三章 逢魔
第1話 会議
トネさんの部屋を出たわたしたちは、伯父の自宅の応接間に戻っていた。伯父の奥さんがまたお茶を出してくれる。夕飯の時間が近づいているのに申し訳ない。今日はずっとお茶をいただいている気がする。
わたしの右隣に伯父さん。向かいに小野瀬さん、左隣に尚くんが座布団に座る。
伯父は、過去にお祓いを依頼した相手の名刺を封筒の中から探しながら、不安そうに小野瀬さんに尋ねる。
「さっきの祈祷で解決したってことはないですか。トネさんの部屋が明るくなったように感じました。小野瀬さんは霊能力者じゃないと言ってても、やっぱりそういう力みたいなものがあるんだなあと思ったんですが」
「私自身は本当に大した力を持ちません。ですが儀礼や形が力を持つという面もありますので、それを利用してるに過ぎないんです。場を整えてやると、邪気を散らすくらいの効果は期待できますし、霊に効くというより、その場の人の心の方が落ち着くと、向こう側との境界が締まるとでも言いましょうかね。気晴らしでも、怪異の影響を抑える効果があるんですよ。だから、多少は効果を得られたかもしれませんが、さっきの祈祷で解決までは難しいかと。今の状況で解決しようとすると、正面からぶつかる本気の魔祓いになりますし、こちらの気力も相当に削ることになります。今の私では手に余るのが正直なところで、弟子の手が空くのを待ちたいのですよ」
「はあ、そういうものなのですね。そういえば、御札の方は効果があるもんなんでしょうか」
「札は手間をかけて準備して、力を発揮するよう工夫できますからね。効きますよ。それに、今回持ってきたのは、弟子に力を込めて作らせた札でして、かなり強いものだと思ってもらって結構ですよ。使い方もちゃんと心得ておりますので」
小野瀬さんは、封筒から札を抜き取ると、指先で軽く角を摘み、紙の面を一度だけ払った。癖のようでいて、儀式の始まりを告げる所作にも見えた。
「三〇二号室には封じ札、三〇三号室には迷い札と護り札、それからこれは、特別な護り札ですので氷川さんが寝る時にも手元に置いて頂ければ」
そう言って手渡してきた御札を、わたしは恭しく受け取った。
「ありがとうございます」
札は扉に貼ったものよりも少し厚みがあり、表面に何も書いていない。
「お姉ちゃん大丈夫」
尚くんが心配そうにわたしの顔をのぞき込むと、小野瀬さんも声をかけてくる。
「トネさんの部屋を出る時ですね。何がありました?」
二人とも気づいていたのか。わたしはずっと、トネさんの部屋で最後に見た亜沙美さんの顔が頭から離れず、背筋がぞっとする感覚が続いていた。
「顔が、見えたんです」
コシロサマの顔が亜沙美さんに見えたこと、冷たく笑っていたことを伝える。わたしの見たものを聞いて、小野瀬さんの表情は険しくなる。
「ナオ、見たか」
「出るときは見てないんだけど、スケッチしたときに見た。これだけど」と言いながら、尚くんはスケッチブックを開く。
その絵は、相変わらず黒い線だけで描かれた拙いスケッチ。真ん中にある人形がコシロサマ。その頭から紐のような線が伸びて、その先に女の人の顔がついている。
「あの写真の女の人だよ」
つまり尚くんにも、コシロサマの顔が亜沙美さんの顔に見えていたということか。
「亜沙美さんにとっても思い出の品だ。亜沙美さんの霊からすれば取り憑きやすい媒体なのかもしれん。何かを伝えたいのかな」
「怒っていると、感じました」
トネさんの部屋で見た女の顔を思い浮かべながら、感じたことを話す。
「怖い顔はしてた。おれ、見たよ」
尚くんは、小野瀬さんを見上げて、はっきりと言う。小野瀬さんは、ちょっと困った顔をする。
「そもそも亜沙美さんの霊がなぜ出るのか、一旦落ち着いて考えてみましょうか。亡くなった状況から考えられることがあります」
理由、今まで出てきた情報から考えられること。
「それは少し理由が見えてきたような」
「ほう。どのように考えられますか」
小野瀬さんに促され、わたしの考えを話す。
「三〇三号室に助けを求めて移動中に亡くなったということは、今でも助けを求めていて三〇三号室を訪れるのかなって最初に思いました。でもトネさんの話を聞くと、亜沙美さんは助けてくれなかった彼氏を怨んでいて、三〇三号室には彼氏を狙って訪れている可能性が高いのかなって思います」
「どちらもありそうです。両方とも正しいということもあるかもしれませんね」
