5章 解放

Shadow潜入1

(新栄 クラブ『シャドウ』潜入開始 夜24:00過ぎ)


 非常扉のふちに、ネオンが薄く、妖しく揺らめいていた。

赤と紫の残光が、濡れた金属に反射し、血の膜のようににじむ。

手袋の指先で金具の冷たさを確かめ、ヒンジのわずかな遊びを、頭の奥に深く刻み込む。

息を潜め、指の腹で微かな振動を探る。

錆の匂いが鼻の奥をさしていた。


 上空では千景の小型ドローンが、静かに円を描き続けている。

羽音が薄く、様子を取ってくれている。

夜の闇に溶け込む、唯一の味方の気配で心の奥に安心を与えてくれてた。

凛の声がイヤホンに低くにじむ。

『外周カメラ、今だけ目をつぶらせた。合図でどうぞ』


 その声に、わずかな緊張が混じっているのがわかる。

みんな、心配しすぎだ。

事故ったその日に行動してたらそれは心配もするか。


 取っ手の内側に、薄いプラ板を差し込む。

枠の遊びを、慎重に捕まえた。

押して、引いて…軽い、手応えを感じる。

金属がわずかに軋む音が、耳にささった。。

喉を鳴らす前に、身を滑らせ、扉の鍵が開いた。


 扉を開けると、冷房の残り香が、甘く腐った煙草の層と混じり、重い空気が肺に染み込んでくる。

焦りは禁物。自分に、強く言い聞かせる。

ここからは、ドローンは使えない。


 私は服のブローチを、静かに回転させた。

小さなクリック音とともに、小型カメラに切り替わる。

これで千景にも、映像が送れる。

これでみんなも安心するだろう

小型とはいえドローンなんて飛ばしてたらリスクがあるのに。


 足裏のゴム底で、床に這うケーブルを慎重にまたぐ。

壁の影に身を寄せ、息を殺す。

掃除ワゴンの車輪が、微かに揺れている。

空気の流れ、風の向きがわかる。


 通路の角は、蛍光灯の光が甘く、誘うように落ちている。

反射で位置を割られるのが嫌だな。

顔を斜めに切り、影に溶け込ませた。

心臓の鼓動が、耳の奥で響く。

肋骨の傷が、わずかに疼くが、今はそれを気にしてたらだめだ。

ここからが、本番なんだから。


 進んだ先は、バックヤードらしい。

掃除道具の匂いと、油の残り香が入り混じった空気がして不愉快な気分だ。

壁の塗装が剥げかけ、蛍光灯の光が薄汚れた床に鈍く落ちている。

曲がり角の壁には紙の矢印が貼られ、「倉庫→」と道案内があった。

そのテープの端が上から貼り直されており、わずかに浮いてた。

色が薄く、剥がれかけている。こんなの明らかに不自然だ。


 多分乗り込んでくるのは私以外と予想したのかもしれない。

他の人間なら誘導されるが、こんなおとりに踊らされる私ではなかった。

どうやら私たちの動きが、完全に予測されている。

背中に薄い悪寒が走り、冷たい汗が首筋を伝う。

なぜ、ここまで読まれているのか。

組織の目が、どこまで私たちを見据えているのか。


「これ玲奈が入ったら素直に行くんだろうね」

私は小声でインカムに向かって通話した。

こうして気分を変えないとやってられない。

裏切者がいるのかな?って一瞬頭をよぎったけど、疑ってたらきりがない。

そうやって私の精神状態を揺さぶってるだけかあもしれないし。


 床には靴跡が沢山散らばっている。

巡回の足取りは不規則で、どこかルーズだと思う。

こういう不規則さが一番、読みにくくて嫌いなんだけど。

規則正しく動くプロなら、予測できる。

でも、この適当さは、プロがいないか少ないのがわかる。


 壁を軽くノックをする。

伝わる振動は一定だった。

微かな、コンクリートを通した響き。

人が通ると、わずかに音が変わる。

その変化を耳を澄まして感じ、気配を探るしかない。

次の角までの距離を、慎重に測る。

息を殺して、影に溶け込む。

実際私櫻華流で教わった技術で潜入が一番下手だったんだよね。

どうやらこう言った地道な行動が嫌いでよく怒られてたかも。

凛とか学んだらすごくうまくなりそう。

紹介はしないけど。


 踊り場の手前で、空気がひやりとした。

温度が一気に下がり、湿った冷気が肌を刺す。

階段をさらに下り、角を曲がった先の薄暗い通路を細く覗くと、パントリーの前に折りたたみ椅子が置かれていた。


