名前を知ってる?」


「我が主、堕天のバルグレイド様の命により、お前を討つ」


 影が一瞬で距離を詰めた。

 剣と剣がぶつかり合い、火花が散る。


 レンの剣筋はかつてと変わらぬ――いや、それ以上に鋭かった。

 千年の時を超えても、体が覚えている。


「悪いが、俺はまだ死ねない」

 レンが叫ぶ。

「もう一度、守りたい奴がいるんだ!」


 次の瞬間、蒼い炎が教会を照らした。

 剣が音を立てて爆ぜ、影は吹き飛ぶ。


 床に膝をついた漆黒の騎士が、歪んだ声で呟いた。

「……聖女が……再誕したというのは……本当だったか……」


「なにを……言ってる?」

 レンが問うが、騎士の体は黒い霧となって消えた。



 静寂が戻る。

 ルミナは震える手で胸を押さえた。

 そこに――淡い光の紋章が浮かんでいた。


 レンは目を見開く。

「それ……!」


 ルミナは息を詰めた。

 頭の中に、声が響く。


 ――“レン……また、会えたね”


 その瞬間、ルミナの瞳に涙が溢れた。

「……誰かが、呼んでる……。優しい声で……」


 レンは彼女の肩を掴み、真っ直ぐに見つめた。

「思い出せ、ルミナ。お前の中にいるのは……ルシアなんだ!」


 ルミナは涙をこぼしながら、首を振った。

「怖い……でも、懐かしい……。私、何かを、忘れてる……」



 夜空に雷鳴が響いた。

 教会の外、空に裂け目が走り、漆黒の竜が姿を現す。

 その背には、闇の王の印――《バルグレイド》。


「来やがったな……」

 レンは剣を構え、空を睨む。

 燃える瞳の中で、確かに“かつての勇者”が甦っていた。


 ルミナは胸を押さえながら呟く。

「レンさん……お願い。私が全部思い出すまで……生きて」


「言われなくても、死なねぇよ」


 剣が光を放つ。

 神をも斬ったその刃が、再び夜空を裂いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る