「亜沙美さんの霊を部屋に入れてあげれば成仏するとか、彼氏じゃないと気づいて消えてくれたりしないですかね」
「可能性はありますが、やめておきなさい……これは、招かれなければ入れない怪異なんでしょう。まずは、部屋に入れないことを徹底しないと。もし、開いて迎え入れようとするなら徹底して準備をしないと危険です」
招かれなければ入れない。逆にいえば、扉を開けなければ大丈夫ということ。あの夜のことを思い出すと、背筋が震える。自分で思いついたこととはいえ、自ら部屋に招き入れるのは無理だ。
「それより」と小野瀬さんは続ける。
「部屋が目的なのか、氷川さんを狙っているのか、これはすごく重要だと思います。今のところは部屋または部屋の住人が狙われているようだとしか言えないですから、対策としては引っ越しが最も有効と考えているわけですが」
「狙いは部屋ですよね、私を狙う理由なんてないはず……でも、例えばですよ、わたしが亜沙美さんと同年代の学生で生きているから、わたしに対して嫉妬しているというか憎しみを募らせてしまったとか、そういうこともあったりして」
「もちろんありえますよ。あくまでも私の経験上ですが、亜沙美さんのように亡くなる直前の行動を繰り返しているような霊は、場に刻まれた記憶のようなものであることが多いです。映写のように同じ行動を繰り返す。時が止まっているとも言える。氷川さんという個人を認識して攻撃するよりも、そこにいる人をだれでもターゲットにすると考える方が自然な気はしますが、断言はできないですよ。霊というのは理があるようでない、まさに理外の理。個々の理屈があるから、ほんとうにわからない」
なんだか煙に巻かれているようだが、言いたいことはおおよそ理解できた。要は、亜沙美さんは生前の影のような存在で、生前に面識のない私を妬んだり恨んだりしないと、そういう理屈でわたしを安心させようとしているのだろう。
「少なくとも亜沙美さんは怒っているように感じるんです。尚くんもそれを見たわけですし」
「そう感じるというのは大事なことですね。貴女個人に何かを感じて標的にしている可能性も捨てないほうがいいでしょう。それから部屋の住人がだれであれ、澤田卓二と認識しているということはあるかもしれませんね」
「ああ、そっか。私を澤田っていう人だと思っている可能性もあるのか」
小野瀬さんの物言いは慎重で、どうしてもやきもきしてしまう。
不安を察したのか、小野瀬さんがなだめるように話す。
「頭を整理しましょう。まず亜沙美さんの霊が出ているという前提は、とりあえず確定でいうことにしましょう。亜沙美さんの霊は、彼女が住んでいた三〇二号室や廊下に出現するようだ。そして隣の三〇三号室を訪れる。トネさんの話によると、亜沙美さんは三〇二号室で刺されて、三〇三号室に助けを求める途中で亡くなった。その際、三〇三号室の住人だった彼氏から見捨てられた。このことが、亜沙美さんの霊が三〇三号室を訪れる原因になっていると考えられる。三〇二号室でお祓いをすると、しばらくは亜沙美さんの霊は出現しなくなるが、しばらくするとまた現れる。この原因は今はわからない。お祓いが失敗しているだけかもしれない。
日常的なのか今回だけかはわからないが、我々の訪問時、亜沙美さんの霊は、叔母であるトネさんの部屋の三〇一号室のコシロサマのもとに現れた。コシロサマが、亜沙美さんの形見だからではないかと考えられる。亜沙美さんの霊の出現や行動には、コシロサマが関わっているかもしれない。
氷川さんは、亜沙美さんの霊が自分に敵意を向けているように感じている。氷川さんを敵視する理由があるのか、あるいは三〇三号室の住人であることで敵意の対象になるのかは、今はわからない」
これらの情報を、小野瀬さんが口に出したまま、わたしが箇条書きでメモし、小野瀬さんと叔父の前で披露する。
「こんなところですかね。わからないことは未だ多いが、亜沙美さんが現れる理由というのは気になります」
「その理由って重要ですか?結局は除霊するんじゃないですか?」
「対処する方法が変わってきます。さきほど氷川さんが言われたように、部屋に入れて助けてほしいという思いが核ならば、部屋に入れてあげれば消えるかもしれない。いきなり試すのは危険なのでやりませんが。それに、これまでも除霊しても再発しているという現状がありますから、何か見落としがあるのでしょう。できれば根本から解決したほうがいいでしょう。繰り返しますが、なんにしろ恐がりすぎるのも同情するのもよくない。相手を引き寄せることになる。このことは肝に命じておきなさい。自分と相手の間に線を引くのです」
