第30話
雪祭り最終日の会場は、まるで光の粒を散りばめたような輝きに満ちていた。
澄み切った夜空には無数の星が瞬き、凍てつく空気の中で雪の結晶がキラキラと舞い落ちている。
広場の木々は魔術光で飾られ、青や紫、金色などの鮮やかな光が枝葉を彩る。
まるで夢の中にいるかのようだ。
「綺麗ー!」
「全部ピッカピカだー!」
氷の彫刻や雪の像は、会場に設置された魔術灯の光を反射して虹色に輝き、訪れる人々の歓声を誘っていた。
シロクマの雪だるまと緑の葉の目の雪だるまも、光に飾られて喜んでいるように見える。
中央にそびえる巨大な雪の壁では、ジュンの魔術光のショーが最高潮を迎えていた。
「すごいすごいー!」
「ジュン様かっこいいー! ね、トシュテン殿下!」
「んー? あー、そうだな。良かったな」
すっかり子どもたちに懐かれてしまったトシュテンが気のない返事をする。だがその茶色い瞳は、真っ白な壁に映し出される光の花を反射して煌めいていた。
壁に映し出される光の花は、蝶に形を変え、鳥になり……人々を楽しませた。
大人も子どもも一緒だ。皆が笑顔で大興奮している。
そんな賑わいから少し離れた広場の端で、ルカとグンナルは二人で雪祭りの終幕を眺めていた。
大きな木下で雪の上にどっしりと座るグンナルは、ふわふわのシロクマの姿だ。
雪そのものと溶け合いそうな膝の上に、ルカは気楽に腰掛けている。
「無事、終わったなぁ」
肩を揺らして笑うと、白い息が宙を舞った。
頷いたグンナルが、黒い鼻先をルカの焦茶の頭に擦り寄せてくる。
シロクマに抱きつくのはルカのお気に入りだが、グンナルにとってもルカはとても抱き心地がいいのだそうだ。
「ルカのおかげで楽しかった」
「途中で大問題が発生したから、グンナルは疲れたんじゃないか? 大丈夫か?」
ルカは少し体をずらし、グンナルの大きな前足に手を置いた。低く喉を震わせたグンナルは、フルフルと首を左右に振る。
ルカを受け止めているシロクマの筋肉が、わずかに動いた。
「私は体力だけはあるんだ。ルカの方が疲れたのでは?」
「俺も見た目通り体力あるんだよ。まだまだ有り余ってる」
ルカはグンナルを見上げて、胸を張った。
白い歯を見せて得意げに笑う頬を、グンナルの大きな舌がペロリと舐めた。
「ひゃっ」
当然の濡れた感触に、ルカはふわふわの膝の上で飛び上がる。子どものような高い声が出て、思わず口を押さえた。
なんだかおかしくなってきて、二人は顔を見合わせてくすくすと笑い合う。
ひとしきり笑ったルカは、グターっと無防備に白い毛に埋もれた。
「グンナル、俺さ……お前と結婚できて本当に良かった」
雪祭りの輝きに目を細め、響いてくる皆の弾んだ声に口元を緩める。
「最初は大国の皇子との政略結婚だったから気も張ってたし緊張してた。正直、シロクマを見た時はビビったけど……」
「恥ずかしい姿を見せたな」
照れているのが伝わるグンナルの声に、ルカは肩を揺らした。
白い毛に指を絡ませ、もふもふと揉むように動かす。毛並みの感触が心地よく、冷たい空気の中で温もりを与えてくれる。
「初日は、絶対俺の方が恥ずかしかった。絶対」
ルカは両手で顔を覆う。
初日の失敗を思い出すと、顔から火が出そうだ。
ベッドから落ちて頭をぶつけたのを見られたり、ビアンカに用意されていた赤いドレスを着ようとして、全然体が入らなかったり。
散々な姿を見られてしまった。
「確かに、あれは……」
大きな体が小さく揺れ、周りの雪がさらさらと音を立てる。
シロクマの姿でも、彼が笑ってしまっているのがルカにははっきりとわかった。