 うつむいた小柄な男の子が、そこに座らされているのが見える。

両手に銀色の手錠をはめられ、焦点の泳いだ瞳で虚空を見つめていた。

怯えと諦めが混じり、頰がこけ、唇が乾いてひび割れている。

まだ十代前半くらいかな?震える肩が、恐怖で小さく縮こまってた。


 細い手首に、手錠の金属が食い込み、赤い跡が残っているのが見える。 


『今から少年を助けるから、後のことはよろしくね』私はインカムに、低く伝えた。 


『了解。その場で待機させておいて』凛が、静かに、でも力強く返事をくれた。


 私は警戒を強め、部屋の中へ音もなく滑り込む。

背後から男の子に近づき、視線を上げさせないよう、優しく低く囁いた。

 「静かに。今から手錠を外すから、動かないでね」 


 男の子は小さく、でも確実に首を縦に振った。

震える息が、わずかに聞こえる。

いい子だ。心の中で呟きながら、私はポーチから細い針金を取り出す。

手錠のキー穴に差し込み、慎重に内部を探る。

カチリ、という小さな音とともに、ロックが外れた。

金属の輪が開き、男の子の手首が解放される。


 赤く腫れた跡が、痛々しく浮かび上がっていた。

男の子が、驚いたように私を見上げた。

瞳に、怯えが残りながらも、わずかな希望が灯っているのを感じた。

私は指を彼の唇に当て、静かにする合図を送った。

 「ここに隠れてて。すぐに助けに来るから」

肩を抱え、通路脇の影へそっと引く。

男の子の体は冷たく、震えが伝わってくる。

でも、頷いてくれた。


 私はもう一度、優しく肩を叩いてから、足音を殺して進んだ。

樹脂の床がわずかに湿り、つま先から置かないと微かな音が尾を引く。

心臓の鼓動が、耳の奥で響く。


 目的地は、もうすぐのはず。

通路の突き当たりに進み、左手に管理室の扉を見つけた。

重い鉄製のドアに、カードリーダーが埋め込まれている。

 

 その上に、P人の動きと体温を感知するタイプのセンサー迄あるなんて、怪しいものがありますよって教えてくれてるよね。


 赤い待機ランプが、静かに点滅している。

空気が淀み、金属と埃の匂いが鼻を突いてくる。

私は息を殺し、内ポケットから薄い銀紙を取り出した。

熱を反射する特殊フィルムを使う。

体温の波を鈍らせるためのフィルムで何かに使えるからって言われて師匠からもらったやつ。

本当に感謝。


 そっとセンサーにかぶせ、指先で丁寧に固定する。

次に、カバーのネジをL字ツールで外して。

小さな金属音が、わずかに響くけど、通路の静寂にすぐに飲み込まれた。

露出した接点に、短いワイヤーの橋を渡して。回路をショートさせ、センサーを欺くことにたぶん成功した。

 

 ランプが一瞬ちらつき、ためらいながらも光が落ちた。

入る前に、もう一度耳を澄ます。

壁に頰を寄せ、微かな振動を探る。

声はない。ただ、無線がこすれるような、微かなノイズだけが聞こえてきた。

誰かが、近くで通信している気配もする。


 心臓の鼓動が、耳の奥で速くなる。

壁の影に身を寄せ、そっと扉を半分だけ開けた。

中の空気が、ひんやりと重く流れ出してくる。

ちょっと冷房が効きすぎだと思うけど、健康に悪いよね。

埃と紙の古い匂いが混じり、肺に染み込む。

何でこういう社会の読みに潜む組織は空気が悪いところが好きなんだろう?

すごく不思議。


 室内を素早く見渡す。

壁に並ぶ紙の束、配車表、シフト表、QRコードが印刷された残骸が見えた。

必要な断片だけを、腕時計型スパイカメラで素早く撮影。

壁のモニターは、クラブの表の席しか映してないみたい。


 客の喧騒、ダンスフロアの光。いつも通りの感じだね。知らないけどさ。

 

 地下の映像は、別系統で完全に切られている。

ここは、表の顔だけを監視する部屋みたいだね。


 本当の闇は、もっと深いところに隠されている。

ここには用がないので、私は扉を静かに閉め、次の部屋へ滑り込んだ。


最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!

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