確かにわたしは、亜沙美さんに同情していたかもしれない。線を引く、できるだろうか。
「あの、不安なんです。心霊現象なんて信じていなかったのにこんな」
「当然です。よくわからないものは怖いのです。しかし、不可思議なよくわからないことは、心霊現象に限らず世の中にたくさんあります。でも、人間は、ずっと昔からよく必死で解釈して対処してきたのです。氷川さんは今、真剣に向き合おうとしている。トラブルを闇雲に怖がるよりも、なんとか解決してやろうという気持ちになってきているのではないですか」
「向き合う、ですか。怪奇現象と」
「もちろん無理に向き合う必要はないのですよ。逃げられるときは逃げればよいのです。氷川さんは逃げることができる。ただ、このままここに住もうというのなら、やはり向き合わなければなりませんよね。あ、逃げても追いかけてくる可能性はありますけども」
小野瀬さんの説明は全体的に理系っぽいと思った。絶対と言わないし、確実でないことにはたぶんと言う。例外があることを付け加える。父に少し似ている。父はそれでよく母に理屈っぽいと文句を言われていたが。
「これからどうしたらいいんでしょうか」
「仏壇の祈祷も、部屋に貼った札も、効果があるかは、とりあえず様子を見てもらうことになりますね。三〇二号室のお祓いもしなければならないし、それに、下の階の米村さんの話も少し気になるな」
除霊や調査のことは小野瀬さんに任せるとしても、自分のことも考えないといけない。まずわたしは今晩、どこで寝ればいいのだろう。祈祷や御札の効果を試すという意味では、自分の部屋に泊まった方がよいのだろうか。
「あ、そういえばお弟子さんはなんて言ってるんですか。小野瀬さんはかなり信頼してるんですよね」
「ああ、若いが仕事は信頼できます。荒削りだが、祓うということだけなら随一だな。この業界にも超一流のスターはいるのですが、彼は一流に手が届きかけていると言ったところか。彼に事前に聞いてはいますが、三〇二号室の除霊は特に気になることはなかったそうなんですよ。大家の高橋さんから怪奇現象が一旦治まったとは聞いていて、その後のことはよく知らないと」
「ちょっと無責任に聞こえますけど」
「そこまできめ細やかな男じゃないな。力押しで解決するのが持ち味というか」
小野瀬さんは苦笑する。
「霊の正体も居場所も間違っていないなら、流征なら安心して任せられると思うんだがな、再発しているってところがやはり引っかかる」
「完全には退治できなくて、また現れ出したということですよね。なんか害虫かカビみたいですね」
「カビか。いい例えです。根強く残る原因、それを考えるのは大事だと思います。そういう意味では、怪しいのは絶対にコシロサマなんですけどね。あれが媒介なのかなあ、興味深い事例だね、尚もよく見ておきなさい」
「うん」
黙って話を聞いていた尚くんは、深く頷く。
「そのコシロサマが原因なんだったら、あれを供養してもらえれば解決するとかそういう可能性もありですか」
「可能性はあります。あの部屋で祈祷しただけでは、特に反応はみられませんでしたが。尚は、何か気づかなかったから」
「じいちゃんのお祈り、喜んでたんじゃないかな。怖くない感じで笑ってたから」と尚くんが口を挟んだ。
「そうかそうか、よく教えてくれたな。そう見えたなら、悪いものじゃあないのかもな。純粋に供養のためにあるのか」
小野瀬さんはうれしそうに尚くんを見る。小野瀬さんは、まわりくどいというか、随分と慎重に話を進めると思ったが、これはそうか、わたしをだしにして尚くんに聞かせて学ばせるという意図があったんだと気付く。ともすると、解決を急がないのも、尚くんにじっくり見せたいがためなのではなかろうか。はじめに条件として釘を刺されているから仕方がない面もあるのだが、依頼人としては少しでも早く解決してほしい。
などと考えていると、小野瀬さんは言う。
「今日はどこで寝るのか決めましたか。三〇三号室から出るのも一つの手ですよ」
そうだ。これからどうするか。わたしは、自分の部屋で寝ることができるのか。
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