「まさかあの時のクマさんのことが、こんなに好きになるなんてなー」
「怖くないのか」
「全然。俺、どんなお前も好き」
ルカはまっすぐにグンナルの瞳を見つめ、言葉に力を込めた。胸から溢れる気持ちは、伝えきれそうにない。
でも、グンナルにはちゃんと伝わっている。その証拠にシロクマの腕が、ルカの全てを包み込んでくれていた。
「私も、どんな時でもどんな姿でもお前が愛しい」
優しく、温かく、ルカへの愛を隠さないグンナルのそばにいる幸福に浸る。
ルカはグンナルの黒い肉球にそっと触れ、指先への感触に目尻を下げた。
「幸せだー」
「ああ……私もだ。こんなに幸福を感じたことはない」
グンナルが首筋にシロクマの口を寄せて擦り付けてくる。白い毛がくすぐったくてルカが身を捩ると、不意に、グンナルの声が深いものに変わった。
「ところで、ルカ」
「ん?」
「私たちはまだ正式には結婚できていないことを、覚えているか?」
無邪気に笑っていたルカの動きが、ピタリと止まる。ドクンと胸が跳ね、頬にじわりと熱が広がった。
「……あ……そ、そう……だな?」
ウルスス帝国の結婚には、結婚契約書へのサインと、身体を繋げる儀式の二つが必要だ。
忙しさにかまけて、ルカとグンナルはまだその後者を果たしていない。
ずっと寂しいと思っていたルカだが、さすがにここ数日は完全に失念していた。
心の準備が何もないところに話題に出されて、何も答えられない。
目線を泳がせるだけで返事をしないでいると、グンナルがルカを抱いて立ち上がった。
「わ……っ」
急な浮遊感を覚えて、ルカは思わずグンナルの太い前足にしがみついた。
グンナルはそのままの体勢で人間の姿に変わる。自然と至近距離になった、彫刻のように整った美顔を見て、ルカは新鮮に驚いた。
もう見慣れたはずなのに、何度でもときめいてしまうのだから不思議だ。
ルカを見つめる黒曜石の瞳は穏やかだが、奥では熱い欲が燃え盛っていた。
「ルカ、まだ体力が有り余っているのだったな?」
耳元で甘く囁かれて、ルカの肩が跳ねる。
「う……あ……」
「ルカ?」
柔らかい低音に、背筋が震える。
逃さない、というように、グンナルは耳に唇を寄せてきた。
湿った吐息が耳たぶを撫で、ルカはピクッと体を縮こまらせた。
追い討ちをかけるようにグンナルの歯が耳を噛んでくる。
誘惑から逃げることなんてできなくて、ルカは期待に潤んだ目をグンナルに向けた。
「体力、有り余ってるけど……今夜は寝かさないでくれよ? もし寝たら、ちゃんと起こして……っ」
羞恥心を押し殺してボソボソと伝えると、軽く音を立てて唇に口付けられる。
「ああ。前回は無理させてしまったからな。無事結婚できるまで……ルカに
「うん……? ……っ」
グンナルの言葉の意味をいまいち理解しないまま、ルカはただ頷いた。
少し変だな、と思いつつも、再びグンナルの唇が重なってきてどうでも良くなってしまう。
噛みつくような、しかし優しく深まる口付けに、ルカの体はとろけるように力が抜ける。
光と笑顔に満ち溢れている、雪祭りの会場。
その隅っこで、ルカとグンナルは人知れず、熱い口付けを繰り返す。
永遠にこの時間が続けばいいのに、と思う幸福感の中で二人の吐息が交わる。
雪祭りの幕が下りるまで、甘美なひとときは続いた。
そして全てが終わって本当に二人っきりのベッドの上で。
ルカはグンナルの言葉に容易に頷いてはいけなかったと気がつくのだった。
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